crack1.最強の先は弱くなるだけ ⑤

「ふふははは、ははははっ……! はははははははは……!」


 空を見上げて、血を吐きながら爆笑している。


(な、なんなんだこいつ……おかしくなったのか……?)


 カチューシャは恐ろしくなってきた。するとフォルテッシモは薄笑いを浮かべたまま、


「おい……カチューシャ、とかいったな、おまえ……」


 と、かすれ声で彼女に話しかけてきた。


「え?」


 と彼女が訊き返すと、彼は彼女の眼をまっすぐに見つめながら、


「おまえ……俺を助けた方がいいぞ」


 と、奇妙に投げやりな調子で言ってきた。それは命令というよりも、忠告、というようなニュアンスで、必死さも切迫感もなかった。


「は?」


 思わずカチューシャが間抜けな声を出してしまうと、彼はうなずいて、


「俺が……ここで死んだら、おまえはきっと面倒な立場になる。ああ……きっとそうなる」


 と、やはり突き放したような、ごとみたいな口調で言った。

 言われて……カチューシャの顔色が変わった。


(……なんだって? いや……それは、確かに……)


 彼女の目の前で、世界最強のフォルテッシモがあっさりと死んだ……となると、その原因のすべての責任が、彼女に掛けられてしまうのではないだろうか。それはいったい、どのような事態を招くことになるのか――。


「…………っ!」


 カチューシャの顔色が真っ青になり、全身から冷汗が噴き出して、がたがたと震えだした。彼女にも、フォルテッシモが言っている意味がわかってきたのだった。

 全世界のパワーバランスが、一転する……そしてその責任を、彼女が一人で背負わされる――。


(じょ……冗談じゃない!)


 彼女が戦慄していると、また……近くで足音が響いた。

 びくっ、となって振り返ると、そこにいたのは……この殺気立った状況の中、あまりにも場違いな、廃墟散策が趣味なだけの、ただの少年。

 爆音から逃げた結果、逆にこっちに来てしまっていた臣井拓未だった。眼を丸くして、こっちを呆然と見ている。

 その姿を見て――カチューシャは、


(使える――)


 ととつに思いついていた。



「おい! そこの――臣井!」


 突然、自分よりも年下風の、フランス人形みたいに可愛らしい少女にそう怒鳴られて、拓未はびっくりしてしまった。


「え? え?」


 彼が立ちすくんでいると、その少女はずかずかと早足で接近してきて、その手を取って、


「臣井――だろ? おまえのおやを知ってる。おまえは私を知らなくても、おまえん家は、私の管理下なんだよ。統和機構の構成員なんだ、おまえの両親は」

「え? えええ?」

「おまえ、名前は?」

「た、拓未――」

「ようし拓未。私はカチューシャだ。おまえの助けが早急に必要だ。あそこに倒れている男を、ここからすぐに連れ出さなきゃならない。手伝ってくれ」


 カチューシャが指差した先で、さっき拓未が遭遇した男が負傷して、倒れているのが見えた。拓未は思わず悲鳴を上げてしまいそうになり、その口がカチューシャの手で乱暴に塞がれる。


「むがが」

「ビビっている暇はないんだよ、拓未――他のヤツに見つかる前に、あいつを隠さなきゃならないんだ。おまえん家に連れて行くぞ。両親ともに今、海外出張してるだろ?」

「……な、なんで知ってるの?」

「行かせたのは私だ。付近に他の構成員がいるとまずいことをしていたからな――なんでおまえが今、ここにいるのかは知らないが、どうせいたずらで忍び込んでいたんだろ? 臣井夫妻には、息子を使ってこそこそ調べるような野心はないからな――自慢じゃないが、私は人間を鑑定するのが得意なんだよ」

「え、えと――」

「いや、そんなことはどうでもいい――とにかくあいつを運ぶのを手伝え。いいな?」

「ううう……」


 カチューシャの切羽詰まった勢いに、拓未は反論することができなかった。

 倒れている男のところに連れて行かれて、その肩をかつがされる。びくびくしながらそいつの顔を見ると、にやりとほほみかけられて、


「よう――ご同輩」


 と話しかけられた。なんだかそいつは、重傷を負っているはずなのに、妙に楽しそうに見えた。



 羽衣石頼我がその現場に到着したときには、既にフォルテッシモとカチューシャの姿はなかった。ただ、瓦礫の山におびただしい血痕が残されていて、何が起こったのかは明白だった。


「…………」


 彼は周囲を見回し、離れたところで粉じんにされた遺体らしき痕跡を見つけて、かすかにうなずく。


(良かったな、サーチ・ショート……せめて一太刀は浴びせられたんだからな)


 彼は、自分が彼女にわたした銃は完全に破壊されて、消失したことを確認し、それから携帯端末を取り出して、緊急回線で、全世界の統和機構関係者すべてに通知を送った。


〝A級特殊事態が発生。フォルテッシモが反逆者ショート姉弟と相討ちになり、行方不明。任務に同行していたカチューシャも同様に消息不明。フォルテッシモの能力が消滅した可能性が極めて高いとみられる――〟


 彼はこれを、まったく平静な表情で実行している。妙にさっぱりとした顔をしている。その右手を何度か握ったり、開いたりしている。それは彼がミラー・ショートののこされた手首から〝なにか〟を吸い取ったのを、さらに身体にませているから、であろうか……。



 ……その通知は、その男のところにも当然届いていた。


(なんだと……フォルテッシモが……?)


 その男はやたらに、顔にしわが刻まれている。特に眉間の皺が縦に深い。しかしほうれい線はまったくといっていいほどない。笑顔、というものを人生で一度もしたことがなく、ずっとしかめっつらをし続けていたら、そういう顔になるのではないか。

 ジッタリン・フィジティンは統和機構の中でもかなりの高位にあるが、いわゆる戦闘能力という点ではほぼ皆無である。この合成人間は、組織内で直接反逆者を始末するギノルタ・エージの監察部門と対になる、分析部門を担当している。その仕事はとにかく日々、ひたすらに大量の情報を収集し、解析することにある。以前と比べて、なにか不自然な変化が生じていないか、奇妙なズレがあるのではないか、そこに人類の敵となるMPLSの兆候があるのではないか――ひたすらにその研究をし続けている。頭がい、というのとも違う、情報処理能力だけに特化した特別な頭脳を有している。彼が指揮を執っている同種の分析担当者の数は数千を超えるが、その全員にひとりひとり個別の指示を出し続けていて、決して重複しない。世界を裏から監視し、支配している怪物たちの一人だ。

 そのジッタリン・フィジティンの顔に、いつもよりもさらに深い皺が刻まれていた。奥歯がガタガタと鳴っており、身体中が小刻みに揺れている。


(なんだそれは――どういうことだ……あいつが能力を喪失しただと? あの忌々いまいましい傲慢なエゴイストが、か……? 本当にヤツが……だとしたら最高だが……)


 ジッタリンは、参考にするためにありとあらゆるデータを洗い直してみたが、しかしポエトリー・アナトミーからの報告以外に、その情報の裏付けを取ることはできなかった。そして何よりも……


(行方不明――行方不明だと? 死んでいないというのか? あいつは、まだ生きていると?)


 ぎりぎりぎり、と今度は噛みしめられた奥歯がきしみだした。


(いかん……いかん! もしもヤツが回復でもしたら、せっかくの機会が失われる……ヤツは今すぐにでも、ここで世界から消滅しなければならない!)


 彼の上役に当たる〝アクシズ〟からはまだ、何の指示も来ていない。ということはこの件に関して、彼は何もするべきではないという判断がされているのだろう。しかし――。

刊行シリーズ

ブギーポップ・パズルド 最強は堕落と矛盾を嘲笑うの書影
ブギーポップは呪われるの書影
ブギーポップ・オールマイティ ディジーがリジーを想うときの書影
ブギーポップ・オーバードライブ 歪曲王の書影
夜明けのブギーポップの書影
ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーターPart2の書影
ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーターPart1の書影
ブギーポップは笑わないの書影
ブギーポップ・ビューティフル パニックキュート帝王学の書影
ブギーポップ・ダウトフル 不可抗力のラビット・ランの書影
ブギーポップ・アンチテーゼ オルタナティヴ・エゴの乱逆の書影
ブギーポップ・チェンジリング 溶暗のデカダント・ブラックの書影
ブギーポップ・ウィズイン さびまみれのバビロンの書影
ブギーポップ・アンノウン 壊れかけのムーンライトの書影
ブギーポップ・ダークリー 化け猫とめまいのスキャットの書影
ブギーポップ・クエスチョン 沈黙ピラミッドの書影
ブギーポップ・イントレランス オルフェの方舟の書影
ブギーポップ・バウンディング ロスト・メビウスの書影
ブギーポップ・スタッカート ジンクス・ショップへようこその書影
ブギ-ポップ・アンバランス ホーリィ&ゴーストの書影
ブギーポップ・パラドックス ハートレス・レッドの書影
ブギーポップ・ウィキッド エンブリオ炎生の書影
ブギーポップ・カウントダウン エンブリオ浸蝕の書影
ブギーポップ・ミッシング ペパーミントの魔術師の書影
夜明けのブギーポップの書影
ブギーポップ・オーバードライブ 歪曲王の書影
ブギーポップ・イン・ザ・ミラー 「パンドラ」の書影
ブギーポップ・リターンズVSイマジネーターPart.2の書影
ブギーポップ・リターンズVSイマジネーターPart.1の書影
ブギーポップは笑わないの書影