大司教の手はわかったが、なお不可解な点が残る。町の兵士は市政参事会の指示がなければ動かないはずだし、自治都市であるアティフの市政参事会は町の都市貴族や大商人によって組織されている。その彼らはハイランドに共感を示していたのではないか?
それがハイランドの思い違いだったのでなければ、この事態を引き起こした鍵がなにかもうひとつある。
そして、そのなにかが、兵士の間からすっと前に歩み出た。
「あ、あなたは……」
ハイランドは息を吞み、自分も目を疑った。司教や大司教が一斉に椅子から立ち上がり、胸に手を当てて神への敬意を示す。兵の間から進み出てきたのは一人の壮年の男性であり、真っ白な僧服を身に纏っていた。そこには目も覚める真紅の染め抜きで、教会の紋章が描かれている。その服を身にまとう者は、あらゆる権力者から通行の安全を保障され、すべての法律から自由になる。
なぜならば、彼を縛るものはただひとつ。神の教えだけであるからだ。
なぜならば、彼は神の地上代理人、教皇の全権を委任されて世界を回る、教皇吏であるからだ。
「教皇の御名において告げる」
重苦しく、有無を言わせない独特の声に続き、一枚の羊皮紙が示された。
「ウィンフィール王国の提唱する思想を異端とみなし、神から賜った言葉以外で記され、聖典と称されるすべての書物を禁書とみなす。第百十七代教皇、アインメル・ディジール十七世」
遠くからではその羊皮紙に押された蠟印が本物かどうかわからない。
だが、教皇吏による勅許を偽装したとなれば、異端審問の列に並ぶのは大司教のほうだ。
本物なのだ。
「ハイランド以下全員を、神の名の許に捕らえろ」
兵たちが執務室になだれ込む。護衛たちは迎え撃とうと重心を低くしたが、ハイランドが手で制した。制すほかなかった。多勢に無勢だし、切り結んで負けたとなれば、どんな汚名を着せられるかわからない。血はなによりも雄弁に物事を語ってしまう。
それに、縄を持って近づいてくる兵士たちの顔つきを見たハイランドは、機敏に察していたのだろう。兵たちも心情的にはハイランドの味方であり、教皇吏の登場によって、どうしようもなく行動しているのだと。
ならばまだ逆転の芽はある。
そのためには、潔白であらねばならない。
「神は正しき者の味方だ」
捕らえられ、執務室から連れ出される瞬間、ハイランドは大司教に向けて言った。大司教は強張った顔つきのまま目を逸らし、打って変わって、教皇吏におもねりの笑みを見せていた。
自分たちは兵たちに連れていかれ、裏口から外に出されるとそれぞれ馬車に詰め込まれた。
表からそうしなかったのは、目立って民衆の怒りに火がつくのを恐れてのことだろう。
それから馬車は、狭い町の中にしては随分な距離を走っていった。ミューリは自分にずっとしがみついていたからだろうか、同情的な顔を隠しもしない兵の気遣いによって、同じ馬車に乗ることができた。手を握ってやりたかったが、後ろ手に縛られているためにそれもできない。
馬車はごとごとと音を立てて進んでいく。途中から石畳でなく、土を踏み固めた道に変わったのがわかった。ようやく降ろされると、辺りには畑や果樹園らしき敷地が広がっていた。
「町の、外?」
ミューリが小さく尋ねてくる。捕らわれた者たちがひとけのない場所に連れてこられれば、連想することはひとつ。しかも、おあつらえ向きに土は耕されている。
しかし、高鳴る動悸を抑えて辺りを見回してみれば、林の向こうに市壁が見えた。よもや、市壁の中でいきなり処刑はすまい。
「こっちだ」
兵士に縄を引かれ、馬車を回り込むと、ようやくほっとした。
そこには、都市貴族が構えているのだろう、田園地帯で見かけるような大きな屋敷があったのだった。