第四幕 ②

「君にこのことをだまっていたのはすまないと思っている。だが、ことが表面化するのはもっと先のことだと思っていた。王国には、教皇からけんされたすうきようが何人もこうしようのためにきている。かれらがいる間は絶対に動きはないと思っていた。あるいは、その油断をつかれたのかもしれないが……」


 のようにうごめくさくぼうに、からめ取られたのだろう。


「また、君がどこまで我々の理念に賛同してくれるかもわからなかったので、話せなかった。だましたような形になったことをびるほかない」


 湯屋の主人、元行商人のロレンスならば、頭を下げるのはタダだからいくらでも下げるのが商人のきようだ、と言うだろう。だが、ハイランドは王族の血を引いている。そんな人物が頭を下げるのは、演技ではありえない。


「ハイランド様、おやめください。ある程度の危険は承知のことです。それよりも、じようきようを打開することを考えましょう」


 ハイランドはそれでもなお頭を下げ続けてから、ようやく顔を上げた。


「それに関して、ひとつたのみがある」

たのみ?」

「ああ。今度こそ、そこのおじようさんにみつかれそうなたのみなのだが」


 ハイランドのつかれきったようなみにけば、ミューリがすごい形相でハイランドのことをにらみつけている。あの、連れみ宿にさそってきたむすめにらみつけるかのように。

 ミューリはいつかんして、ハイランドのことを信用していなかった。なにかかくしているはずだと。

 それは事実だったが、ハイランドの立場を考えれば理解できることでもある。自分は結局のところ、ニョッヒラの湯屋で働く下男にすぎない。秘密をぺらぺらとしやべるほうがおかしい。


「だが、その前にかくにんしなければならない。もはや話はニョッヒラでしたことと変わっている。これから先は、教皇のいが気にくわない、というだけのことではなくなってくる。君が私に協力すれば、君はウィンフィール王国に協力することになる。その意味はわかるか」


 教皇のいへの単なる批判者ではなく、教皇のけんそのものに敵対することになる、というわけだ。

 教皇は神の地上の代弁者であり、その教皇が支配する教会は、この世の正しさの基準を人々に知らしめる組織だった。そこには確かに、明らかなじゆんや、はいや、あくへいがはびこっている。それでもなお人々は足しげく教会に通い、寄付をし、聖職者を敬っている。それは千年以上、連綿と続けられてきたことだった。

 その強固な世界はぼうちようを続け、先の数十年では北の地の異教徒たちと激しい争いを続けていた。その結果はなしくずしとはいえ、教会側の勝利と言ってもよい形に落ち着いた。

 その過程でいくつもの国がほろび、土地の権力者が追放された。

 ウィンフィール王国は、そういうきよだいな機構と、いくさをしようとしている。


「危険で、おそらくは長く、激しい戦いになるだろう。しかし、想像してみてしい」

「想、像?」

「ああ。我々の手で、新しい教会を作れるのだ。ぞくほんやくされ、多くの町の人々が読める聖典を手にした聖職者が治める教会だ。不正やあくへいは大きく減るだろう。これまで見て見ぬふりをしてきたことや、どうしようもなかったことをいつそうできる。私があの湯屋でですぎたかぶらのようになった高位聖職者ではなく、君に声をかけたのはそれが理由だ。我々は、新しい世界を作りたいのだ。まんも、うそもない世界を」


 そんな世界が作れるものか、と余人ならば言うだろう。

 しかし、聖典を読んでみればいい。今の教会を作り上げた大本の預言者も、当時は今の教会よりも大きな、ゆがんだ教えがはびこる異教の地でおこったのだ。


「また、理想だけではない。我々はいくさに勝算があるとんでいる」


 ハイランドはろうの左右を見回し、こうに顔を近づけるとさらに声をひそめる。


「王国は島国だ。陸続きの北の地でさえ、大軍をけんするのは容易ではない。しかも我々は豊富な漁場と、造船技術を持っている。教皇の対応が早かったのは、我々の準備が完全に整うのをおそれていたからだ」


 アティフの港町にりくげされている大量の魚を見ても、その話の意味がわかる。北の海でれた魚は、深く内陸のしよくたくまで届き、なお余りある。められた上の、勝算のない戦いではない、という言葉には説得力がある。

 条件はそろっている。

 後は、立ち上がるばかり。


「コル、私は君の力をほつしている」


 ハイランドは、言った。


「そして、私は受けた恩は必ず返す。新しい教会は席にもゆうがあるはずだ」


 新しい教会設立の際は、便べんはかる、ということだ。その欲がないとは口がけても言えない。司牧の要に立つことは、それだけ多くの人を救うことでもある。

 それに、ハイランド、ひいてはウィンフィール王国が設立するという新しい教会の話はそれ以上にりよく的だった。もしもそれが実現されるのであれば、多くの人々が正しい神の教えにあずかれる。

 ただ、ひとつだけ気になったことがあった。


「ハイランド様、ひとつだけお聞きしたいのです」

「なんだ?」


 こんな問いは、ある意味ハイランドへの裏切りなのかもしれない。

 しかし、これまで続けてきた物の見方をひっくり返すのは、そう簡単なことではない。


「新教会は、これまでの教会をたおすのが目標ですか?」


 教会には悪いところもあるが、良いところだってある。自分は教会をふんさいしたいのではなく、ゆがんだ柱をまっすぐにしたかっただけだ。


「私はそうはしたくない。我々が新教会を設立すれば、教会も考えを改めるだろう。もう、教会は今のままでは永久に変わらない」


 その目に満ちているのはいかりですらなかった。

 のうをよぎるのは、教皇におもねる大司教のへりくだったみ。

 世の中はそう簡単に、変わらない。


「もちろん、変化の結果、人々が新と旧、どちらか気に入るほうの教会を選ぶような、そんな世の中がくればと思っている」

「……そうはならない現実を想定しているようにも聞こえます」

「完全なるしんこうの問題とはいかない。これは政治だからな。だから、我々がそうならないように全力をくす必要がある。だれかが前に進み出なければならないのだ」


 ハイランドの目が、まっすぐにいてくる。

 危険はある。

 だが、自分はかつて、その危険をかえりみずに村から飛び出したことがあった。

 そして、この世には信じる価値のあるものが存在するのだと感じた、あのしゆんかんを思い出す。


「私に、なにができますか?」


 そう言った、直後のことだ。


「だめ」


 それまで側で話を聞いていたミューリが、言った。

 そして、ハイランドとの間に割って入って、ぐいぐいとこちらを後ろにしてくる。


「だめ、協力しない。兄様はお前なんかに協力しない」

「ミ、ミューリ!?」


 たたらをんで体勢を立て直し、なんとかその体をき止める。

 すごい力で、本気だった。


「いい加減に……」

「いや、そのおじようさんの話も聞くべきだ」


 だれが言ったのかいつしゆんわからなかった。ミューリしに、ハイランドがほほんでいた。


「私はだれかを仲間にする時、だましたりおどしたりはもうしたくない。そういうのは、きゆうていで十分すぎるほど味わった」


 そのがおは女性かと思うほどやさしげなのに、目だけが冷たい硝子がらすのようだった。


「私にも血のつながっていない兄弟は山ほどいた。だが、したってくれたり相手をづかえるようなやさしい者たちは、死ぬか追放されたよ。生き残っているのは殺しても死なないやつらだけだ」


 貴族社会では、文字どおり血で血を洗う骨肉の争いが絶えないと聞く。王位けいしよう権がからめば、その比ではないのだろう。ハイランドの目を見てそのことを理解した時、どうしてハイランドがすさまじいまでの神学の知識を有しているのかもまた、理解できた気がした。あれは決してやきではない。それは、たましいの傷とえをいやすために、必要だったのだ。

 そして、無礼続きのミューリに、どうしてやさしい言葉をかけていたのかも。

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