二章 ④

 走る列車の屋根上で激しい物音が響きだしてから数分が経過している。ホーリー、いやルプスは列車の中で不安げに天井を見上げた。

 ツシマは確かに優秀な情報師のようだ。しかし、相手が六帝剣では力の差は歴然だろう。六帝剣は世界最強の情報師集団だ。彼らに匹敵する情報師たちを、ルプスは数えるほども知らない。

 祈るような気持ちで天井を見つめるルプス。その姿を見つめて微笑む人の姿があった。

「いや~、貴女がこんなことをするとは思いもしませんでしたよ」

 ルプスは驚く様子もなく声のした方向へ顔を向けた。

 列車の入り口近くで壁にもたれかかるようにしてカヌスが立っていた。彼は前髪を指先で直しながら、列車の窓ガラスを鏡に見立てて容姿を気にしている。

 ルプスは呼吸を整えてカヌスと向かい合った。虚勢でもいい。小さな胸を張り、恐怖を押し返して精一杯の強気を見せる。

「あなたが来るということは、第二皇子の差し金ね。一体どういう了見か、聞かせてもらおうかしら」

「了見? 面白いことを言いますね。でも、それを聞いたところでどうするというのですか。貴女にできることはもう小指の先ほどもないですよ。結局、穢れた血を持つ貴女のような方は、皇帝の血族にはふさわしくはなかった。それだけのことです」

 カヌスは前髪をセットしなおし、満足したのか体を起こす。そして気怠そうな目でルプスを見つめた。まだ幼いはずの彼の表情には年齢とは不釣り合いなほど、傲慢と蔑視の色がこもっていた。

 六帝剣のひとり、カヌス・ミーレスは皇族である第二皇子ロス・ルーベルに仕える騎士でもある。

 第二皇子ロス・ルーベルは血の気の多い人物として知られ、皇族の中でも鷹派と呼ばれている人物だ。特に情報師に対しては差別的な思想が非常に強く、率先して利用価値のない情報師を排除する活動に勤しんでいた。

 そしてカヌスという情報師も主人同様に血を好む。齢十歳にして天才情報師と謳われ、格外等位である十一等位になった情報師だ。プライドが異様に高く、他者への蔑視が酷い傾向がある。常に自分の感情優先で、何をしでかすか分からない危うさがあった。

 そんな情報師と二人っきり。いつ殺されてもおかしくはない。

 ルプスは息をのみ、カヌスと向かい合う。指先が恐怖で震えていた。それを悟られないように、彼女はゆっくりと拳を握る。

「悪いけれど、あなた達には付き合ってられないわ。もう、くだらない権力争いにはうんざりなの」

「だからといって、亡命は悪手ですよ。結局、逃げるばかりだから利用される。掌で転がすには、貴女は愚かなほど分かり易すぎるんです」

 カヌスは演説でも始めんばかりに両手を広げた。うっすらと口元に浮かべる笑みに交ざって猟奇的な犬歯が覗いて見える。

 ルプスは彼の言葉を聞きながら、何かが心に引っかかる気がした。

「利用される? それはどういうこと?」

 ルプスの問いかけにカヌスは粘着質な笑みをより強くさせる。

「あれ、もしかして何も気が付いていないのか。そうか、それはそれは。とんだ間抜けだ」

 カヌスは目を開いて言った。ルプスは自分の知らない何かが起こっていることを察して、無意識のうちに思考を巡らせる。

 当初、ルプスは亡命の情報を手に入れたロス・ルーベルが、自分を殺そうとしているのだと考えていた。皇族の亡命とはそれほど大きな罪である。

 だが、それだけでは説明が付かない部分が出てくることも事実だった。

 亡命の手はずを進めたのは嵐の丘という組織だ。ルプスの亡命経路は彼らと、ツシマしか知らない。

であれば何故、港に第四師団が待ち構えていたのか。シェルン駅の警戒状況も同様だ。そして極めつきはロス・ルーベルの騎士でもあるカヌスの登場である。

 彼女の思考を見透かすように見つめるカヌスは、実に愉快そうに笑いながら会話を進める。

「ロス様は穢れた血をお持ちの貴女をどうにかして排除したいそうです。ただ、身内を自らの手で殺めるのはご法度。ですから、どうせならうまく利用してから消してしまおうという腹積もりのようです。もうここまで話せば、僕がなぜここにいるのかも、どうしてこんな状況になったのかも大体お分かりでしょ?」

 傲慢なカヌスは、弱い相手をいたぶるようにして嫌みな笑みを口元に作った。

 誘導されていると分かっていながら、ルプスは自らの思考で答えを辿ってしまう。

 無意識のうちに首元に手を伸ばし、上着の上から何かを握りしめたルプスは、呼吸が浅くなっていく。

「まさか、私を亡命させるところから、仕組んでいたってこと?」

 ルプスは過呼吸で視界がちらつきだす。カヌスは彼女の様子を楽しむように小声でさらに一押しする。

「そういうことになるのかなぁ。実はね、貴女が味方だと信じてる嵐の丘ってロス様の操る傀儡組織なんです。つまり嵐の丘に亡命を唆されて、まんまと貴女は罠にはまったってことですよ」

 ツシマが語っていた。嵐の丘の内部にも内通者がいる可能性があると。

 しかし、彼の予想は大きく外れていた。裏切り者などという生易しい物ではない。嵐の丘という組織そのものが、ルプスを利用する敵対組織だった。

「それに、それだけじゃないんです」

 カヌスはトドメとばかりに、悪魔的な口調で囁いた。

「貴女が亡命する覚悟を固めた事件がありましたよね。ほら、あなたの屋敷で起こった血の惨劇。使用人も警護役も、みんなまとめて殺されたあの事件ですよ。あれって、どうしてあんなことが起こったんだと思います?」

 彼の一言で、ルプスの頭の中に悪夢のような過去が駆け巡る。瞬きをするたびに、あの日の光景が蘇っていった。全身を覆う血の生臭さ、悲鳴を上げ死んでいく使用人達。そして信頼と友情が一瞬にして瓦解していった絶望。

 ルプスは唇をかみしめ、涙を浮かべて言う。

「私の騎士を、誑かしたのは、お前たちか?」

 ルプスの表情を見たカヌスは、大きく目を開いて歓喜の表情をした。

「でなきゃ、あんなことは起こらないでしょう?」

 カヌスの最後の一撃が、ルプスの心のヒビを決定的なモノにした。

 ルプスは膝から下の感覚がなくなり、目の前が暗くなっていく。一体自分は何のために存在しているのだろうか。自らの意志で決めていたと思っていた決断は、すべてロスによって仕組まれたものだった。

 それだけではない。あの絶望も、哀しみも、苦しみも、全てが他者によって作り上げられたものだった。その事実を悟り、次に湧いて出てくる感情は猛烈な後悔と怒りだった。

 ルプスは顔を歪ませる。美しい顔に青筋が立ち、深いしわが刻まれていく。

 そして彼女は瞳を青く発光させた。脳内で独学で学んだコードを組み上げていく。

「うあぁぁぁ!」

 ルプスの叫びと殺意が、カヌスを真直ぐに射貫いた。

 だが、カヌスはそれでもなお余裕の表情だ。むしろ、これを待っていたとばかりに高揚した表情を浮かべていた。

「いいですね。その瞳こそが穢れた血の証明だ! 貴女の本質は情報師です。だから、今ここで情報師として殺してやる。我が主もそれをお望みだ!」

 皇女ルプス・フィーリアを皇族として認めない。穢れた情報師の血筋として始末する。それがロス・ルーベルの願いであり、カヌスが皇族殺しを正当化できる唯一の理由だ。

 情報師として牙をむき出しにしたルプスは、今まさにカヌスに殺人許可を与えようとしていた。感情の渦に飲み込まれた彼女には、カヌスの思惑を見抜けるほどの余裕はなかった。

 しかし、彼女の歩みを止めるモノが唯一存在した。

 ルプスのコードがまさに執行されようとした刹那、彼女を救うかのようにカヌスの頭上から熱線が突き落ちてきたのだ。車両の天井を貫通して、赤と白を混ぜたような不思議な光が鉄槌のごとくカヌスを襲う。

「なっ!」

 カヌスは世界に数えるほどしかいない十一等位の情報師だ。だが、経験の薄さと傲慢さが災いした。

 頭上からの一撃に僅かに反応が遅れたカヌスは、両眼を光らせて灰を生成すると自らを守る壁にする。だが熱線は僅かに軌道を屈折させただけで、傷一つない柔らかなカヌスの顔を掠って地面にぶち当たった。

 ほんの一瞬だ。それでもカヌスの左顔面は焼けただれて、皮膚から真っ赤な血を吹き出す。

「うがぁぁぁ!」

 今度はルプスではなくカヌスが悲鳴を上げる番だった。

 その声に重なるように、車両の窓を突き破ってツシマが現れる。羽織ったジャケットには驚くほどの灰を浴びていた。無造作に流れ落ちていた前髪はかき上げられ、青く発光して血走った目が露わになっている。

「ツシマ!」

 今にもその場に倒れ込みそうにふらつくルプスは、ツシマの姿を見て思わず叫んでいた。

 ツシマは車両に飛び込んだ勢いそのままにルプスを抱きかかえる。すでに立っている事すら限界だったらしい。彼女はツシマの腕に抱かれると倒れ込むように彼に身を預けた。

「すまん。待たせた」

 今までになく近い距離でツシマはささやくと、ルプスを見つめた。青い光の下で深淵の闇のように暗く底の見えない瞳が、ルプスの潤んだ瞳と視線を交じり合わせる。何とも言えない雰囲気が生まれて、ルプスは涙を隠すようにツシマの胸元に顔をうずめた。

 その拍子に、ルプスはツシマの腹部に生暖かい湿気を感じる。触れた掌を見下ろし、ルプスは目を見開く。彼女の白い手が、真っ赤な血で染まっていた。

「ツシマ・・・・・・! これって!」

 近くで見るとより血色の悪いツシマの顔が、ルプスに笑みを返してくる。大した怪我ではないと言わんばかりの態度だった。

「皇女様は血染めがお嫌いか?」

 こんな時にもっかかわらず、ツシマは得意の皮肉にジョークを交えて言った。慌てる彼女を強く胸元に抱きかかえ、ツシマはカヌスを見据える。

「貴様! 雑魚の分際でこの僕の顔に傷をつけるなど、許されると思うな!」

 カヌスは痛みと怒りに震えている。怪我を負った顔面を両手で隠しながら、大きくひん剥かれた目をツシマに向けていた。

 だが、コードの組み立ても、執行も、正しく行えている様子はない。あまりに激高しているせいで脳内が乱れているのだ。あれだけあった実力が見る影もない。それほどまでに怒髪衝天だった。

 醜さまでも感じるほどの怒りに震えるカヌスを目の前にしながら、ツシマは漫然と窓の外を見る。車両は山間の渓谷を抜けて流れる大河を渡ろうと、橋の上を通過し始めていた。

 車窓を確認して、ツシマはどこからともなく煙草を取り出して口にする。

「そうイラつくなよ。ただのかすり傷程度でピーピー喚きやがって。これだから下の毛も生えそろわないガキは」

 煙草の先に人差し指を添えると、火が点る。ツシマの得意とする熱の発生現象だ。その光景を見つめながら、カヌスは更に怒りを増していく。

「楽に死ねると思うなよ!」

 怒声を上げるカヌスを尻目に、ツシマはまだ長い煙草をカヌスに向かって弾き飛ばした。

 空中を舞う煙草は綺麗な放物線を描きながら飛んでいく。二人の間に至った次の瞬間、ただの煙草から強烈な光が放たれた。熱を光に変換するコードを仕込んだ煙草だった。

 ツシマは一瞬の隙に窓を突き破り車両の外に身を投げ出した。氷河から流れ出した雪解け水が、二人の目下に広がる。その中に入ってしまえば姿を隠すことは容易い。

 ツシマの狙いを知ったカヌスは、車両の外にもはっきりと聞こえるほど激しい叫び声をあげた。

「ツシマァァァァァァ!」

 まるで獣のような叫びを聞きながら、ツシマはカヌスに向かって中指を突き立てる。腹部に負った怪我の痛みを堪えながら、嫌みな勝利宣言を見せつけていた。

 大河の水面に落ちていく最中、列車から身を乗り出すカヌスの姿が見えなくなって初めてツシマは苦痛に顔をゆがめる。そしてそのまま大きな波しぶきを上げて、二人は冬の大河の中に沈んでいった。

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汝、わが騎士として2 皇女反逆編Iの書影
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