二章 ③

「姿を隠すなら、その殺気をどうにかしたほうがいい。その辺のロバでも気が付く」

 ツシマの挑発に、車両の中央部に設けられたカウンターの陰から一人の少年が姿を現した。青い髪色に色白な肌をした少年は、小さいながらに立派な軍服を着込んでいた。中性的な顔立ちはまだ幼さを残し、同時に歪な内面を示すような邪悪な目をしている。

 彼の身に着ける臙脂色に深紅色の刺繍が入った軍服は、高位な軍人にのみ許されたものだ。業界に精通しているツシマともなれば、彼の服装が何を示すのか理解するのに時間は要らなかった。

「……六帝剣か」

 ツシマは眉をひそめながら目の前の少年を見つめる。少年は傲慢な笑みを浮かべながら手を叩いてみせた。

「エルバルの田舎者にしてはよく知っているじゃないか。いかにも、僕が帝国の誇る最強の情報師の一人、六帝剣のカヌス・ミーレスだ」

 年にすればまだ十四、五歳にしか見えない少年は、胸を反らせて自らの胸に手を当てた。自尊心を見せつけるかのような態度であった。

 六帝剣。それはバルガ帝国内において政治的に無視できないほどの実力を持つ情報師に与えられる名誉ある肩書であり、帝国に仕えさせる為の首輪でもあった。

 彼らはたった六人で構成されている集団だが、半数以上が格外等位の情報師であり、その実力は単身で一個師団に匹敵するといわれる。文字通り帝国最強の戦力である。

 しかもたちが悪いのは、このカヌスという少年だ。ツシマはまだ幼い少年を前にしながら、今まで見せたことのない緊張感を漂わせる。

「お前が、帝国北部の侵略前線で名を上げた、あのカヌス・ミーレスだと?」

「そこまで知ってるのかい。感心だね。でも情報は正確であるべきだ。正しくは、十年近く膠着していたバルガ帝国北部侵略前線を、単騎でたった三ヶ月の間に蹂躙した十一等位情報師のカヌス・ミーレスだ」

 憎たらしくも、自らの功績を言い放ちカヌスは背筋を伸ばす。だが、彼の功績は本物だ。

 そんな情報師がここにいる。それが一体何を意味する事なのか、ツシマには痛いほどに理解できた。

 ホーリーを狙う敵というのは、バルガ帝国の栄華を独り占めする皇族だという事だ。そうなれば自然と第四師団という正規軍が動いていたことにも納得がいく。

 ツシマは背後に隠れるホーリーを見た。彼女は申し訳なさそうに視線を床に落としながら、ツシマのジャケットを握りしめていた。

「それで、えっと君はエルバル独立都市のツシマ・リンドウ七等位情報師と言ったっけ?」

 カヌスは全くの無防備な格好のまま、指先に摘まんだ紙切れを読み上げる。油断など七等位と十一等位の実力差の前には全くの無意味なのだ。

 そう分かっていても、ツシマは背後のホーリーを安心させるためにいつもの調子で言い返す。

「そうだが、何か?」

「こんな遠くまでご足労だったねぇ。君、ここまででいいよ。これ以上、邪魔をされると困るんだよね。だから、大人しくそこにいる女を引き渡せ」

 カヌスはテーブルに腰かけると、ホーリーを指さした。気怠そうにするカヌスと視線が合い、ホーリーは下唇を噛みしめる。二人は初対面という訳ではなさそうだ。

 ツシマは両者の様子をうかがいながら、ポケットから取り出した煙草を咥える。

「これ以上、邪魔をされると困る? 彼女の亡命が皇族にとってそこまで不利になるのか」

「おや。その口ぶりからすると、君はその女が何者か知らないのかな? へぇ~」

「護衛対象が多少の嘘をつくことはよくある話だ」

「多少の嘘、ねぇ」

 口元に運んだライターが、煙草に火を灯す。煙を吐き出すツシマの姿を眺めてカヌスは粘着質な笑みを浮かべた。

「大丈夫かい? ビビッて手が震えてるじゃないか。そんなに急いで煙草を吸わなくても、大人しく尻尾を巻いて逃げれば見逃してあげるよ。君が庇っているそこの女さえ渡せばね」

 煙草の灰を床に落とし、ツシマは目を細める。いつもならば、ここで言い返す言葉があってもいい。だが、さすがのツシマも六帝剣を前にして、その余裕はなかった。

 緊迫する二人の様子を楽しむように、カヌスは微笑んで顎を突き上げる。

「まったく、どうやら本当に彼女から話を聞いていないらしい。でなきゃ、そんなアホ面もしてられないだろうに。いい加減に本当の事を話してあげたらどうです?」

 カヌスはヘビのように冷たく鋭い視線をホーリーに向けた。彼女はツシマの背中で肩を丸めて体を小さくする。

 警護の仕事では、依頼人が重大な情報を秘匿していた場合、契約を解除されることがある。それを分かった上でカヌスは最も効果的で重い事実を口にした。

「君は、その女がバルガ帝国皇帝のご息女、〝ルプス・フィーリア皇女〟だと知ってもなお、亡命なんぞに加担するのかい?」

 カヌスは勝ち誇ったように言った。

 突如挙げられた大物の名前に、ツシマの表情が変わる。背後の少女へ動揺で揺れる視線を向けた。

「皇帝の娘、だと?」

 信じられない、と言葉をこぼすツシマ。彼の声にホーリーは悲痛な表情を浮かべる。彼女の仕草は、カヌスの言葉が真実であることを物語っていた。

 世界の覇権を握る帝国の皇女。そんな人物の運命を背負わされていたとは。ツシマは背中を流れる冷たい汗を感じた。久々に踏み込む死地の臭いに、思わずツシマは顔をしかめる。

「こいつは、想定外過ぎるな。対応を考える必要がありそうだが」

 ツシマの言葉にホーリーは跳ねるように顔を上げた。その瞳には悲しみと不安の色が混ざり合っている。彼女は懇願するようにツシマの裾を握った。細くか弱い指が真っ白になるほど強く、握っていた。

 ツシマは必死に僅かな希望にしがみつくホーリーの姿に心が揺れた。忘れようとしていた過去の記憶が、鮮明に重なって見えた。理屈ではない感情がツシマの判断をねじ曲げていく。

「これも、因果というヤツか」

 ホーリーの視線を受け止め、ツシマは小さくこぼした。そして今まで見せたことがないほどの深いため息を吐く。

「事情は後で詳しく聞かせてもらう。今は、俺の後ろに隠れていろ」

 彼の言葉に、ホーリーの目が輝いた。瞳に溜まった涙がひとすじ、頬を伝って落ちたかと思うと、彼女は初めて心の底からの感情で微笑む。

「うん!」

 二人のやり取りを見つめていたカヌスの表情が曇った。彼は呆れたように首を振る。

「君って本当に馬鹿だね。この僕とやり合うつもりかい?」

「我ながら馬鹿だとは思う。だが、地位と権力には逆らいたくなる質でね」

 はっきりと宣戦布告を言い切ったツシマを見て、カヌスは天井を指さした。

「仕方がないなぁ。ここでやり合うと他の乗客にも被害が出そうだ。皇帝のお叱りは怖いからね。大人しく上でやり合おう。君をぶち殺してから、その生首を抱えさせて彼女も殺すとするよ」

 残虐に微笑んだカヌスの瞳が青く発光する。

 すると、カヌスの背から蜘蛛の足のような灰色が伸びた。八つの四肢を器用に動かしながらカヌスは「待たせるなよ」とツシマを指さして去っていく。

 不気味な光景に最悪の後味を残したカヌスを見送り、ツシマも窓枠に手をかけた。

 その背中にホーリーが声をかける。

「ツシマ! ごめんなさい。本当のことを話さなくて」

 自らの服の裾を握りながらもじもじと言葉を探す彼女を見て、ツシマは部屋の床を指さした。

「反省しているなら、俺が奴をぶちのめして帰ってくるまでに説明を考えておけ。いいな」

 まるで子供をしつける様に言うと、ホーリーは素直に頷き返した。

 ツシマはそれを確認して窓の外に踏み出す。

 戦場は列車の屋根の上。猛烈な風を感じながら、ツシマは面倒くさそうに空を見上げた。時刻は正午をやや過ぎた時間。決戦にはおあつらえ向きな晴天が広がっていた。



 線路を走る列車は広大な畑を通過し、鬱蒼とした森の中に入ろうとしていた。

 ツシマは吹き付ける激しい風にもかかわらず、列車の屋根の上で涼しい顔で立っていた。向かい合うカヌスもまた、不安定な足場もどこ吹く風といった様子である。彼らは既に仄かに眼球が青く輝いていた。

 お互いにコードを執行して、本来立つことすら難しい列車の上での行動を可能にしているのだ。その程度のコードであればツシマやカヌスほどの情報師にとって息をするのと同じくらい容易い。基礎教養の範疇だ。

「さて、もうこんな時間か。さっさと済ませてランチを食べたいところだよ。だから、はやめに死んでくれる?」

 カヌスは軍服の内側から取り出した懐中時計を見て、白い歯を見せた。仕草の一つ一つが鼻につく、生意気なガキだ。

「心配するな。お互い忙しい立場だ。あまり時間をかける気はない」

 ツシマはそう言うと、ジャケットの袖をまくる。そして、お互いが息を合わせたように眼球を青く激しく発光させた。

 コードを組み上げる速度は、ややカヌスに分があるようだった。猛烈な速度でカヌスの周辺に灰色の粒子が渦巻いていく。その灰色は瞬く間に見事な造形を組み上げていった。

 カヌスは異世界から召喚したかのような化け物を背後に生み出す。

 細く長い四肢は人間のそれに似ていながらも、どこか昆虫を思わせるほど強靭で歪な形状をしていた。本来頭があるだろう場所にはタコのような触手が無数にくねり、消化液を滴らせている。その全身は白というよりも灰色で、所々に錆びたような赤黒さと、人の血を思わせる紅を帯びていた。

 大した造形だ。ツシマは感心する。

 情報師の引き起こす現象は、それぞれの得意とする学問的な専門分野に紐付くことが多い。ツシマで言えば専門は物理力学であり、カヌスが得意とするのは生物学系の分野らしい。

 しかし、カヌスの扱うコードは底が知れない。生物学の領域が得意だとしても、多くの情報師は傷の治療や身体能力の向上程度までしかコードを組み上げる事が出来ていない。実行する現象の構造と仕組みを本人が十分に解釈出来ていなければ、コードを組み立てることすら出来ないからだ。

 だがカヌスはいとも簡単に、生命の合成をやってのけていた。それも現実世界には存在しないような、想像上の化け物を、である。

 これこそが格外等位情報師の力だ。

 格外等位を持つ情報師は、原則であるはずの『科学の範疇』から抜け出た者たちでもある。ある者は観測不可能な事象を扱い、ある者は仕組みの解明されていない現象を発生させる。そういった超常現象を扱う情報師が格外とされているのだ。

「はは、まずはお手並み拝見といこうか!」

 カヌスは既に勝ち誇ったかのように叫ぶと、身体から伸びた蜘蛛の脚を動かして化け物の背後に隠れていく。

 しかし、並大抵の情報師が霞むような技を目前にしても、ツシマは表情一つ変えなかった。化け物が巨体に反して俊敏な動きで接近してくるも、その場を一歩も動こうとしない。

 殺傷圏内に踏み込み、化け物は腕を振り上げた。ツシマを殺すために巨大な鞭と化した腕が横なぎに振るわれる。

 巨大な腕をかいくぐる様にツシマは足を前に踏み出す。間一髪で腕を躱したツシマは、何事もなかったかのように平然と列車の上を歩いて進んだ。見つめる先はカヌス本人だけだ。

 化け物は感情があるのか、怒りをあらわに足元を闊歩するツシマに追撃を加える。

 だが、巨体から繰り広げられる攻撃は何故かツシマに当たらない。紙一重でツシマが躱していくのだ。

 一体何がどうなっているのか、化け物に焦りが見え始める。そんな時、ツシマは真上にいる化け物の頭を見上げた。

「なんだ、お前。感情があるのか? だったら、おちょくるのは可哀想か」

 ツシマが口にした言葉に、化け物は首を傾げた。その拍子に、タコ頭から一滴の消化液がツシマに滴り落ちる。白い煙を上げながら落ちていく液体が、空中で沸騰したかと思うと瞬く間に蒸発して消えていった。

 次の瞬間、蜃気楼のように空間が歪む。そして極めて高温に熱せられた波動が化け物の首から上を一瞬にして焼き飛ばした。

 切り落とされた断面からは煙が上がり、四つん這いだった化け物の身体が跳ね上がる。そしてゆっくりと化け物は背中から地面に向かって倒れていった。

 車体にぶつかりそうになった時、化け物の体は再び灰のような粉に返り、波打ちながらカヌスの下へと戻っていく。

 走る列車の上でもわかるほどに、肉の焼けこげた臭いが辺りを取り巻いていた。実に不愉快な香りに包まれながらも、カヌスは満足そうに手を叩く。

「なるほど、これほどとは。どうりで第四師団では手に負えないわけだ」

 カヌスはそう言うと、興味深げにツシマを眺める。互いに殺傷圏内にいるにもかかわらず、彼は腕組みをしたままコードの執行をするそぶりもない。

「君、本当に七等位? なわけないよね。なんか隠してるでしょ?」

 ツシマは乱れた前髪をかきあげた。露わになる鋭い眼光が、青い発光現象に重なって真っ直ぐにカヌスに向けられる。

「お前、さっきから気になっていたんだが。俺のことを気安く君、君と呼ぶなよ」

「そんn」

 ツシマの返答に返そうとしたカヌスだったが、彼の声は最後まで放たれることはなかった。カヌスが最後まで言い切る前に、ツシマが彼の上あごを吹き飛ばしたのだ。先日見せた熱線が、ツシマの背後から一直線にカヌスの頭を消し炭にする。

 しかし、カヌスの体からは先ほどの化け物と同じ灰が舞っていた。本来、人間を焼いた時には発生する事のない軽く、粉のような灰だ。

 ツシマはすぐさま、目の前のカヌスが偽者だと気が付く。面倒な奴だ、と呟いたツシマの背後に気配が近づいていた。

 振り返ると、頑丈そうな甲冑を着た三人の騎士がいた。剣と盾を持つ者、ハルバートを持つ者、特大剣を担ぐ者、三者三様に武器は違うが同じ甲冑を着ている。

 だが、注目するべきはその容姿だけではない。

 明らかに先ほどの化け物より小さな体をしているにもかかわらず、彼らの歩く足元は大きくへこみ、重量を感じさせる。先ほどの合成生物よりも圧倒的に高密度で形成された人型の生物ということだ。

 三人の灰銀の騎士を見て、ツシマは舌打ちをする。

 ツシマの組み上げるコードは高い火力を誇る反面、細かな調整が難しい。多勢に無勢という状況下でこそ、最も活躍する類の技だ。

 つまり、逆を言えば繊細かつ瞬時の判断を繰り返す肉弾戦には苦手意識があった。それが六帝剣を相手にするとなれば、決定的な弱点となる。カヌスは先ほどの手合わせだけで、そういったツシマの特性を見抜いていた。

 不得手な接近戦に、足元に護衛対象。強引な戦いは出来ない状況だ。

「まったく、いやらしいやり方をしてくる奴だな。だからガキは嫌いなんだ」

 ゆっくりと歩み寄ってくる灰銀の騎士を前に、ツシマは煙草を取り出す。こんな風の中では煙草の香りも何一つ分からない。しかし、無性に煙草が吸いたくなっていた。

 ライターを擦る指に力がこもる。なかなか火のつかないライターに苛立つツシマは、鋭い視線を彼らに向けた。

「トサカに来るぜ。その面」

 騎士たちは臨戦態勢に入る。盾を構えた剣騎士が一気に距離を詰めてきた。その陰に隠れるように他の二人。ツシマは目を激しく発光させて戦闘を開始した。

刊行シリーズ

汝、わが騎士として2 皇女反逆編Iの書影
汝、わが騎士としての書影