第四幕 ⑦

 とつぜんの質問にめんらったが、ハイランドは自分の知らないなにかを知っているらしい。


しき内に兵がいないのは、みなが町の中心部に向かっているからだ。デバウ商会の者もまだ来ていないだろう? それどころではないからだ。そこで転がっている者からは、町の者たちのために、ウィンフィール王国の賛同者の名前を出せと言われたよ」


 くと、ミューリもとびらわきで気絶している兵をちらりと見る。


「町では、ほんやく版の聖典を手に、教会を非難する人々が大挙して広場にしているそうだ。説得して回った職人組合や商業組合の者たちが、予定どおりに立ち上がってくれたのだろう。配下の気のあらい職人たちのきつけ方には、やや苦々しいものもあったが、あの赤々とした火は、そのいかりの火だ」


 この部屋からでも見える。おかの上の町は、くっきりと燃え上がっている。

 同時に、犬に司祭服を着せてぼうとくするようなことを、ハイランドが画策していなかったことにほっとした。自分の見立てに誤りはない。ハイランドこそ、人の上に立ち、正しさを導く人物だ。


「人数的には町の人々のほうが多いから、当初は優勢に進むだろう。しかし、勢いだけでさわぐ者たちは統制された兵たちに絶対に勝てない。こうちやくし、特にこれといった展開もないとわかると、息切れが起きる。明日の仕事があるから、という理由だけでほうちゆうで切り上げる農民ややとい人夫を過去に何度も見てきた。そのきんちようゆるみに兵の主力が投入されれば、一気にくずれる。何人かが見せしめにらえられ、明日にはつじにぶら下がる。お決まりの流れだ」


 ハイランドは貴族であり、領地をかかえる身。民衆のほうとその結末がどうなるのかは、よく知っているのだろう。


「多くが酒とふんあおられてさわぐ者たちだが、それでも少なくない数の人々が、本気でこうしているはずだ。大義は我々にある。人々はまっすぐに、じゆんすいに信じられる神の教えを切に求めている。だが、今のさわぎが制圧され、りんじんつじしよけい台の上でてていくのを見れば、こう思うだろう。ハイランドさえ、ウィンフィール王国のやつらさえ来なければ、と」


 そして、これまでどおりの生活が続く。なにも変わらず、少しずつあくへいが降り積もり続けるような毎日が。


「人々はおそらく、教会にまだ私がいて、大司教とやり合っていると信じている。その一助足らんとしてこぶしげている。その場に私がおらず、とっくにしていたと知らされたら、一体だれがこの後、我々の言うことを信じるだろう?」

「ですが」

「いいか、私が行けば、大司教や教皇は、民衆は私にそそのかされたと言うことができる。大司教も町の者相手には、れつは極力けたがっているはずだ。これからも町の名士であり続けたいと願っているはずだからな。だから、私だ」


 ハイランドは、言った。


「私があの場におもむき、大司教をきゆうだんしなければならない。このさわぎのしゆぼう者は私だと見せなければならない。せっかく助けてもらって、悪いのだが」


 最後にじようだんめかして、そんな言葉を付け加えた。もちろん、欠片かけらも笑えない。


「次は殺されますよ」


 教皇側はすでにたんちよつきよを出し、宣戦布告をしている。ハイランドが民衆の先頭に立てば、もはや灰色の決着はあり得ない。大司教がハイランドの要求を受け入れて教皇と対立するか。さもなくば、ハイランドを殺し、教皇側は断固じようしないと世間に知らしめるかしかない。

 ハイランドが現れれば、民衆のいかりは行くところまで行かなければ収まらないだろう。


「私が説得で勝てるとは思わないのかな?」


 ハイランドは笑っているが、なにも言葉を返せない。ただ、首を横にることしかできなかった。そのかんな行動力を、考えを収める方に向けられないものかといのるように。


「確かに、教皇が来た今、もう一つ、二つ、なにかあとしがしいところだが……なに、このままごうもんでも受けて、苦しみ続けるよりかはだいぶましさ。少なくとも、私は私の命の始末を自分の意志でつけられる。その後のことも、兄弟はいややつらばかりだが、好機を生かすうでだけは信用できる。さぞおおかなしみ、ついとうし、私の死を利用してくれるはずだ」


 なんの気負いもなく言ってのける。ハイランドがどんな生活をしてきて、どんなおもいで聖典を開いていたのかと思うと、胸が痛んだ。

 そして、ハイランドはそんな自分の顔を見て、うれしそうにほほんだ。


「さあ、事は早く進めよう。どうせ、教会前ではすでに私がげたとらされているだろう」

「なら、私も──」


 思わず身を乗り出して言ったところに、ハイランドは長いうででこちらの胸をした。

 余りに不意のことで、よろめき、後ろ向きにたおれ、やわらかくも力強い毛皮にぶつかった。

 受け止めてくれたミューリが、こちらのかたしにハイランドにうなる。


「神のつかいにきちんと聞いたのか? 行ってもいいかと」


 ミューリの大きな赤い目が、じろりとこちらを見る。


「そのオオカミごと来てくれたとしても、大変なさわぎにはくしやがかかるだけだろう。次はそこの兵士のようにうまく気絶させるだけでは済まない。人を殺すかくと、殺させるかくが必要だ。それでも自分の身を守れるかは、五分五分だろう。コル、私は君が血でけがれるのを望まないし」


 そのれいな毛皮がけがれるのもしのびない、と言った。

 ミューリはなにも言わず、じっとしている。ハイランドを静かに、見つめている。

 自分にはなんの発言も望まれていないと、痛いほどわかった。

 そして、ハイランドは困ったように笑う。


「コル、苦しませてすまない」

「そんなこと……そ、そうです、今こそデバウ商会のステファンさんにたのみ、ハイランド様の手伝いをするようにと──」

「コル」


 まるで自分がミューリをさとす時のようだった。


「残念だが、デバウ商会のステファンは大司教の味方だった。大司教がちよつきよ状のことを事前に知っていたのは、デバウ商会の快速船が情報をもたらしたからだと、そこでている者が教えてくれた。だから、助けは期待するな、とすごんできたよ」


 のうをよぎったのは、ミューリが昨日港で見たという、トンボのような船の話だ。日が暮れかけたところに、無理やり港に入ってきて、働いている者たちはなんしたと言っていた。


「おそらく、大司教となんらかの密約があって、特権かなにかをきようじゆしているのだろう。町のほとんどの者が敵対しているのに、ゆいいつ協力するからには、なにか実利がからんでいるはず。だから、協力はあり得ない。むしろ、配下の人員を使って各組合の長にさわぎをしずめろと圧をかけていたっておかしくない。教会に味方するべき建前を並べ立て、言うことを聞かなければこの先取引をしなくなるぞ、と言われれば職人たちは弱い。せいぜい、君たちをのがしてくれるのが関の山ではなかろうか。ああ、それから。鹿なことは考えないように。かれらは君たちがどこから来たのかを知っている。下手に動いて、ニョッヒラにわざわいがおよんでもいいのか?」

「っ……」


 言い終えると、ハイランドは深呼吸をして、ミューリにほほみかけた。


「この、今時めずらしいじゆんすいな神のしもべを、たのんだよ」

『ヴォフ』


 いかにもオオカミらしくミューリがえると、ハイランドはうれしそうにした。


「君たちに出会えた幸運を、神に感謝する」


 くつたくのない、やさしげながおだった。



 ミューリをあまり人目にさらすのはまずいので、自分とハイランドで手分けしてしきの部屋を回り、ハイランドのお供たちを解放した。集めてみると、その少なさに改めて気がつく。

 ハイランドがお供を連れてぞろぞろ歩く性格ではないにしても、信用できる人物がそもそも少ないのだ。

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