二章 ②
第四師団の男たちは、従業員通路に消えたツシマたちを追っていた。監視カメラも従業員通路にはつけられていない。当然ツシマはその事を知ったうえで、道を選んでいるはずだ。
司令部では現場の尾行班と無線連絡を交わしながら、複数並ぶ画質の悪い監視カメラの映像を睨んでいた。従業員通路の構造を確認した彼らは、全ての尾行班を出口に配置した。
その判断のおかげもあり、現場チームはすぐにホーリーの姿を見つける。
無線がノイズとともに状況を伝えてきた。
『こちらC班、標的を確認。追います』
「了解。まだ殺すな。人気のない場所まで追い込め」
男たちの冷徹な口調に迷いは一切ない。
「同行者の位置を特定しろ。まだ駅内にいるはずだ」
司令塔となる男の声が無線に乗る。
『こちらF班、同行者を確認。標的とは別の方向へ移動しています』
「了解。油断せずに追尾。標的に近づくようであれば殺せ」
司令官の命令にF班は短く答え、ツシマの姿を追いかけ始めた。
列車の発車まで残り数分という時間にもかかわらず、ツシマは明後日の方向に向かっていた。司令官は彼らが二手に分かれたという行為と、ツシマの行動に違和感を覚える。
「なにか妙だ」
司令官が、疑問と共に顔を上げる。その視線は駅の監視カメラの映像だ。
目の粗い画面には、人込みを避けながら進んでいくジャケット姿の男が映っている。司令官はしばらくその背中を見つめながら、はっと気が付いた。
歩き方の特徴が微妙に異なっていた。ツシマにはどこか気怠さを匂わせる動きと合わせて、奇妙なほど警戒心を見せる視線の動きがある。
しかし、映像に映っているツシマにはその動きがない。司令官は無線を開いて声を荒らげた。
「F班。そいつは別人だ!」
司令官の叫びと時を同じくして、突然ツシマの服を着た人物がその場に倒れ込んだ。駅の構内が一斉にざわつき、人の波が裂けていく。はっきりと床が見えるほど開けた空間の中心に横たわったツシマを見て司令官は目を疑った。
どうやら一杯喰わされたらしい。ツシマらしき人物は、徐々に表皮が青い発光と共に剥げていく。その下から現れたのは人の骨格を模した金属製の人形だった。
偽装人形――複数のコードを組み合わせて作る高度な道具であり、非常に高価で滅多に世間に出回らない道具である。
「情報師め!」
司令官は忌々し気に叫んだ。
はじめからこの展開を想定した上で準備されていたに違いない。
司令官は悔し気に無線に告げる。
「F班は尾行を中断。奇襲に注意しながら撤収準備に入れ」
先んじて迎え撃つ準備を進めていたはずの第四師団だったが、蓋を開けてみればツシマの手のひらで踊らされていた。その事実に司令官は焦りを見せる。
しかし、その焦りに拍車をかけるように現場からの報告が入る。
『標的が列車に乗り込みました。どうしますか?』
「同行者は標的の周辺に隠れている可能性が高い。尾行班は全員、標的の付近に集合しろ。全員で列車に乗り込め。絶対に逃がすな」
司令官はモニターに映し出されるホーリーの背中を睨みながら、強気の指示を出した。
命令に従って発車直前の列車に尾行班たちが飛び込んでいく。その数は二十人を超え、あっという間にホーリーの乗車する車体は包囲される。
列車は駅内のアナウンスに従い、定刻に発車した。尾行班の全てに厳重な警戒を言い渡し、司令官は報告の無線に耳を傾ける。
『発車しました。これから行動に移ります』
部下たちの判断にゴーサインを出し、司令官は固唾をのんで彼らの動きを見守った。
列車の中は個室になっている。共有スペースの通路を厳つい男たちがゆっくりと進んでいく足音が聞こえてくる。一同が一つの部屋の前に集まった。もうどこにも逃げ場などない。
合図を交わした直後、一気に部屋の中に男たちがなだれ込む。そして消音機のついた銃声が何度となく続いた。
発砲音が止み、しばらくの沈黙が流れる。何かを掴み上げるような音が、司令官の胸に一抹の不安を呼び起こす。その不安はすぐに現実のものになった。
『やられました。これも、囮です』
客室の中で横たわっているであろう偽装人形を思い浮かべ、司令官は荒々しく机を叩いた。
「総員撤収準備。我々の仕事はここまでだ。あとは彼【傍点、】に任そう」
司令官は同じ部屋に居合わせる仲間たちへ目配せをする。そして憎々し気に虚空を見上げて呟いた。
「まったく、不本意ではあるがな」
***
『この列車は寝台特急シュビランド経由、タンセン行きです。乗車には乗車券の他に寝台特急券が必要となります』
車掌のアナウンスが流れる列車は、すでに都市部を抜けて運河沿いの田園風景の中を走り抜けていた。モダンな造りをした車内では乗り合わせた多くの乗客たちが思い思いに時間を過ごしている。
その一角、数人掛けのボックス席に座る一人の老婦人が車掌を見つける。
「すみません。この切符なんですけれど」
取り出した切符を掲げて老婦人は車掌を呼び止めた。しかし車掌はどこか冷たい目をしている。車掌は老婦人を見下ろすと、切符を持った彼女の手を押しのけた。
「悪いが、別の車掌に聞いてくれ。俺には分からない」
「え~っと、それはどういう意味でしょう?」
老婦人は丁寧に聞き返した。だが、車掌は何も答えず帽子を脱いで前髪を揺らす。その車掌は、ツシマだった。
「車掌はやめだな。妙な誤解を招く」
ツシマの独り言に老婦人は首をかしげる。彼女の態度を置き去りに、ツシマは僅かに開いた窓の隙間から帽子を放り捨てた。そして老婦人の視線に肩をすくめてその車両を立ち去っていく。
彼は追手から逃れるために駅員の制服を盗んで着ていた。加えて他に準備していた陽動もうまく機能したらしく、ツシマを追う人物は誰一人としていなかった。
制服のネクタイを無理やり緩めつつ、ツシマは予定の車両に向かう。車両の連結部分に到着すると、アナウンスが響いた。
『次の停車駅は東シェルン駅、まもなく停車します』
寝台特急はゆっくりと速度を落としていく。巨大なシェルン駅から東に二十キロほどに位置する東シェルン駅。シェルン駅とは対照的な野ざらしのホームが車窓に流れた。
数人の乗客がいる中で、見覚えのある二人を確認してツシマは安堵した。列車の扉が開くと、彼は顔を出して合図する。
ホーリーは一足先にジョーの車でシェルンを出ていた。ツシマ単独で第四師団を攪乱し、この東シェルン駅で合流する手はずになっていたのだ。
ツシマの姿に真っ先に気が付いたジョーが手を上げて近づいてくる。
「よう! 首尾はどうだ?」
「連続駆動時間がやたら延びたな。感心した」
「だろ? お前と会わなかった十年間に改良を重ねたんだよ」
嬉しそうに笑うジョーがわざとらしく胸を張った。ツシマも口元を緩めて「十年は言い過ぎだ」と溢した。
駅で囮に使用した偽装人形はジョーお手製の品だった。おそらく偽装人形の製造では世界有数の才能を持つジョーにしか作れない特注の道具だ。
仲良さげに言葉を交わす二人だったが、隣に立つホーリーは不満気だ。そういえば彼女には作戦の詳細をまともに話していないことを思い出す。
ツシマは少し気まずそうに咳払いを挟んだ。
「それで、大丈夫なの?」
ツシマと視線が交わり、ホーリーは言った。
「予定通り順調だ。後はこいつに乗れば、明日には中海に着く」
青い車体の列車を叩き、ツシマはホーリーに手を差し伸べる。
「だったら、別にいいけど」
どこかまだ不満を残しながら、ホーリーは彼の手を掴み、列車に飛び乗った。
そんな二人のやりとりを微笑ましげに眺めていたジョーは、ツシマの車掌姿を見て大袈裟に手を叩く。
「あぁ、そうだ。コイツを忘れるところだった。トレードマークのジャケットだ」
そう言ってジョーは手に持った荷物からジャケットを取り出す。
「いつまでも車掌姿って訳にはいかないからな。助かる」
「あぁ。でも、その格好も悪くないぜ」
お得意のジョークを織り交ぜてくるジョーを見て、ツシマは苦笑いを返した。そしてその場で服を着替えると、ポケットから金の入った封筒をジョーに投げて渡す。
「約束の報酬だ。これでしばらくどこかに身を隠せ。いつかまた、お前の世話になるだろうからな」
「おいおい。約束より多くないか?」
「今、言っただろう。また世話になると」
「その手付金ってか? 良い根性してるぜ。お前も気を付けろよ」
列車が出発を告げる汽笛を上げる。ホームに残されたジョーは、最後に少し名残惜し気に二人を見た。
「お前が仕事なのにここまでするとはな。なんだか、懐かしい目つきに戻ってて安心したぜ」
「懐かしい目つき?」
ツシマが問い返すと、ジョーはホーリーを指さした。
「今度は、最後まで守ってやれ。今のお前なら――」
彼の声は、閉まる扉に遮られて最後まで聞こえなかった。
ジョーは閉まった扉の向こうで軽く手を上げて別れの挨拶を残す。列車が動き出すころには、彼は背を向けて立ち去っていった。
走り出した列車の中でジョーの背中を見送っていると、ホーリーがツシマを見上げていた。
「どうした?」
「さっきの、『今度は』ってなに?」
「さぁな」
去り際に面倒な一言を残しやがって。内心悪態をつくも、ツシマはジョーの指摘を否定しきれずにいた。バルガ帝国でこの年頃の少女と来れば、自然に感情を重ねてしまう。
「どうでもいい昔話だ。いつまでも突っ立ってないで、さっさと行くぞ」
「またそうやって誤魔化す」
背中にホーリーの追及の言葉を受けながらも、ツシマは車両の中に入っていった。
ツシマは自分の切符を確認して、個室の二等客室を目指して歩き出した。ホーリーは寝台列車に乗るのが初めてなのか、車内を見回しながら観光気分でツシマの後に付いて来る。
「ねぇ、ここは個室になっているのよね。だったらお風呂やトイレもあるのかしら?」
実に呑気に言いながら「他の客室は見れないの?」などと口にしている。ツシマは呆れながら彼女に口チャックのジェスチャーを送った。
「この列車が絶対に安全とは限らん。油断するな」
「なによ。追手は振り切ったんじゃないの?」
「そうとも言い切れん。情報師の追手が大々的に出てきたら、想定が変わる」
ツシマは車両を進みながら背後のホーリーへ視線を送る。その眼つきを見て、彼女も多少は緊張感を取り戻したようだ。
車内の案内図を見ると、二人の個室に向かうには食堂車を抜ける必要があるようだ。食堂と聞いて目を輝かせるホーリーを連れて、ツシマは目的の車両へ乗り込む。
食堂車は壁や仕切のない広々とした造りをしていた。白いテーブルクロスがかけられた机がいくつも並ぶ。そこには人の気配がほとんどなく、食器の揺れる音と車両の走行音以外に音らしいものは何も聞こえてこない。
だが、ツシマは感じていた。シェルン駅に入った時に感じていた視線と殺気だ。
ツシマはゆっくりとホーリーを背中に隠した。
「姿を隠すなら、その殺気をどうにかしたほうがいい。その辺のロバでも気が付く」