第四幕 ③

「私には私の理由があって、神へのとりなしを求めている。君が兄を止めるように」

「……」


 足を止めたミューリが、こおりついたようにちんもくしていた。ハイランドはミューリがなぜこんないをするのかわかっているのだろうか?

 そのハイランドは、ろうを見やり、ころあいだと思ったのだろう。立ち上がると口早に言った。


「コル、君たちのもとにはデバウ商会がやってくるはずだ。その時に、私を助け出す算段も立てるようたのんでくれ。このままでは私はいくさひとじちとして使われてしまう。ウィンフィール王国はそれだけ不利になるし、私がいなければ新しい教会設立によこしまな意図がはいむかもしれない」


 しかし、ハイランドは仮にも王族の血を引く人物で、権力者への数多あまたあるではないか。

 なによりも、デバウ商会がなぜ自分たちのところにきゆうえんにきて、ハイランドのところに行かないことがあろうか、と思ったしゆんかんだった。


「デバウ商会は無条件には私を助けない。利益のてんびんをじっと見つめているはずだ」


 ハイランドとデバウ商会は利益で結びついている。ウィンフィール王国が教皇との争いで有利に事が運んだ際、デバウ商会は交易で特権を得る。だからデバウ商会はハイランドに便べんはかって協力していた。それはあくまでも利益の関係でしかない。だとしたら、教皇からたんとみなされ、市政参事会にらえられたとなれば、助けるに見合うなにかがなければならない。


「で、では、王国に助けを──」


 そうつのるのを、ハイランドはやさしげなみで制した。


「身内にはもっとたよれない。たよればおそらく、逆にかれらに暗殺される」


 鹿な、と思った。


かれらは私というひとじちもどすために教皇とこうしようするくらいなら、私を新教会の最初のじゆんきようしやに仕立て上げるだろう。きゆうていから敵を一人はいじよし、しかも民衆の支持をまとめる肥やしにできる。一石二鳥だとおどりするはずだ。だから、君たちで保険をかけるしかなかった。デバウ商会と深いつながりがあり、利益のてんびんえている君たちで」


 そのしゆんかん、ハイランドが自分のことをニョッヒラから連れ出した、最大の理由にようやく気がついた。

 ハイランドはデバウ商会と利益でつながっているが、自分たちはちがう。デバウ商会のいわばかげの立役者の身内として、ぐうされている。だからなにかが起こっても、採算度外視で助けてくれるだろうと、ハイランドはれいてつに、ニョッヒラでそう計算したのだ。その上で、自らの身に危険がせまった時には、そのを借りようともくんでいた。

 その計算高さをにくむ気はない。利用されていたのだと失望することもない。

 なぜなら、ハイランドのその苦しげな顔つきだった。くやしそうですらあった。

 ハイランドは身内にたよれないと言う。教会のしようろうに登りでもすれば、天気の良い日にはかすかに故郷が見えるような海沿いの町で、故郷のために戦っているというのに。

 ハイランドはそれ以上続ける言葉を持たなかったのか、なにかを思いきるように、立ち上がった。声をかける間もなく立ち去り、兵たちもあわててハイランドの後を追いかける。

 色々なことが頭の中に入ってきて、れつしそうだった。目の前には、ニョッヒラにいた時には想像もしなかったような難題が積み上がっている。正直、なにから手をつけていいのかすらわからない。

 だが、十年以上前、自分はどんな難題にもかんに立ち向かう行商人の側にいた。

 ロレンスならばどうするか、と考えた。

 なんであれ、目の前の問題から立ち向かうべきだ。


「ミューリ」


 ハイランドに何事かをかれ、ミューリはほうにかけられたかのように静かになっていた。ハイランドにかくごとがあったように、ミューリにもまたなにかがある。

 その名を呼ぶと、ミューリはハッと我に返って後ずさった。びっくりしたのか、姿勢をくずしてひっくり返る直前、こう状のとびらに背中が当たり、どんっと音が鳴る。

 あわててろうとしたが、ミューリの目に制された。

 それが敵意に満ちた、するどいものだったならば立ち向かえた。

 そこにあったのは、今にも泣き出しそうな顔だった。


「あ、あのきんぱつを、助けるの?」


 泣き落とし、といつしゆん思ったのは、ミューリが過去に何度でもその手を使ってきたせいだ。とはいえ、ミューリのうぶごえを聞いてから、今の今までずっと付き合ってきた。本気かどうかくらいわかる。

 頭が痛いのは、本気だからだ。


「ミューリ」


 もう一度その名を呼んでから、ため息をついてこしを下ろした。ミューリと同じ目の高さに合わせるのは久しぶりのこと。どうしても言うことを聞かない昔は、よくこうして説得した。


「あなたはとんでもないおてんですが、ホロさんゆずりで頭がいい。察しもいい。それに、本当はやさしいことも知ってます。ハイランド様の立場を知って、それでもなお、助けたくないと言うのですか? それとも、あの話まで作り話だと?」


 いつもの負けん気が鳴りをひそめ、ミューリは狼狽うろたえていた。もうひとししたら泣き出してしまいそうで、かみまでざわざわとうごめき出している。


「ミューリ、耳」


 言われ、ミューリはあわてて頭を押さえるが、押さえたまま背中を丸めてしまう。そのまま、だれにも見られないところにかくれたがっているように体を縮めていく。なにかよほどの理由があるのだろうとはわかるが、全く想像もつかない。

 しかし、問いかけても応えず、なぜ応えてくれないのかの理由も全くわからないようなやつかいな存在の相手をするのは慣れている。しかも、とらえどころのない神とはちがって、ミューリは確かに、そこにいる。


「あなたはハイランド様が湯屋に来てから、ずっとそんな態度ですね」


 しつけ棒で打たれているかのように、ミューリは背中を丸めていく。


「最初は、私がハイランド様の相手にいそがしいからくされているだけかと思っていましたが」


 ミューリはもうほとんど顔も見えない。


「この期におよんでまでというのは、ちょっとした気まぐれではありませんよね」


 深く、地中にもぐんだ根っこのように、なにかがある。


「それは、困っている人を見捨て、大きな目的さえ、あしにしてよいことなのですか?」


 そして、ミューリの様子を見れば、ミューリ自身が迷って苦しんでいるのがありありとわかる。それでもなお、ハイランドに協力するのを止めたがっている。

 ミューリが相手だからこそ使いたくなかったが、おくを出した。


「私の夢をどうしてじやしようとするのですか?」


 ミューリの顔が、頭をかかえるうですきからやりつらぬかれたようなものになった。

 目を見開いて、められたもののように体をこうちよくさせ、くちびるを引き結ぶ。いよいよ消えてなくなりそうなほど体を縮め、最後のぼうへきくずちる。

 そして、現れたのはいかりに満ちた目だった。


「そんなに……そんなに聞きたいのなら、本当に言うけど……いいの?」


 まさかはんげきされるとは思わず、たじろいでしまう。自分の身を守るように頭をかかえていたミューリのうでが、一転、中からすなにかをさえているかのようだ。

 ミューリが泣きながら弁明し、理由を言うのはわかる。そこをやさしく聞き、静かにさとす自分の様も想像できた。だが、開き直ったようなミューリが、おどしをかけてくるとは思わなかった。

 わけがわからずくしていると、ミューリはなおもつのる。


「絶対、絶っっ対に兄様は困るけど、いいの?」


 みように頭の良いミューリの作戦だろうか? こうしてきばき、こちらが引くのをねらっているのだろうか?

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