5
一方通行と番外個体の二人は買い物を終えると、スーパーから外へ出た。
チラシの印とは関係のないふりかけを一品追加する形で。
「いやぁ、ミサカ今まで想像もしていなかったから全く未知との遭遇状態だったんだけど、予想以上に気疲れするね、平和な日々っていうのは」
「……、」
番外個体の言葉を、一方通行は簡単に笑い飛ばせなかった。
これで大丈夫なのか?
たかが買い物一つでここまで疲労を感じる自分は、本当にこの世界と折り合いをつけていけるのか?
この手の生ぬるい平和ボケを『性に合わない』と突っぱねるのは簡単だ。かつての自分は、無意識ながらも、そうした対応をどこか格好良いものだと美化していた感もある。
だが、突っぱねてどうなる?
背を向けたその先に、これ以上の輝くものがあるとでも言うのか?
人を殺す事でしか価値を生み出せない怪物になりたいのなら、そういう道へ突き進むのも良いだろう。しかし一方通行の着地点はそこではない。となれば、突っぱねれば突っぱねた分だけ、彼の望んでいたものは遠ざかる事になる。
本当にやっていけるのか。
(……あいつは一体どォだったンだ)
彼はとある無能力者の少年を思い浮かべる。
おそらくは、学園都市最強の座に君臨する一方通行よりも、さらに世界の深い部分で戦っていたであろう少年。当然ながら、あの男にもあの男の居場所があったはずだ。彼はそこに帰ってこれたのか。違和感はなかったのか。
仮に極限の戦場と平穏な日々を交互に繰り返しているとしたら、ただ『闇』に留まり続けた一方通行よりも、よほど凄まじいのではないだろうか。
しばし疲労感に身を委ねている一方通行だったが、そんな彼の袖を、番外個体がチョイチョイと引っ張った。
一方通行は怪訝な目を向けて、
「何だよ?」
「買い食いしようぜ。ワルの基本って聞いた事がある」
「……オマエの悪意って、守備範囲がやたらと広いよな」
まぁ、ミサカネットワーク全体から悪意を拾っているようだから、巡り巡れば打ち止めなどの願望も含まれているのかもしれないが。
そんな訳で、半ば番外個体に押し切られる形で、ワンボックスカーを改造したアイスクリームの屋台で買い食いをする二人。
「ひたすら艶めかしく舌を這わせてあげようか?」
「それ誰が喜ぶンだよ。オマエか?」
「それもそうか。最終信号との仲に壊滅的なダメージを与えるためなら、乳でも尻でも触らせてやるけど、今やっても意味はなさそうだしねえ」
「勝手に言ってろ」
うんざりした様子の一方通行。
アイスを手にした彼は人混みへ軽く目をやったが、そこでふと動きを止める。
白い修道服を着た、銀髪のシスターがいた。
その顔には疲労と焦燥があり、整った顔立ちから生気が削り取られているようだった。
(あいつ……?)
一方通行は、その顔に見覚えがあった。
しかし前に会った時とは、雰囲気が随分と変わっていた。
数秒後には、その影は雑踏の中に消えている。
(見失った、か。ま、わざわざ血眼になって捜し出すほどじゃねェだろ。……俺が関わる事で、悪い方へ流れが変わる可能性だってある訳だし)
第一位の隣にいる目つきの悪い少女は、気づかなかったようだ。
「慣れないねえ」
番外個体はバニラの表面に舌を這わせながら、率直な感想を漏らした。
「こんな陽射しの中で、二人で仲良く並んで自宅に帰りながらペロペロペロペロ。正直、まともじゃないよ。こんなのは普通じゃない。逆に、何にも起こらないっていうのに不安を感じない? これが全部、何か巨大な出来事の前触れなんじゃないかって」
「期待の裏返しか?」
「さぁね。かもしれないし、そうじゃないかもしれない。自分の心なんて正確に分かる人間はいないと思うよ。心理学者だって、自分自身をテストする時には点数を甘く見積もりそうなもんだしね。自分の心を完全確実に把握できているヤツがいたとしたら、そいつもそいつで狂ってる」
番外個体はニヤリと笑って、
「そちらさんは?」
「興味ねェな」
一方通行は適当な調子で答える。
「俺が必要だと思ったものは全部、あの戦争からもぎ取って来た。今の俺には、必要な物は全て揃っている。その維持に必要だっていうなら、慣れねェ事でもやるだけだ」
「結局、ミサカ達が何に対して『慣れない』と思っているのかが軸になると思うんだよね」
「あン?」
「平和な空気そのものか、あるいは『誰かの決めた枠』の中に収まっているのがダメなのか」
「……ガキかよ」
「案外、馬鹿にはできないと思うけど? ミサカ達は『誰かの決めた枠』っていうのに、どれだけ不備があるかを、身をもって経験してる。そして足りない物は全て、自分の手でもぎ取って来た。ミサカ達の性質そのものが、『誰かの決めた枠』の概念とは相容れないって事になるんじゃない?」
「考え方を変えりゃ良い」
一方通行の感情は波立たない。
「俺達にはそンな事はできねェって、どこかの誰かは考えてる。獣は血の海の中でしか生きられねェってな。だったら、そンな俺達が『誰かの決めた枠』に適応して生きていくって事自体が、どこかの誰かに対する反抗にはならねェのか?」
「にゃるほどねえ。ミサカ、そういう方が好き」
番外個体は一通りバニラのアイスクリームを舐めつくすと、不要になったコーンの部分をバリバリと嚙み砕き、
「……ただ、ちょーっと、辺りから嫌な匂いを感じられるかな?」
「?」
「懐かしい匂い、とも言う」
「……、」
その言葉を聞いて、一方通行はわずかに目を細めた。
杖をついたまま、改めて周囲をぐるりと見回す。
何気ない平穏な街並みが広がっていた。
だからこそ、得られる違和感があった。色も形も完璧に溶け込んでいるのに、明らかに違うもの。人の皮を被ったエイリアンを見ているような、説明のできない感覚的な区別。
彼らの目線の先にあるのは、
「観光バス」
「に偽装した、何らかの工作車両ってトコかしらん」
ニヤニヤと、番外個体は笑っている。
「学園都市は今日も相変わらずだねえ。あっれえ? でもおかしいなー。この街の暗部組織の『人や物を盾にして、無理矢理に汚れ仕事を片付けさせる』ってやり方は、どこかの誰かがやめさせたはずじゃなかったっけかなあ?」
「……、」
「道は二つ」
番外個体は人差し指と中指を、一方通行の前でひらひらと提示し、
「安全を確保するため、危険を承知で排除するか。危険を回避するため、安全にここは見逃すか」
「決まってンだろ」
吐き捨てるように、一方通行は答える。
「ここで排除する。あいつらは『契約』を破った。未だにこびりついている『闇』とやらに、ちょいと警告をしてやる。……余計な世話をするのは性に合わねェが、事が『暗部』に関わってンなら話は別だ」
「ひゅー。ま、『闇』が動いている以上、どこかの誰かは確実に傷つけられ、命と人生の危機に見舞われる訳だし? 第一位はサービス精神旺盛な良い子ちゃんですねー?」
「……いちいち知ったよォな口聞くな。オマエは?」
「もちろん、物騒な方を選ぶよ。そっちの方が楽しそうだし」