第三幕 ⑥

 そんなかれらをながめながらそぞろ歩き、日が暮れても通りに出ていたてんで、たらの切り身をあぶらげた物をはさんだパンを買った。ミューリは昼間の仕事でちんを得たのか、自分のさいからへいを取り出して、ぶたちようづめも追加していた。


「確かに、あのままの格好で出てきていたら、おちおち食事もできないでしょうね」


 っぱらいにからまれ、お前はどっちの味方かとられるのが目に見えている。


「見た目ってのは大事なんだよ?」


 わかる? とばかりに小首をかしげられたので、がおでうなずいてからミューリの頭をいておいた。

 通りのつじに立ち、う人々をながめながらパンをかじっていると、様々なことがわかる。

 かれらがなにに興味を持ち、どんなことを話しているのか。中には、聖典のぞくほんやく版の写しがあると見せびらかす者もいた。けいの声が上がり、まるでそれさえあれば教会のあくへいいつしゆうできると言わんばかりだった。

 っているのはもちろんなので、かれらの言動をみにするのは危険だ。しかし、かれらの期待の度合いがうかがえた。これだけ多くの町の人々が味方しているのであれば、ハイランドの希望はかなうはず。大司教といえど、町の人々の意向は無視できない。そのあくへいをきっと改め、教皇はおかしいと共に声を上げてくれることだろう。


「このままなら、正義がされるかもしれませんね」


 アティフの教会がこうとなって、次の町、次の町とつながっていくかもしれない。自分がやっていた作業がその一助になると想像したら、わくわくしていてもたってもいられなくなる。

 そんな希望に満ちた目で街角から様子をながめていたら、すっかり町にんだ様子でかべにもたれかかり、パンをかじっていたミューリがため息をついた。


「正義……正義?」

「なんでですか? みな、ハイランド様の示す正しい方向を向いているでしょう?」


 たずねると、ミューリは無表情にこちらを見て、本物のぞうのようにあごをしゃくった。

 なんだろうかと視線を向ければ、居酒屋が通り沿いに並べている長机でさわいでいる男たちだった。


「はっはっは!」

「ほーら、ほーら、見ろよ、見ろよ~」


 はやてるような声と共に、犬の鳴き声も聞こえる。ぱらいが手に干し肉を持って、いぬをからかっているのだ。それ自体はめずらしくない。へきの中は動物であふれている。


「そーら、十分の一の肉だ! 拾って食え!」


 干し肉を放ると、犬が一目散にけていって肉を食べる。それを見て男たちは大笑いしている。そして、すぐに犬の様子がおかしいことに気がついた。

 司祭服に似せたまえけをつけさせられているのだった。


「犬の司祭様! おれたちの十分の一のパンもどうぞ!」


 犬がえさを食べるたびに、男たちはひっくり返らんばかりに大笑いしていた。

 ミューリは半笑いだったが、こちらは全く笑えなかった。

 あまりにもあからさまな、けんぼうとくだったからだ。


「昨日くらいからあんな調子なんだよ。お酒飲んでさわぐ人はニョッヒラで見慣れてるけど、ああいう人たちはそれとは全然ちがう。ちょっと……こわい」


 ミューリはパンを食べ終え、手で服をはらっていた。


「今日は昼間に、町の近くの島の教会から、そこの司教様が来たんだけどね。その時もすごかったんだから」

「……どんなふうに?」


 犬はえさがもらえて大喜び。尻尾しつぽればるほど、男たちは大笑いだ。


「教会のえらい人が乗っている船って、教会のもんしよういたかかげる決まりらしいのね。だから、みなすぐにどんな人が船に乗っているかわかった。そうしたら、ものすごい割れんばかりのはくしゆだいかんせい


 ミューリを見ると、その顔は暗い。表情と内容がちぐはぐだった。

 それとも、ミューリは司教がかんげいされるのをいやがっているのだろうか?

 そう思っていたら、ぼうぞうはため息をつく。


だれかんげいなんてしてないんだよ。商会の人が教えてくれたけど、大司教のおうえんに呼ばれたんだって。町のふんが教会に敵対してるから、あのきんぱつたいこうするためにって。それをみなわかってるから、わざとらしいはくしゆだいかんせいむかえたの。船をひっくり返すわけにもいかないしね。船から降りて来た司教さんは、まどって顔が青ざめてたよ。まずいところに来ちゃったって」


 悪意。

 そこにあるのは、けんに対しふつふつと立った悪意だ。


だれも本当はかんげいしてないのに、もみくちゃにされるのってこわいと思うな。その司教さんはいい人そうだったけど、げるように港から出て行ったよ」


 全員が全員、特権の上に胡坐あぐらいているわけではないだろう。この町の大司教でさえ、そうだ。聖務には熱心だというのだから、本当に悪い人なのではない。


「ここで何日か働いてみて思ったけど、みんな細かいことなんてどうでもいいんだよ。なんだろう、なんていうか、熱くなれる対象があればなんだっていいって感じかな。だれかれもが、おれたちのなけなしの金をうばいやがってっておこってるんだけど、十分の一税ってそんなに高いの? って聞いたら、おれたちは取られたことねえけどなあって、楽しそうに笑ってた」


 確かに、一日荷物を運んでいくらのはらいをされる者たちから、いちいち税を集めているはずがない。そういうのは大きな商会や、関所、あるいは土地収入から取られるのだろう。もちろん、めぐめぐって自分たちのはらいにえいきようしている、と考えることもできるかもしれないが、それを実感するのは難しいはずだ。


「ねえ、兄様。兄様がどんなことを信じているかわかってるつもりだし、ほんやくしてる姿は本当に夢中で楽しそうだったから、ずっとだまってたけどさ」


 と、こちらを見上げた目は、見たことがないくらいしんけんだった。


「兄様がほんやくした紙の写しも出回ってたけど、なんかそれがあれば、教会のどんな悪口を言ってもいいみたいなことになってるんだよ」

ほんやく版は、そんなものでは──」

「兄様がどう思うか、そこになにが書かれているかは、あんまり関係ないみたい」


 神の教えなど細かいことはどうでもいい。こちらが日課として聖典のあんしようをしているのを見つければ、これ幸いと勝手に頭を垂れて、御加護があればもうけもの、と考える商人たちだっていた。それがつうなのだ。


「だからね、本当に気をつけたほうがいいよ。あのきんぱつが、こうなるとわかっててやってるのかどうかも」

「それは……」

「あいつ、いいことしか言わないんだもの」


 世界の半分の、もう半分。

 ミューリの目を見つめ返すが、言葉は返せなかった。視線をらすと、からかわれている犬が目に入る。自分がじやすぎるのだろうか? だが、しんこうとは本来じやなものだ。じやが悪いとするのなら、一体どうすれば良いのだろう?

 ハイランドが聖人のような動機で動いているとはさすがに思わない。けれど、向かう先には正しさが待っているような気もする。

 確かなことがなにかわからないこの感覚。

 しように、聖典が読みたかった。


「ミューリ」

「ん?」


 からかわれる犬と、大笑いする人々を見ながら、言った。


「商館にもどりませんか」


 自分はああいう悪意のために聖典をほんやくしていたわけではない。教会のけんにしたいわけではない。おかしいことをおかしいと述べて、単に正してもらいたいだけなのだ。

 もちろん、かれらのような者がすべてではないだろうし、ハイランドがけしかけているとも思えない。それでも、自分は世界の四分の一しか見ていなかったのだと気づかされた。


「いいよ」


 もっと買い食いしたい、とさわぐかと思ったが、ミューリはあっさり返事をした。

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