二章 ①
首都バルガ。品のある書斎の窓から見える空は、重たい雲が流れていた。部屋にたたずむ一人の男は金の髪をかき上げて、荒い吐息を溢した。
「まったく。嵐の丘も第四師団も使い物にならんな」
そう言って片手に持った電報の紙切れを握り潰すと、彼は猟奇的な目つきで振り返る。その視線の先には、見事な軍服を着た少年が立っていた。
らんらんと光る明かりの下で、彼もまた主人と同様に血を好む目を上げる。
「所詮、事情も知らぬ末端の駒ですよ。屑らしい仕事っぷり、という事ですかね」
青色をした長い前髪を揺らし、少年は憎たらしげに呟く。それは皮肉や悪口という類いではなく、本心からの言葉だったらしい。
しかし、彼の主はその悪態に釘を刺す。金髪の男は少年の言葉を聞いて目を見開いた。真っ赤な瞳が少年に向けられ、彼は少しだけ表情を濁す。
「愚鈍な屑どもでは仕事もままならん。お前が行け」
「よろしいのですか?」
疑問を問いかけていながら、少年は今にも歯を見せんばかりに口角を上げた。金髪の男は腹立たしげに鼻息を出し、握りつぶした紙を屑籠に投げ捨てた。
「構わん。予定通り事が進めばそれに越したことはない。だがこれ以上、猶予が無いことも事実だ。抵抗するようであれば殺せ。それでも結果としては十分だ」
主の命令を聞き、少年はその場で深々と頭を下げた。そして粘着質な笑みを浮かべる。
「確かに。事は主のお望み通りに」
オーダーを聞き入れ、少年はすぐさま部屋を後にする。彼の嬉々とした背中を見送った金髪の男は、憎々しげに呟いた。
「屑は屑同士、潰し合うといい。そのための首輪だ」
***
シェルンの街は帝国内でも有数の交通拠点だ。鉄道、港運、道路、航空といったあらゆる公共交通機関が集中する近代都市だった。
ツシマは通り沿いに並ぶ公衆電話で電話をかけ終えて、受話器を戻した。綺麗に舗装された片道三車線の道路。真っ直ぐに延びる道路沿いには石造りを模した近代的な建物が立ち並ぶ。
行き交う人々はどこか民族的な雰囲気を持ちつつも、スーツやコートといった服装が目立った。
「ツシマー。こんな感じになったんだけど、どうかしら?」
人通りの多い道の上で、ツシマは呼び止められた。徐に咥えていた煙草を箱に戻して振り返ると、学生服調のプリーツスカートに彩飾の入ったブラウス姿のホーリーが立っていた。
「ちょっと学生みたいでいいでしょ。着てみたかったのよね、こういう服」
似合っているかどうかはさておき、本人はご満悦の様子だった。
確かにホーリーの年齢であれば一度は学生服に袖を通すのが一般的ではある。一般庶民に憧れる貴族というのは珍しいが、こういった趣味嗜好もあるのだろう。
ツシマは彼女の姿をまじまじと見つめる。
「服装はいいが、目立ちすぎだ。無駄に容姿が良いせいか。面倒だな、パーカーかコートか、カーディガンか、何か重ね着をしろ」
「嫌よ。折角可愛い服にしたのに。それに何よ、無駄に容姿が良いって。褒めてるの? けなしてるの?」
「どっちでもない。単純に目に付くと言っただけだ」
確かに、ホーリーの容姿は日の下で見ればさらに美麗になった。モデルさながらのプロポーションに、整った造形の顔つき。色白の肌に、瞳の青は晴天の空を思わせる透明度だ。やたらと目立つ、嫌な警護対象そのものだった。
「あの店で身体のラインと髪、それに顔を隠せるような上着を買ってこい。デザインはなるべく目立たない物を選べ」
ツシマは注文を付け加えつつ、ポケットからしわくちゃの紙幣をホーリーに手渡す。彼女は不満気にそれを受け取ると、なぜだか紙幣を握ったままその場に立ち尽くしていた。
「どうした?」
「そんなに注文付けるならツシマも一緒に来ればいいじゃない。どうして私一人で行くのよ」
「服を選ぶセンスがなくてな。条件さえ合えば、お前の好きなように選べばいい。それだけのことだ」
「確かに、ツシマってそういうセンスはなさそうよね」
ホーリーはツシマの服装を足先から首元にかけて観察した。彼女は大きく息を吐き出し、肩を落とすと「まぁ、いいか」と言い残して店へと駆け出していった。
ツシマは彼女の背中に念押しの言葉をかける。
「おい、好き勝手に服を買うのは良いが、要件を忘れるなよ」
彼の声にホーリーはスカートの裾を靡かせながら振り返る。
「同じ物をもう一着買え、でしょ? 分かってるわよ!」
子供ではない。いちいち要件の確認をしてくるな、と言わんばかりにホーリーは言い返してくる。そして最後に小さな舌先を突き出して店の中に駆け込んでいった。
ツシマはなんとも言えない気持ちを感じつつ、一度しまった煙草を咥え直す。火をつけると、漂う煙に通行人の何人かが嫌悪感をあらわにツシマのことを睨みつけていった。
「よう。こんなところで待ち合わせとは、お上も驚きだろうよ」
ちょうど煙草がフィルターを焼き始めたころ、ツシマに声をかけてくる男がいた。大きな体格に黒い肌。ツシマとは対照的にオーバーサイズのカジュアルな服装をした男は白い歯を見せて笑っていた。
「久々だな。ジョー」
「その名前で呼ばれるのは何年ぶりだろうな。一応、裏の仕事からは足を洗ったんだぜ」
「悪いな。また裏の世界に足を戻させて」
「そんなこと言うなよ、ブラザー。あんたから連絡が来るなんて珍しすぎてパンツがびしゃびしゃになったぜ」
陽気に笑う男は通称ジョーと呼ばれる男だった。昔、ツシマがまだこの国にいた時に付き合いのあったエージェントの一人だ。
久々に聞くジョーの軽口に、ツシマは懐かしさを含めて微笑み返す。
「で、荷物を運んでるんだって? どこにある?」
「ご機嫌にお買い物中だ」
「買い物?」
ジョーがツシマの視線をたどって店の方に視線を向ける。そして、呆れたように首を振った。
「荷物ってのは、あのお嬢ちゃんの事か?」
「そうだ」
「こりゃ、他の準備も必要そうだな」
「だからお前に頼んだんだよ。報酬は約束通り、前金で半額支払う。準備に金が必要ならまだ上乗せできる」
ツシマはそう言うと、ジャケットの裏から札束のぎっしり入った封筒をのぞかせる。ジョーはそれを見ると茶化すように口笛を吹いた。
「そんだけの金が出せるって、あのお嬢ちゃん何者だ?」
「さぁな。それを知ったところで、俺たちのするべきことは変わらない」
「依頼を遂行するだけ、ってか。素っ気ねぇな。あんな美人を連れて下心はこれっぽっちもないってのか?」
「馬鹿言え。美人でもガキはガキだ」
ツシマは鼻で笑うと新しい煙草を咥えて火をつけた。煙を吹かしながら店の中で鏡に向かって服を合わせているホーリーを眺める。
ジョーはその視線の先をたどり、「あ~あ」とため息のような声をこぼした。
「お互い年取ったな。昔はあんたがあのくらいの年だったのによ」
ジョーの言葉には、表には出さない別の意味がこもっていた。
どうしてもあの年頃の少女を見ていると、思い出してしまう。いつもツシマの隣にいたあの少女の姿を。
「思い出話はまたの機会にしよう。ここからはビジネスの話だ。電話で話した例の人形のことだが」
ツシマが途中まで話すと、ジョーが割り込むように彼の前に人差し指を突き出した。
「もちろん準備は万端さ。何より聞いて驚くなよ」
前置きにしてはやけに自信満々に語ると、ジョーはこれから見せる道具について意気揚々と説明を始めた。
***
シェルンの街の中央には、バルガ帝国全土に広がる鉄道網の中心である巨大な鉄道駅がある。駅はレンガ造りの旧館と、曲線を多用した近代的な新館が融合した素晴らしいデザインをしていた。
吹き抜けの高い天井が印象的な館内では、多くの人が歩き回る。その中央には巨大な広告モニターが煌びやかに輝いていた。
『シェルン駅へようこそ。当駅は帝国全土に延びる全ての鉄道の拠点となっております。お困りの際はこの制服を着た職員へお声がけください』
この国で有名な女優が駅職員の制服を着て微笑んでいた。バルガ帝国のプロパガンダによく利用されている女優だ。
ツシマは帽子を目深に被ったホーリーの手を引いて、モニターの前を横切った。
「視線は常に床に向けろ。周囲は気にしなくていい」
ホーリーの手を引きながらツシマは足早に歩いていく。彼女の歩幅に合わせた最速の早歩きで、ツシマは周囲に視線を配る。
さっきから数人の男が目に付く。完全にプロの動きでこちらを尾行してきている。どの段階で位置が特定されていたのかは分からない。しかし、徐々に包囲網を狭められていることだけは確かだ。
「少し急ぐ。足元に気を付けろ」
ホーリーに語り掛けてツシマはさらに歩調を速める。
二人が乗る予定の列車が出発するまで、残り三十分を切っていた。
背後からは三組の追手が人ごみに紛れながら、確実に二人を追い詰めてくる。
どこか見晴らしのいい場所から監視している人間がいるに違いない。ツシマは視線を上げて駅内を見渡す。
レンガで組まれた柱や、頭上を跨ぐように延びる金属の梁に設置されている監視カメラが目にとまる。
「あれか。これは、どうあがいても追い込まれるな」
目に見える追手は鹿狩りの犬のようなものだ。連中はわざとツシマに存在を気づかせて追い立てている。仕留め役は別にいるはずだ。
ツシマはホーリーを連れて改札を抜ける。すると他の男たちが踵を返して人ごみの中に消えていく。
スイッチだ。
駅構内に前もって配置されている仲間と尾行を切り替えたのだ。
他の尾行班が傍にいるはずだ。周囲を素早く見渡し、ツシマは向かうべき先にいる数人に目がとまる。人込みの合間から見える彼らの視線は、真っ直ぐにツシマへ向けられていた。
「乗る列車も調べが付いてるか」
彼らは、ツシマを見つけるとこちらへ向かって来た。ツシマは背を向けて正規のルートを断念する。
売店の横を抜けて、清掃員が出てきた銀色の扉へ体を当てる。それは従業員通路への扉だった。
アルミ製の軽い扉を押し開けると、無機質で飾りのない従業員通路に出る。通路の先から気配を感じたツシマは一度足を止めた。
通路の角から姿を現したのは、ただの職員だった。ツシマはすぐに歩調を戻す。職員は彼を見ると困惑した表情を浮かべつつ歩み寄って来た。
「すみません。ここは従業員用でして」
職員は申し訳なさそうな口調で言ったが、ツシマはお構いなしに彼との距離を詰める。そして、目にも留まらぬ速さで職員を組み伏せて失神させた。
職員を床に優しく横たわらせ、彼の胸元に付いた無線を開く。
「不審な男たちを発見。従業員通路三の四、入り口付近だ。援護を要請する」
砂嵐の向こうから数人の返答を確認し、ツシマは再びホーリーを連れて先に進む。その背後で荒々しく扉の開く音が聞こえた。追手の男たちだ。
ツシマは振り返りもせず、一番近くの角を曲がった。追手にあえて背中を見せたのには理由がある。
追手の男たちは標的を前にして懐の拳銃を抜こうと構えた。その瞬間にツシマと入れ替わるように別の通路から応援の職員たちが駆けつける。
「不審者を発見! 確保する」
ツシマの思惑通り職員たちが互いに連絡を取り合う声が聞こえてくる。一人の職員が倒れているのを見て、彼らも本気で追手の男たちと対峙し始めた様子だ。
これで多少の時間稼ぎは出来る。ツシマは事前に頭に叩き込んだ館内の地図に従って、とある部屋の前で立ち止まった。
鍵のかかった部屋の錠を焼き切り、扉を強引に開ける。
「よし。お前は今から指示する列車に乗り込め。なるべく人込みを利用しながらだ。いいな」
ホーリーに指示を出すとツシマは切符を手渡す。行き先は首都バルガ。予定している列車のものだ。
一枚だけの切符を受け取り、ホーリーは頷いた。そしてぱたぱたと足音を響かせて走り去っていく。その背中を見送り、ツシマは先ほど開けた部屋の中に姿を消した。