第四幕 ⑤

 人生は旅であり、旅は出会いと別れの連続なのだから。


「その……ハイランド様の話では、デバウ商会のステファンさんが私たちを引き受けにくるということでした。その時に、どうにかうしかないでしょう」

「自信は?」


 冷たく聞いてくるが、熱いなみだと共にすがられるよりかはましなのかもしれない。


「ありません。デバウ商会は商人の集まりです。こちらからわたせるものがなければ、こうしようには応じてくれないでしょう」

「あのきんぱつを助けろ、でないと死んでやるって言うのは?」

「私もそのくらいしか思いつきませんが、できますか? 舌をんで死ぬというのは、めいしんだと聞いたことがあります」


 たんけんたぐいも持ってきていない。


「……そもそも、あのきんぱつのためにそんなことしたくない」

「ステファンさんも我々がハイランド様を助けたいと思っている、と簡単に想像できるでしょう。がんきようていこうしても、あさぶくろまれてニョッヒラまで運ばれるのが関の山だと思います。それで義理を果たしたと言うでしょう。どうにか、どうにかこうしようまないと」


 デバウ商会はじゆんを追求する組織だ。しんこうや良心にうつたえても無意味なのは目に見えている。

 逆に、損得の話になれば食いついてくるのはわかっている。かれらはそのことにだけは、正直だった。

 しかし、もちろん自分にはもうけ話も、財産もなにもない。

 打つ手があるようには思えなかった。


「神よ……」


 首からげている教会のもんしようにぎりしめながら、うめくように言った。ミューリが無表情にこちらを見つめていたが、ここで神に悪態をつくようではしんこうのなんたるかを語れるはずもない。

 大きく息を吸い直し、もう一度頭の中を洗いざらい検討しようとした時だった。


「あのきんぱつを助けるだけなら、助けられるよ」


 無表情のまま、ミューリが言った。


「……それ、は?」


 ミューリはため息をつき、もそもそとむなもとをまさぐると、ひもつながれたぶくろを取り出した。

 母親のホロからわたされたという、麦のまったふくろだった。


「これがあれば、いざという時には兄様を助けられるって言ったでしょ?」

「まさか……」


 ミューリの母親のホロは、麦に宿るオオカミしんであり、少女ときよだいオオカミの姿を自由に行き来できる。だが、ミューリはオオカミに化けられなかったはず。

 おどろきの目を向けていると、ミューリはものすごくいやそうに言った。


「すごい練習したんだから……うまくできないと、母様、本気でおこるし」


 が子をせんじんの谷にとす、と故事にもある。

 オオカミでも同じなのかもしれない。


「けど、それもこれも兄様を守りたかったからで、あのきんぱつのためじゃない。いい? これは、兄様の夢のためにやるんだよ。兄様みたいなのは、夢破れたらきっと見てられないくらいんでしようすいするんだから。そんないんくさいやつがニョッヒラみたいなせまい村にいられたら困るの。それなら夢を追いかけて、遠い場所でへらへらしてくれてたほうがましなの。わかる?」


 あからさまに恩着せがましく言ってくるミューリの顔は、必死に自分に言い聞かせているようにしか見えない。多分、夢見がちなミューリのことだから、おくはこんなことに使いたくなかったはずだ。もっと、自分たちが絶体絶命の危機におちいり、竜を相手に戦うとらわれのひめを救い出すそのしゆんかんけつけるような、そんな場面で使うことを想像していたにちがいない。

 それでも、自分の手の中に道具があり、とびらを開けられるとなれば、力を貸してくれるのだ。たとえその先に、自分の望まぬ結果が待っているのだとしても。

 ミューリが自分のことを好いてくれていたのだと実感するのに、これ以上のことはない。

 じように力をめ、なにかをこらえているようなミューリの赤い目を見つめ返し、言った。


「わかってます。ミューリ。本当に……本当に、ありがとう」


 ミューリはなおも苦しげな顔をしていたが、ぷいっとそっぽを向いた。


れ直しても……いいんだけど?」


 ちらりと横目に見るその様は、本気なのかじようだんなのかわからない。多分両方なのだし、じようだんにするしかなかった。


「見直しはしました。あなたはわがままばかりですが、人助けもできるやさしい子なんだと」

「なにそれ!」


 ミューリはわかりやすくおこり、わかりやすく悲しんでいた。しかし、耳と尻尾しつぽは出てこない。

 自分の中で割りきってしまったのだろうとわかった。

 自分もそうしなければならない。


「でも、いましめを解いてしきから連れ出したその後はどうするの? みなで走ってげるの? 私は母様みたいに人を乗せて走れないよ」


 どうやら人をまるみにするような、きよだいオオカミになれるわけではないらしい。最良なのは海路でウィンフィール王国にむことだが、船を調達するのは難しい。かいきようわたれるような船となると、動かすのにたくさんの人の力がいる。

 あくきや、あるいはせいれいと呼ばれるたぐいの存在が世の中には思いのほかいるが、かれらが人の世に必死に適合しようとし、息をひそめて暮らしているのには理由がある。人の作り出した世は複雑で、もはや多少のわんりよくではどうにもならないことが多すぎるからだ。


「できれば船で、ウィンフィール王国にわたりたいのですが」

「だったら、あのだん様……じゃなかった、ステファンって人のしりにでもみつく? きっと船を仕立てることくらいできるよ」


 ぞうたちはステファンのことをだん様と呼ぶのだろう。


「いえ……おどして船を仕立てても、大司教や教皇に気づかれないはずがありませんし、気づかれればまずいことになります。ステファンさんにはなんの罪もありませんし、へたをすればデバウ商会の本体にまで問題がきゆうしてしまうかもしれません。私たちを連れて来た馬車がこのしきにありますし、それでげましょう。ハイランド様のがあれば、どこかの町から船で王国にわたれるはずです。あなたのことは、ニョッヒラに手紙を出して、ホロさんかロレンスさんにむかえに来てもらいましょう」

「……わかった。じゃあ、とにかくここにとらわれてる、あのきんぱつと仲間を助ければいいんだよね。おあつらえ向きに、日も暮れたことだし」


 てつごうの張られた木窓の向こうを見れば、ぼんやりと明るい町の中心と、かげのように背の高い建物のりんかくが見える。


「お願いします」

「うん」


 ミューリはホロからゆずけたというぶくろの口を開け、中から麦を取り出して口にふくむ。

 苦い丸薬でもむかのようにえんしてから、ふとこちらを見た。


「兄様」

「なんですか?」

「……あっち向いてて」


 ずかしそうだった。はだかを見られるのはよくても、けものに変わるところは見られたくないらしい。もちろんいなというわけもなく、後ろを向いて、りちに目もかくした。

 そして、ミューリが借り物の服を着たままであったことを思い出して、あわてていた時には、すでにそこに銀色のオオカミがいた。


『……いいよって言ってないんだけど。毛づくろいしたかったのに……』


 お洒落しやれにはうるさいミューリの赤い目が、じろりとにらんでくる。確かにホロよりかは小さいが、それでも森で見かけるオオカミよりも一回りは大きい。後ろ足で立ち上がれば、簡単にこちらの背はえてしまう。


「服を着たまま……と言おうとしたんですが」

『破いちゃったね』


 ミューリの周りには、服が無残に散らばっている。

 ホロから受け取ったという麦袋も落ちていたので、拾ってむなもとにしまっておく。


『けど、兄様がこわがらなくてよかった』

「ホロさんのオオカミ姿を何度も見たことがありますし」

『知ってる。母様の尻尾しつぽが大好きだったって』

刊行シリーズ

新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙XIの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙Xの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙IXの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙VIIIの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙VIIの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙VIの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙Vの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙IVの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙IIIの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙IIの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙の書影