crack1.最強の先は弱くなるだけ ④
上空から周囲を探っているフォルテッシモから隠れつつ、彼は手のひらを己の胸に当てて、フォルテッシモに打ち込むつもりの衝撃波を自分に伝達させてみた。
すると――どくん、と心臓が大きく脈打ち、続いて全身の血管という血管にも同様の作用が広がっていった。
どくん、どくん、どくん――身体中のすべてが同じ鼓動を刻んでいく。無駄なノイズが一切なく、なにもかもが同じ方向を向いている。
(う、うお、うおお……!)
ミラーはこれまでの人生で一度も感じたことのない、異様な高揚に包まれていた。感覚が異常に研ぎ澄まされてきて、眼を閉じても周囲の様子が手に取るようにわかる。そして――敵が接近してくるのも感じる。
(完全に死角にいるのに、相手の様子が察せられる――空間それ自体を把握しているかのよう――そうか、これがフォルテッシモの鋭さの秘密か――)
四方八方、全方位が手に取るように理解できる。そして――その壊し方も。
(できる、俺はできる――ヤツと同じことができる……!)
ミラーはもう、隠れるのをやめて、物陰から堂々と姿を現した。
上空にいるフォルテッシモが、彼を見つめてくる。両者の視線が
(できる……っ!)
ミラーは音速に匹敵しようかという速度で敵に接近し、そして拳を突き出した。
空中のフォルテッシモの、その胸のど真ん中に、それは直撃して――そして、フォルテッシモの口が半開きになり、息を漏らしながら、
「――残念」
と呟いた。
しかしミラーには、それを聞く余裕はなかった。
フォルテッシモの胸に食い込んだ、彼の拳――その腕の、肘のあたりが砕けていた。
波動と波動のぶつかり合い、その反発――それが相手ではなく、ミラーの体内で起こってしまっていた。
腕は、彼の身体から分断されて、衝突の衝撃で吹っ飛んで、どこかへ落ちていってしまった。
「ぐおお――」
ミラーは空中でバランスを崩して、そのまま墜落していった。
頭から地面に激突して、そして――もう動かない。
「…………」
その様子を、フォルテッシモは冷ややかな眼で見下ろしている。
ふう、と吐息をついて、倒した敵の側にゆっくりと降下していった。
ミラーの死に顔には、驚愕が貼り付いたままだった。自分の身に起きたことを、
敵の完敗――そして己の圧勝。
彼我の差があまりにもあり過ぎる、それはフォルテッシモにとっていつもの光景でしかなかった。
「…………」
彼が無言でたたずんでいると、カチューシャがおそるおそる近くに寄ってきて、
「か――片付きました、かね」
と話しかけてきた。しかしフォルテッシモは返事をしない。
「報告は、私の方で済ませておきますので――お疲れ様でした」
「――――」
「あ、別に疲れるほどのことでもなかったですね。ははは。さすがでしたね」
「――――」
「ええと……後始末も任せてください。この辺りを一面、跡形もなく爆破しておきますので……」
と彼女が言いかけたところで、突然、
「……
と問いかけられて、カチューシャはぎくっと固まる。
「は……?」
「なんで、後始末などする必要があるんだ? おまえ、俺がなんかしくじっていたとでも言うのか?」
「いえそれは、そんなつもりはもちろんなくて、あの、万が一でも目撃者がいたらとか……いえいえ、そうですね。そんな必要はないですね。ははは」
カチューシャはしどろもどろになりながら、後でどう報告しようか、とすっかり困惑していたが、しかし今、この相手に逆らうことだけはできないのは確かだった。どういうつもりでこいつが後始末をさせたくないのか、なんでそんな無駄な意地を張るのか、その真意など考えてもしょうがない。
気まずい沈黙が落ちる……。
*
そして……そこからすぐに近くの、廃墟の一角で一人の男が、戦闘で飛び散った破片の側にやって来ていた。
羽衣石頼我こと、ポエトリー・アナトミーだった。
「…………」
彼はその破片を――たった今倒されたミラーの残骸を、その分断された手首を拾い上げた。
さながら、握手をしているような形で、その手を握りしめる。
そこに残留していた波動が――羽衣石に流れ込む――フォルテッシモとミラーの干渉し合った波動。その二つが反発し合って、干渉し合った結果、そこには特殊な第三の波動が生まれていた。
それがポエトリー・アナトミーの肉体に食い込んでいき、内側からその身体を造り替えていく――。
*
(えーと……どうしよう)
カチューシャがフォルテッシモ相手に気まずい沈黙に包まれていると、そこに――ひとつの人影が近づいてきた。その足音が聞こえた。
「ああ、ポエット――そっちは終わったのか?」
とカチューシャが振り返ったところで、彼女の身体が
そこに立っていたのは、味方ではなかった。
ついさっきまで完全に拘束されて、始末されるのを待つだけだったはずの女――サーチ・ショートだった。
彼女は、その手には対合成人間用の拳銃を握りしめていて――。
「うわあああっ!」
絶叫しながら、彼女はそれをこっちに撃ってきた。
「――?!」
カチューシャは突然すぎて、反応できなかった。弾丸は彼女の横を通り過ぎて、そして……隣の人間の胸を貫いた。
フォルテッシモに、命中した。
(え――)
カチューシャが虚を
(え――ええ?)
混乱しながらも、カチューシャは身に染みついた反射動作で、ほとんど自動的に反撃していた。
撃ってきた相手に、間髪
狙いを定める必要などない。彼女の能力の本領は、無差別の〝爆撃〟――破壊力と有効射程だけなら統和機構の中でも有数の実力がある。
サーチ・ショートは、自らの銃撃の反動で崩れかけた体勢を戻す余裕さえなく、自分が撃たれたことさえ認識する前に、全身を一瞬で粉砕されて、爆散し、双子の弟が死んでから、一分と
(い、いや――それより……)
カチューシャはもう、殺した相手のことなど眼中になかった。すぐに振り返って、たった今、撃たれた男を見た。
やはり、倒れたままだった……そしてその胸には、銃撃で貫かれた大きな穴がばっくりと
(な……なな……なんだこれは……?)
どうして、こいつが倒れているんだ、と彼女は困惑していた。こいつは絶対無敵で、誰にも傷ひとつ付けられたことはなく、世界最強の存在だったはずではなかったのか。現についさっきも、襲ってきた相手を問題なく一蹴したはずで、それなのに……
(なんで……なんでこんな、馬鹿みたいにあっさり、ふつうの人間みたいに撃たれて、倒れてんだ、こいつは……?)
「……? ……? ……?」
訳がわからず、思考停止に陥り、
「……ぐ」
と唇を動かしたかと思うと、そこから吐血した。がほほっ、と喉から異音が響く。
弱々しい動作で、震える手を持ち上げて、顔の前にかざして、どうやら血塗れであることを自分でも確認したらしい。すると……その表情に変化が生じた。
唇の端がぴくぴく、と
「ふ、ふふ――」
と吐息を漏らしだして、そしてすぐに、
「ふふ、ふふふふふ……!」
と笑い出した。それは奇妙に底なしに明るい、屈託のない笑い方だった。