第四幕 ⑥

 なんとなくずかしくて、せきばらいをしてしまう。


「それに、聖職者は元々オオカミおそれません。いにしえの聖人ヒエロンは、きようぼうオオカミの足にさっていたとげいたことで暴れるオオカミしずめ、以来、ぼくちくりの守護聖人になりました。絵にえがかれる時は、いつもオオカミいつしよです」

『兄様はそのくつっぽさが玉にきずだね』


 ばふ、と尻尾しつぽで顔をたたかれた。


『商会にある私の服はどうしよう』

「げほっ……服、ですか? 後で手紙を出しておきますよ」

『まあ、もういいんだけど。見せたい相手はいなくなっちゃうし』


 うらみがましい目つきを向けられ、きようしゆくするしかない。


じようだんだよ。兄様が悪いわけじゃないもの』


 ではだれが悪かったのだろう?

 その問いをかえすかのように、ミューリは体をぶるぶるさせた。

 そして、らしのようにこうみつく。


『ぐうぅぅぅ……』


 地をうような独特のうめき声と共に木のきしむ音がして、やわらかいチーズさながらにこうがひしゃげていく。


『ふんっ』


 最後に首を横にると、めき、とも、ばき、とも聞こえる音を立てて、ちようつがいがはじけ飛んでこうが外れた。ミューリは前足で口についたもくへんを取ってから、ちらりとこちらを見る。


めてくれないの?』

「すごいです」

『それだけ?』


 そう言って、大きな体をのっしのっしと近づけてきて、ごわごわの首筋の毛をなすりつけてる。でろ、ということなのだろう。見た目はおそろしいオオカミでも、中身はいつものミューリのまま。それに、大きいとは言っても現実的な大きさなので、町を連れて歩ける気がしないでもない。いつしゆん、ミューリを側にひかえさせ、聖典を片手に説教する自分の姿をおもえがいてしまう。

 そんな空想をかき消すように、わしわしと手で毛をいた。


れいな毛並みですね」


 なんの気なしに言ったら、ミューリは赤い目をこちらに向けて、きばく。

 うれしそうに笑ったのだとわかった。


「残りもお願いします」

『任せてよ』


 尻尾しつぽを一りすると、大きな体にもかかわらず、足音ひとつ立てずに流れるようにろうに出る。日が落ちてろうが暗いので、その様子に余計に現実味がない。

 ミューリはゆかにおいをぎ、迷いもなく歩いていく。

 そして、とつぜん走ったかと思うとろうの先の角を曲がり、直後に悲鳴がいつしゆんだけ聞こえた。

 すぐに静かになり、ミューリがもどってくると、その口にはかぎ束をくわえていた。


「……相手は?」

『おいしかったよ』


 思わず口元に血が付いていないか見てしまう。


『出会いがしらに顔をめただけ。さっきの音を聞きつけてかくにんしに来たみたい』


 いきなりくらやみでこんなオオカミと出くわして顔をめられたら、くつきようようへいだって気を失うだろう。


しきの中には、ほとんど兵の人がいないね。どこ行ったんだろう』


 顔を上げて、大きな鼻をひくひくとさせる。


『あのきんぱつは上の部屋かな』


 地下だと言われず、ほっとした。なんとなくだが、ごうもんは地下で行われる印象がある。


「では、そちらに」


 頭を低くし、静かに、ばやく進むミューリの後を追いかける。迷いなく進むので本当にだいじようなのかとはらはらしたが、確かにろうにはだれもおらず、しき内は静かだ。階段を上っていると、悲鳴ともうめき声とも聞こえるくぐもった声が頭上から聞こえ、また静かになる。階段を上りきると、ろうで兵が白目をいてたおれていた。側に火がついたままのろうそくと手持ちのしよくだいが転がっていたので、ろうそくしよくだいに立て直して持っていくことにした。

 ミューリはすでにろうの先、とある一室の前でこしを下ろしている。

 明かりに照らされると、なおさら置物のように見えた。

 ──ここですか?

 ささやくように言って、とびらを指差す。こうていなのか、尻尾しつぽが大きく持ち上げられて、ぱたりと下ろされる。とびらに耳を当てると、中から人の声が聞こえてきた。じんもんされているのだろう。

 ──とびらをノックするので、出てきたところをお願いします。

 ミューリは返事の代わりにすっくと四足で立ち、いつでも飛びかかれるようにぜんけい姿勢になる。そして、ノックをしようとしたが、ふとその手を止めた。ミューリが、げんそうにこちらを見上げてくる。

 ──ハイランド様があなたを見ておどろくかもしれません。

 ミューリは、じっと次の言葉を待つ。

 ──ですが、あなたのめいは必ず私が守ります。

 赤いひとみがゆっくりと閉じられ、再びぜんけい姿勢になる。

 大きく息を吸って、とびらをノックした。


「大変です! 御報告が!」


 さらにノックし、急の報をよそおった。すうしゆん躊躇ためらうようなふんとびらの向こうで感じられたが、もう一度とびらをノックすると人がから立ち上がる音がした。そして、とびらかんぬきが外されたそのしゆんかん、こちらから力の限りにとびらを開けた。


「っ!」


 すべてはいつしゆんのことで、けむりのようにミューリが部屋にはいんだかと思うと、すでにその兵士はミューリの大きなてのひらの下だった。


「ハイランド様」


 ミューリのわきをすりけて部屋に入ると、ぼうぜんとしていたハイランドがびくりと我に返っていた。


「コ、コル?」

「御無事で。助けに参りました」


 中心に簡素なテーブルがあるだけの、殺風景な部屋だった。ハイランドはしばられていることもなく、テーブルにはひとつのかめと、二つのコップが置かれていた。


「私は、まぼろしを見ているのか?」


 ミューリはとびらわきにおとなしくちんしている。ろうそくあかりのせいでかげく、せいこうな絵のようにも見える。


「神が我々につかわされたのです」


 堂々と言えば、それが真実になる。ハイランドも、そうなのか、とばかりにうなずいて、ほうけたようにから立ち上がっていた。しかし、そこはゆうかんそうめいな人物だ。おどろきが去ればミューリのことをおそれることもなくじっと見つめ、なにかに気がついていた。


「その赤い目……」


 ひやりとしたが、ハイランドは頭をった。


「いや、問うまい。がウィンフィール王国も、建国の際は黄金の羊に導かれたのだ」


 牧羊がさかんなウィンフィール王国には、全身を黄金の毛におおわれたきよだいな羊の伝説がある。

 その羊にかつての旅で出会ったことがあると言ったら、ハイランドは笑うだろうか。


「それに、私はろくでなしどもに囲まれて育ったからね。目を見ればたいていのことがわかる」


 ハイランドはおそれもなくミューリに近づき手をばした。


「良い目だ」


 ミューリは少し照れるように頭を下げ、ハイランドが毛皮にれるのを許していた。


「さて、せきに起きた。使命を果たせと神がおおせだ」

かぎはあります。お仲間を連れて町から出ましょう。それから、どこかの町で船を仕立て……」


 と、言葉のちゆうで口を閉じたのは、ハイランドの表情のせいだった。

 せきが起き、げられる、という喜びに満ちた顔ではない。

 そうな決意にいろどられていた。


「私はこの町を出られない。君たちと、部下でげてくれ。私の家にくしてくれた気の良い者たちばかりだ」

「それは、あの、ハイランド様、なぜですか」

「さっきの部屋からここまで来る間に、何人の兵とすれちがった?」

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