刃の突起に物品を引っ掛け、遠心力で力を蓄えた後、最適のタイミングで手放す事で破壊力のある投擲を実現する。
その仕組みを説明するかのように、機械の刃は金属製のゴミ箱を『摑んで』、高速で回転させ始めた。ほんの数秒で、残像すら見えるほどの勢いに達する。
だが青年に悲鳴を発している暇はなかった。
アルバイトの真後ろ……分厚い壁から、ギャリギャリギャリギャリ!!!!!! という、歯車が嚙み合うような嫌な音が響いた。いや、それは正しくない。より正確には、複数のチェーンソーの刃によって、壁が外側から破られた音だ。
破る。
切るというより崩すに近い侵攻。
「な、な……ッ!?」
振り返る事は許されなかった。
それより先に、青年の首の数ミリ手前へ、複数の方向からチェーンソーがピタリと添えられていた。
青年を取り囲むように、四機の殺人ディスクが首を狙っているため、彼は迂闊に倒れる事すら許されない。くしゃみ一つで首が飛ぶ状況だ。
「『まだ』殺すなよ」
黒夜はくだらなさそうに言った。
機械にというより、それを操っている何者かに語りかけているようだった。
(さて、『分かりやすい』方が良いかな)
黒夜は自分の背丈ほどもある金属製のマガジンラックを適当に蹴飛ばす。金具が外れてバラバラになったパーツの中から、棒状のものを摑むと、青年の喉元に迫る殺人ディスクを軽く叩いた。
「ひ、ひいい!!」
アルバイトの口から情けない悲鳴が漏れたが、殺人ディスクは数ミリも動かない。どういう姿勢制御機能を備えているのか、台にボルトで固定されたチェーンソーと全く同じ安定感だった。黒夜の持つ棒状の金属パーツだけが、火花と不快な切断音を散らし、斜めに鋭く裂かれる。
竹槍のように尖った先端を、青年の眉間へと突きつける。
「勘違いしているようだから訂正をしておこう。これは映画やドラマに出てくるような拷問シーンじゃない。何が何でもここで情報を聞き出さなくてはならない、なんて状況じゃない」
緊張と恐怖の汗を全身から流す青年は、頭上……上層階で悲鳴や脚を踏み鳴らす音が連続するのを聞いた。騒ぎはここだけではない。殺人ディスクは空を飛び、壁や窓を自由に裂く。上層階から直接突入する事ができるのだ。
「しゃべってもしゃべらなくても、どっちみち答えは得られるんだ」
黒夜はゆっくりした調子で呟く。
「どうする? どっちでも良いのに、わざわざ死んでみるか?」
部屋の番号を聞き出せた上、従業員用のマスターキーまで借りる事ができた。
まずまずの戦果に、黒夜は棒状の金属パーツを適当に捨て、上機嫌でカウンターから離れる。彼女は脇に抱えていたイルカのビニール人形を軽く頭上へ放り投げると、マジックテープのような効果でもあるのか、それを背中のコートに貼り付けた。
空いた両手を、軽く開く。
「さ、て、と。……じゃあそろそろ、真面目にお仕事しましょうか」
ボン!! と。
二つの掌から、無色透明の槍が噴き出した。
『能力』という、この街の学生にだけ与えられた凶器だ。
4
麦野沈利は街中で立ち止まっていた。
他の『アイテム』の人員と屈辱の罰ゲームを賭けた浜面捜しをしている最中で、ヒントが乏しくなってきた、というのもある。
だが、もっと直接的な理由があった。
何やら一〇歳程度の少女が、人様のコートの端を摑んでいるからだ。
茶色い色のショートヘア。
活発そうな顔立ち。
(……どっかで見たような……? どこだった? 確か、何かのレポートで……)
「何よ」
「ちょっとそのビビビを止めるのだ、ってミサカはミサカは注文を出してみたり。元から微弱な波だから、それをやられるとより一層見つけにくくなるの、ってミサカはミサカは内情を話してみる」
「……?」
麦野の眉が怪訝そうに動く。
言っている事が分からない、という意味の仕草ではない。
(……こいつ、義眼や義手の事をどうやって知った?)
「ビビビー。ビビビビビー禁止ー」
コートをぐいぐい引かれるのが面倒臭くなった麦野は、とにかく義眼のスイッチを切る。視界が若干狭くなり、遠近感が摑めなくなるが、日常生活に支障が出るレベルではない。
謎のミニ少女は頭を軽く左右に振り、頭頂部のアホ毛を風に揺らしながら、
「ようし摑めてきた、ってミサカはミサカはターゲットの位置を捕捉してみたり。まったく正規のネットワークアカウントがない相手を走査するのは大変だぜ、ってミサカはミサカは司令塔っぽい事を言ってみる」
(滝壺みたいにサーチ系の能力でも持ってんのか?)
と思った麦野だったが、今はそこまで切羽詰まっていないので、浜面捜索に駆り出すような事はしない。
代わりに、
「……っていうか、お前すごいコート着てんな。うわ、何これ。とんでもなく分厚い毛皮」
「ふふふエリザリーナ独立国同盟産だぜ? ってミサカはミサカは自慢してみたり。でもそっちもそっちで温かそう。これは微細なチューブの中に空気を閉じ込めるタイプの超軽量耐寒繊維じゃないかね、ってミサカはミサカは博識ぶってみたり」
ばさばさ、とまとめて摑んだコートとスカートの端を上下に振り、翼のように羽ばたかせる打ち止め。
そして彼女は気づいた。
「でも下着は寒そうだぜ、ってミサカはミサカは驚いてみたり」
「スケスケなのは仕様です。セクシー系担当は色々苦労させられるのさ」
適当な事を言い合って、二人は別れた。
それぞれの捜し人を追うために。
かつての第四位を知る者なら愕然としたかもしれないが、これもまた、麦野沈利という人物を示すパーソナリティの変化である。
5
半蔵が部屋から出ていった、数分後の事だった。
何か、浜面の神経を薄く薄く突き刺すような不快感があった。しばらく黙考して、その正体が音なのだと浜面は知る。部屋はそこそこの防音が施されているはずなのだが、何か人の騒ぐ声のようなものが聞こえるのだ。それも一方向だけではない。そういった音に取り囲まれているような錯覚がする。
「浜面」
「大丈夫だ」
不安そうな声を出すフレメアに、浜面はそう答えた。
根拠などなかった。
携帯電話の中にある滝壺達のメモリの存在が大きく膨らんでいくような気がしたが、浜面は助けを求めたい感情を押し殺した。
問題が大きいからこそ、安易に巻き込む事はできない。
「今、半蔵が頼りになる応援を呼びに行っている。そいつが来れば状況も変わってくるさ。だから問題ない」
きっと半蔵は無事に郭を見つけ出してここまで戻ってくる。郭は浜面達も知らない隠れ家をたくさん持っているようだから、『追っ手』に怯える必要もない。一体どうすれば『勝利』になるのか、その条件すら今はまだ判然としていないが、隠れ続けるにしても、反撃するにしても、安全な居場所を確保できるのはとても大きい。だから、郭とさえ合流できればかなり状況は好転するはずだ。
そんな風に思っていた浜面だったが。
いきなり、耳をつんざくような騒音が彼の鼓膜を打った。
ギャリギャリギャリギャリ!!!!!! という巨大な歯車で壁を削り取るような轟音は、個室サロンの扉のすぐ向こうから響いてくる。
廊下で何かが騒がしい機械が動いている、という感じではない。
明らかに、扉の板そのものが振動している。
「な、何あれ!? 大体あんなの……ッ!!」
「下がれ!!」