第三幕 ⑩

 居並ぶ司教たちはだれ一人ひとり友好的な顔をしていないが、ひかえているじゆうていねいに羊皮紙を受け取り、大司教にけんじようした。


「それが反乱の文書でないことは、私が口で言うよりも読んでいただければ信じていただけることかと。もちろん、神は争いを好まれず、ゆうを説かれております」


 目の前に置かれた羊皮紙を一枚めくり、大司教は顔を上げる。


「読ませてもらっても?」

「もちろん」


 ハイランドの声が少しはずんでいるように聞こえた。自分も少し意外だった。てっきり、受け取るだけで見もしないかと思ったからだ。大司教はさつそく一枚目を読み、ていねいに文字を追いかけると、二枚目にかる。とてもしんちように、もくどくしていた。

 その間、広いしつ室には三十人からがいるのに、だれも口を開こうとしない。時折、だれかの身じろぎやせきばらいがむなしくひびわたる。大司教はじっと羊皮紙に目を落とし、顔も上げない。

 なにかおかしい、と思ったのは、二枚目に異様に時間がかかってからだった。


「どうされましたか」


 ハイランドが口を開くと、大司教は二枚目をめくり、三枚目に進む。まるでぐうぜん、ようやく読み終わったかのように。それからまた、大司教は三枚目に異様に時間をかけていた。

 ハイランドを見れば、その横顔はいかりにこわっていた。

 わなにはめられたのだ、とようやく気がついた。

 こちらは聖典のほんやくが内乱ほうをけしかける文書なのではないかと疑われ、その潔白を証明するために大司教に読んでもらっている。ならば最後まで読んでもらわなければならないが、大司教からしたら読み終える必要はどこにもない。話し合いができなくて困るのは、ハイランドのほうなのだから。

 さいそくし早く読むようにと言ってもだろうし、おそいとおこり出せばなおさら相手の思うつぼ。

 もう付き合いきれん、と席を立ってくれたらばんばんざい。これはこうしようではなく、大司教たちはそもそも聞く耳を持っていないのだから。神の教えに通じているからではなく、人の世のわたり方に通じているからそのすわっている、と言ったハイランドの言葉はあまりにも正しかった。

 単に静かだったしつ室に、重苦しい空気が満ち満ちる。ハイランドは貴族のげんくずさず、長机にかたうでを乗せ、じっと大司教を見つめている。それはまるで、いつしゆんでも目をらせばげてしまうねずみを見つめるかのようだ。

 しかし、このこうちやくした状態を、一体どうするつもりなのか。大司教があのげん稿こうを読み終えるとはとても思えない。さいそくしても。席を立っても。完全にとらわれていた。

 レノスでの失敗、という話がふとよみがえる。もしかしたら、ハイランドは同じようにレノスの大司教にしてやられたのではなかろうか。神学の議論ならば自分と十分にわたえるほどだが、自分と同じように、底意地の悪い世間には慣れていないのではないか。

 そう思ったが、さりとて自分もまたなにもできないことが情けなく、歯がゆかった。

 それからどれくらいの時間がったころか、しつ室の外からかねの音が聞こえてくる。昼を告げる、教会のしようろうかねが鳴らされたのだろう。それで気がついたのは、しつ室の内部がどれほどこうちやくしていようと、外では人々がつうに生活し、時間が流れている、ということだ。ハイランドはその流れにけているのではなかろうか、と思った。

 夜がければ、再びあのわいざつで暴力的な時間がやってくる。酒にった男たちが、犬に司祭服を着せてけんぼうとくし、にわとりのもも肉と聖典のほんやく版のはしを手にしたくつっぽい商人が、肉をみながら教会への暴言をき散らす。

 それでなくても、デバウ商会の商館では、職人たちがほんやく版を筆写して配っている。それを読めば、良識ある者ならば教会の横暴に正当性などないとすぐにわかる。そうなれば、人々は教会の裏門にではなく、表門に卵を投げつけるかもしれない。人々が教会のあくへいを正そうと立ち上がった時、ハイランドはまんを持してこうしようのためのけんくだろう。

 そして、そんなふうに考えたら、大司教の側のもくも見えてきた。まったく逆のけに出ているのかもしれない。

 ミューリが商会の下働きをするついでに集めてきた話では、さわいでいる下層の者たちは単にさわげるからさわいでいる、ということだった。しんこうの正しさもなにもなく、十分の一税の直接の重さにあえいでいるわけですらない。さわぐのは一過性の流行にすぎず、このまま何事もなければ、かれらの関心は別のところに行ってしまうことは容易に予測できた。

 季節は冬から春に移り変わろうとしていて、一年の中で最もいそがしい季節にかる。デバウ商会にちんじようにやってきていた人々の数を見ても明らかだ。これからは春の祭りや教会のしきなどもじろしだから、宗教的けんとしてそれらを取り仕切る大司教は、ハイランドのこうしようを後回しにする口実には事欠かない。

 聖務とは塩気のようなものであり、季節の移り変わり、人生の節目など、日々の生活に教会の存在は欠かせなかった。ハイランドとこうしようしているがために聖務に支障が出るとなれば、ハイランドに悪感情を持つ者も出てくるだろう。そもそも、ウィンフィール王国の民衆が苦しんでいるのは、その聖務を全面的に停止されているからだった。

 人々がいかりの声を上げるのが先か、それとも目の前の生活へと関心をもどすのが先か。

 息がまりそうなきんちようの中、静かに、思う。これは、世界をどういうふうに信じるかの戦いだ。人々は、正しいものは正しいとみなしてくれるし、そのために立ち上がってくれる。少なくとも自分は、またハイランドも、そう信じているはずだった。

 神よ、といのった。

 だが、その神のしもべであるはずの大司教たちがちがっていることをいのるのは、果たして正しいことなのかどうか。天と地が逆になったかのような構図に、眩暈めまいを覚えてしまう。船頭が言ったように、川はまっすぐには流れていないのだ。

 これが世の中だと言えばそうなのだろうが、単純な生活のニョッヒラが遠くに感じられた。

 そうして、体を少しずつけずられるかのような時間が、痛みを覚えるほどゆっくりと過ぎていった。ハイランドも大司教も口を開かないので、昼食を、と提案する者もいない。さらに時間がち、しつ室の高いてんじよう付近にある明り取り窓からむ日差しの向きが、しつ室に入ってきた時とは逆になった。

 あしこしの痛みもつらく、それはその場にいる全員が感じていることだろう。立っている者のみならず、すわっている者も同様だ。ひたすらすわっているというのは、それはそれで体に大変な負担をかける。としを重ねている司教たちは、目に見えてしようもうしていた。対して、ハイランドの側は自分もふくめて若い人々が多い。司教の後ろにひかえるじゆうたちこそ若かったが、こんくらべではこちらに分があるように思われた。

 ひとつ心配なのはミューリのことだったが、山をけまわる体力があるだけに、なんとかえているようだった。ただ、明日からは来ないだろうなと思うと、少し笑いそうになった。

 ついに明り取り窓から入る日差しがかたむき、色もくなってきたころのこと。きっと人々の頭には、もう少しで今日が終わる、というその思いしかなかっただろうところに、大きな物音がひびいた。こうれいの司教が、長机にたおんでしていた。


「司教様!」


 じゆうたちがり、司教を運んでいく。しつ室のとびらが開き、川の流れをめていたつつみくずれるように、きんちようが流れ出ていった。

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