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学園都市。
東京西部の未開拓地を切り開いて作られた街。面積は東京都の三分の一ほどで、外周は高い壁で覆われている。人口はおよそ二三〇万人、その八割は学生である。ありとあらゆる科学技術を研究し、学問の最高峰とされるこの街には、もう一つの顔がある。人工的かつ科学的なプロセスを経て組み上げられた、超能力者養成機関である。
学生を対象に『開発』されるこの能力は各人によって様々な種類に分かれるが、その価値や強さ、応用性などによって、無能力、低能力、異能力、強能力、大能力、超能力と六段階で分類される。
ちなみに、浜面仕上は無能力者。
厳密には『目に見えないレベルで、何らかの能力は使える状態』にあるらしいのだが、そんなのは知った事ではなかった。書類の上だけに存在する、○○系能力者という所に何を書いていたのかももう曖昧だった。
だがガッカリするのは早い。
この男、実は第三次世界大戦の最激戦区を渡り歩いてきた、稀有な経験を持つ。しかも第四位の超能力者を独力で倒すというオマケつきだ。惚れた女のために世界規模の戦乱を潜り抜けたというのだから、もうこの時点で『普通の高校生』の枠を軽く超えてしまっていると言っても良いはずだ。
激戦区のロシアでは軍に蹂躙されかかっていた集落を守り抜き、学園都市から送られてきた数々の刺客を返り討ちにして、見事に戦場帰りを果たしたあの男。
世紀末帝王HAMADURAの取り戻した日々はと言えば……、
「はまづらぁぁあああ!! テメェ、ドリンクバーの往復にどれだけ時間かけてんだあ!?」
ファミレスに響き渡る少女の声に、複数のグラスを手にした浜面仕上は、ビクゥ!! と肩を震わせる。
(……か、変わってねええええ!! あれだけの事があったのに、俺の生活何にも変わってねええええええ!!)
世紀末帝王改めドリンクバー往復係の少年は心の中でそんな事を叫ぶが、まぁ世の中なんてそんなものである。戦争を経験しようが何だろうが、小者は小者の道を突き進むのみなのだ。
ちなみにたった今ドリンクの催促をした少女の名前は麦野沈利。
話せば長くなる事請け合いだが、第四位の超能力者だ。スラリとした長身で、ふわふわした茶色い髪が特徴の少女だが、顔の三分の一ほどは特殊メイクで、眼球も片方は義眼だった。
テーブルには、他にも少女が二人。
片方は絹旗最愛。髪型はボブ。背の低い中学生の少女で、ニットでできたワンピースを着ている。やたらと太股が露出しているのは確信犯であるらしく、見えそうで見えない、でもちょっとだけ見えそうな脚の組み方を常に研究しているようだった。
もう片方は滝壺理后。先ほど浜面と一緒に映画を見ていた少女だ。肩の所で切り揃えた黒髪と、年がら年中ピンク色のジャージをまとっているのが特徴と言えば特徴か。
絹旗は携帯電話で掲示板を覗いていたようだが、『戦争の激戦区だったロシアの復興状況と、学園都市からの派遣人員について』とか堅苦しい話題に飽きたらしく、電話はテーブルの上に放り出し、大皿に載ったポテトの方に意識を向けていた。彼女はポテトを口に運びつつ、もう片方の手で麦野の顔の特殊メイクを軽くつつき、
「……間近で見ても超分からないものなんですね。傷どころか眼帯状のバンドまで。特殊メイクなんて、カメラで撮った映像を編集して、初めて超見分けがつかなくなるレベルだと思っていましたけど」
「汗はかかないし、毛穴も常に変化しない。気温で肌の色は変わらないし、鳥肌も立たない。やっぱ、長時間通常の環境にいると違和感は出るわよ。小奇麗すぎてもなじめないってヤツかな。……っつか、さっきから何で特殊メイクに喰いついている訳?」
「いやなに、CGでホクロも傷跡も翼も角も超付け加えられる時代に、こう、アナログな特殊メイクとか持ち出されますとね。映画好きの血が超騒ぐというか色々あるのですよ!! こう、昔ながらの怪人系スプラッターを追い掛けていた血が超ぐつぐつと!!」
(……近づきたくないなあ……)
浜面は正直にそう思ったのだが、これ以上彼女達を待たせると特殊メイクなしのスプラッターになりかねない。
だが、ドリンクを運んだら運んだで、
「浜面テメェ遅すぎ。っつーか何これ。ちゃんと氷も入れてこいよ! テメェの手でちょっとぬるくなってんじゃん!! 普通ならこれやり直しが基本のクオリティだぞ!!」
「まぁまぁやめましょうよ。浜面は所詮超浜面なんですから。しかもやり直させたらさらに時間がかかります。ここはオトナな私達が超我慢するとしましょう」
「ひでえ言われようだ」
浜面は肩を落とし、唯一攻撃的でない少女の方を見て、
「そんなに文句があるなら自分で取りに行けよな。その点、変に不満ばかり言ってきたりしない我が姫はやっぱり俺のストライクゾーン。なあ滝壺、滝壺?」
浜面は助け舟を求めるように己の恋人へ声を掛けたが、当の彼女はと言えば、両目を開けたまま微動だにせず、
「……ぐーすかぴー……」
「ね、寝てるぅーっ!! 先ほどまでのおデートがよっぽどお疲れだったのか!?」
「まぁ浜面のエスコートだから超仕方がないんじゃないですか? 退屈しない方が不思議なぐらいです」
「テメェの勧めた映画のせいだろ!! あんな馬鹿映画の極みを教えやがって!!」
「……エンディング直前の超クライマックスで、超巨大なインド象と一緒に全員揃って踊り出す所とか超最高だったでしょう浜面?」
「そこが一番分かんない……」
馬鹿映画マニアの絹旗には、頭を抱える浜面の苦悩など理解する気がないらしい。
彼女は浜面が持ってきたドリンクをわずかに口に含んでから、不満一〇〇%な顔を浮かべると、
「……麦野と同じ事を言うのは超アレですけど、確かにこのぬるさは飲み物の許容量を超えていますね。ぶっちゃけ罰ゲームを超提案したいほどに」
すると、麦野は自分の所へ運ばれてきた、サーモンのムニエルの載った食器(鉄製のフライパンを模したもの)を軽く摑むと、何故か甘ったるい猫なで声で、
「じゃっあー、これで浜面ちゃんを往復ビンタとかどうでしょー?」
「ジュージュー鳴ってんじゃねえかよ!! っつかたとえ冷めてても大打撃だよ!! あと何でゾクゾク背筋を震わせてんだよお前!!」
浜面は思わず絶叫するが、絹旗の方は軽く息を吐いて、
「駄目ですよ。そんなもんじゃ浜面には超ご褒美にしかなりません。どうせ頭の中で勝手に裸エプロンとかに変換して超楽しむに決まってんですから」
「どんだけ恐ろしい家庭なんだよ!! あと家庭って言葉を聞いて鳥肌立てるなよ二人とも!! 逆にそのシチュエーション以外で裸エプロンを連想する方が難しいよ!!」
向かいの席に座っていた絹旗はその大声に、気味悪そうな調子で耳を塞ぐ。が、その時肘がぶつかったのか、テーブルの上に広げていたマイナー映画のパンフレットが絹旗の膝元へ落ち、さらに床へと滑っていった。
「超浜面ァああああああああ!!」
「何だよ俺のせいかよ!! ……分かった分かった、拾う、拾うよ!! だから店ん中であからさまに気合入れて大能力クラスの力を振り回そうとするんじゃねえ!!」
嘆きながらテーブルの下へ潜り込むミスター下働き浜面仕上。目的の薄っぺらいパンフレットはすぐに見つかった。『野人Nのゾンビ脱出大作戦』と記された、元々のセンスなの翻訳が壊滅的なのどっちなの? というタイトルにげっそりした浜面は、ひとまずパンフレットから視線を外す。