6
煙を噴いた豊胸マシンは黄泉川に没収され、芳川は自室のHDレコーダーの番組予約をするため、一度部屋に引っ込んでしまった。
放ったらかしのリビングのテレビの方は、すでに黄泉川の方が録りたいドラマを指定してしまっているのだ。無限にチューナーがあれば良いのに、と芳川はブツブツ呟いていた。
そのテレビは今、こう言っている。
おそらくレポーターも、番組の構成を考えている連中も、最前線の匂いは嗅いだ事もないだろうが。
『……わずか一二日で終結した第三次世界大戦ですが、その終結間際には数多くのオカルティックな証言が得られました。これは専門家の間では「サードウォー症」と呼ばれ、大戦前のイギリスクーデター時にあった「ブリテン・ザ・ハロウィン」同様、戦時下のストレスが生み出した集団ヒステリーであり、早急に手厚い補償を行う必要があるとの見方がある一方……』
一方通行としてもやる事はない。
ただソファに寝転がっている彼は、そこで違和感を覚えた。
見れば、ただでさえ狭いソファに、さらに打ち止めが潜り込んで来ている。
「……何してやがる」
「ミサカもお昼寝、ってミサカはミサカは簡潔に答えてみたり」
「おい」
「……ねー」
第一位が文句を言う前に、一〇歳前後の見た目の少女はあっさりと寝入ってしまう。舌打ちする一方通行だったが、そこで別の方向から声をかけられた。
ソファの端にある肘掛けの部分に腰を掛けた、番外個体だ。
「取り戻した平穏の味はいかが?」
「……何が言いたい」
「別に」
明らかに何か含みのある調子で、彼女は告げた。
かつて、学園都市には『闇』があった。強大な力を持ち、しかし何かしらの理由や事情で社会的な生活を送るのが困難な人間を、時に知人を盾に取り、時に生活を送るために必要な書類や立場と引き換えに、様々な『仕事』を依頼する……という形でだ。
一方通行もその一人。
だがそのサイクルはすでに崩壊している。他ならぬ、一方通行自身が第三次世界大戦の終結間際に取り潰した。
土御門元春。
結標淡希。
海原光貴……は偽名だったか。
思案する一方通行の耳に、早くも平和ボケの始まったコメンテーターの声が届く。
『……背後にオカルティックな事象が関わっているかどうかはさておいて、しかし実際に世界中の各都市に、巨大な黄金の輪や肋骨らしきものは残されている訳ですからね。いや、黄金という表現も厳密には正しくないのか。国連はあれを太平洋の無酸素海域に投棄する事で、物体の処分と海流の変化による酸素供給、つまり魚介類など海洋食物資源の復興の一石二鳥を狙っているようですが、調査もせずにいきなり投棄というこのやり方に私は別の意図を……』
かつて『闇』の中で、四人一組で行動していた『グループ』の他の人員は今どうしているか。一方通行は詳しく知らないが、おそらくはこのクソッたれな街の中で、各々の『平穏』と向き合っている事だろう。
ただ、何かが足りない。
欠けている気がする。
あの戦争を経て、一方通行は『闇』と手を切っている。よって、学園都市暗部に張り巡らされていた情報網から、必要なデータを閲覧する事はできない。もちろん『傍受』の手順はあるにはあるが、進んで『闇』と関わりたいとも思わない。
だから、良くも悪くも、今の彼に安否の確認はできない。
そう。
あの戦争に参加した人間の中で、欠けている者がいないかどうか。
おそらく最も深い所にいたであろう、『あの男』がきちんと帰って来ているかどうか。
『……なお、大戦における学園都市側の人的損害はゼロであるとされ、それ自体は喜ばしいものの、改めて学園都市の持つ技術の専有性と、軍事的リスクを露出する事となりました。これについて、学園都市側は公式の声明で……』
勝手な事ばかり言うテレビはあてにならない。
しかし、だとすれば、何を信用すれば良いのだろう。
7
かつて、第三位の超能力者、御坂美琴の体細胞を利用した軍用クローン計画があった。
結果として、計画は失敗。必須とされるスペックは引き出す事ができずに終わったが、そのクローン技術はのちに別の『実験』のために利用され、大量の個体が生み出される。
それが妹達。
打ち止めは現在残っている一万人近い妹達を束ねる司令塔であり、番外個体はその計画の後に生み出された、イレギュラーな第三次製造計画の個体だった。
一万人近くの脳を電気信号で連結して作られる、ミサカネットワーク。これはありとあらゆる妹達の脳内情報の集合体であると同時に、ネットワークそのものが『一つの意思』として振る舞う。
これに『人為的に干渉するためのキーボード』として用意されたのが打ち止めであり、『「一つの意思」から、特に悪意的な思考・感情を強く抽出する』のが番外個体だった。
よって……。
「買い物だァ?」
ソファに寝転がっている一方通行が怪訝な声を発すると、ジャージ女教師の黄泉川愛穂が首を縦に振った。
「戦場帰りだか何だか知らないけど、こうして戻って来たからには社会の一員として歯車になりなさいって事じゃんよ」
「人使いの荒い事で」
「おや」
黄泉川はとぼけた調子で適当な相槌を打った後、
「人間社会の中で一番苦しいのは『誰の役にも立たず、誰からも必要とされない事』だと思うけど?」
「チッ」
舌打ちすると、一方通行はソファから起き上がる。
「教育用の心理学テキストを屁理屈に使ってンじゃねェよクソ教師」
「いやあ、私はスクールカウンセラーとかには向かないじゃんよ。基本、問題が起きたら鉄拳制裁だし」
「モノは?」
「食料品。チラシに赤で丸つけてあるものを」
「……そりゃまた。死ぬほど俺には似合わねェ絵が浮かぶぜ」
「だったら慣れるまで頑張る」
黄泉川にけしかけられ、一方通行は仕方なく杖をついて立ち上がった。
すると、宇宙船のゲームでフルボッコされていた打ち止め(昼寝から目が覚めた後にリベンジを申し出て、再び番外個体にあしらわれている)が一方通行の方を見上げ、
「ミサカも! ミサカも!! ってミサカはミサカは一人では不安なのでお使いに付き合ってあげたり!!」
「うるせェ!! これ以上未来予想図を俺に似合わねェ絵にするンじゃねェ!!」
ミサカもミサカもー、と繰り返している打ち止めの横では、何故かウズウズしている番外個体が。
実はこうしている今、彼女はテレビゲーム以外でも戦っていた。
真剣勝負だった。
というのも、前述の通り、番外個体はミサカネットワークという『一つの意思』から、特に悪意的な思考・感情を強く抽出する特徴を持つ。
この『悪意的』というのは、何も怒りや憎悪だけが当てはまるのではない。
例えば嫉妬。
一方通行とずっとお話している黄泉川が羨ましい。自分も一緒にお買い物に行きたい。
そんな思考が、情報を共有している全妹達の間で広まってしまい、『一つの意思』と相互干渉を起こすと、番外個体の方にもその影響が出てくる訳である。
通常、司令塔である打ち止めからのコマンドは受け付けないとされる番外個体だが、それでもやっぱり例外は存在するのだ。
という訳で、
(……ぐああああ!? 行きたい、買い物に行きたい!! ちくしょう、一方通行の事なんざどうだって良いのに、ネットワークが、ネットワークからとんでもない感情の波がァァああああああああああああああああああああああああ!!)
むずむずむずむずむうずうずうずうずうずうずむずむずうずうずうずむずうずむずむずうずうずうずうずむずむずむうずうずうずうずうずうずうず───ッ!!!!!! と、心の内から湧き上がる力の渦にしばらく抗っていた番外個体だったが、やはり打ち克つ事はできなかった。
何故なら。
悪意を抽出するように作られたのが、彼女なのだから。
ぶちーん、と頭の中の細い糸が切れた番外個体は勢い良く立ち上がると、一方通行のズボンにすがりつこうとしていた打ち止めを大人げなく突き飛ばし、
「みっ、ミサカが! ミサカが一緒にお買い物に行ってあげるぅぅぅうううううう!!」
数分後。
笑顔の黄泉川からお財布を渡され、壁に向かって体育座りをする番外個体に、一方通行はとてもシンプルな質問をした。
「何がしてェンだ、オマエ?」
「……ミサカにももう分かんない……」