当然、大空を飛ぶエッジ・ビーの群れも、個室サロンが襲撃されているのも、街の住人は目撃している。だが、だからと言って具体的に凶行を止められる者はいない。変だ、おかしい、そうは思っても、刻一刻と変化する状況にはついていけない。
これが、住んでいる世界の違い。
『暗部』。
そもそも上っ面の建前よりも強力でなければ、『闇』は『闇』として機能しない。
(さて、シルバークロースのエッジ・ビーがフレメア=セイヴェルンを追い込むまでは、邪魔な増援は私の方で何とかしないといけない訳だが……肝心の野郎の位置情報も教えてほしいもんだ)
その時だった。
カツン、という足音を聞いた。
黒夜海鳥は口元に邪悪な笑みを浮かべる。
匂いを感じる。まともではない者の匂い。行き交う人々に紛れ込もうとして、明らかに失敗している者の匂い。有り体に言えば、『闇』に身を浸した者だけがまとっている匂い。
「おや?」
黒夜が声を上げるのと、テーブルの上に紙片が滑り落ちるのはほぼ同時だった。
流行りものらしい紅茶の脇に添えられたのは、一枚の写真だった。
フレメア=セイヴェルンの。
「……参ったね、報告通りだ。本来なら、アンタの登場はもうちょっと先だったはずだけど」
ニヤニヤと笑いながら、黒夜はテーブルの向かいに声をかけた。
そこにいたのは超能力者だった。
「まったく、第四位の方が簡単だったのに」
そう。
やってきたのは、第一位の一方通行だった。
一方通行はフレメア=セイヴェルンの写真をテーブルへ投げ、相手の反応を窺った。
マーカーで色分けされた地図など、いくつかの情報を参考にこの近くまでやってきた訳だが、一番の判断材料は、先ほどの爆発と大量の無人偵察機だった。正直、ここを経由しなければ、ビルか無人偵察機の出所、どちらかに向かっていただろう。
その足を止めてまでオープンカフェに目を向けたのは、偶然だった。
あまりにも、分かりやすく。
周囲の風景に複数の部下を溶け込ませた状態でくつろいでいる、『闇』の匂い満点の馬鹿を見つけたからだ。
「座ったら?」
薄い笑みの中に剣吞な眼光を混ぜた少女が、そんな事を言う。
「店のお勧めだってさ。名前は、んー、長ったらしくて良く分かんないな。まあ飲んでみれば? 不味いのは間違いないけど」
一方通行は少女と向かいの席に腰掛け、勧められたものとは別の銘柄を注文した。
こちらも不味かった。
「……どォしよォもねェな」
「人生なんてそんなもんだよ」
「オマエは?」
「自己紹介なんてすると思う?」
「黒夜海鳥」
「……チッ。確認作業の方の質問かよ」
辺りを軽く見回せば、配置しておいたはずの部下の数が二、三人足りない。顔も名前も覚えなくて良いレベルの重要度しかない連中だったが、どうやら物陰にでも引きずり込まれたらしい。
代わりに、片腕をギプスで固めたアオザイの女が、こちらを見て軽く手を振っていた。ただしその笑みは侮蔑しか込められていない。
(分かりやすい手口だが、言われるまで私に気づかせなかった手並の方は褒めるべきかね)
黒夜は諦めて、
「ご名答。……指の二、三本でも切り飛ばした?」
「路地にある生ゴミの自動処理装置に放り込ンで、しゃべるか肥料になるか尋ねただけだ」
「え、そのレベルでしゃべったの? じゃあ私の方で切り飛ばしておかないとな」
「だがいただけねェな」
一方通行は遮るように付け足す。
「大した情報を持ってねェ。オマエとシルバークロースってヤツの名前と、『新入生』ってキーワードぐらいか。……そォそォ、その『新入生』ってのは、みっともねェプライドの拠り所としちゃよっぽど重要らしいな。オマエ達の名前は吐いても、そっちについてはしゃべらなかった」
「……足も含めて指全部切り飛ばすか」
頰を膨らませて物騒な事を語る黒夜。
ストレス発散のためのプロセスなのか、彼女は別の席に置いてあるイルカのビニール人形を掌で撫でながら、
「で、アンタ何なの?」
「こっちの台詞だ」
一方通行は吐き捨てるように、
「『闇』は消えたはずだ。俺が消した。街中の『暗部組織』を縛る構造そのものを撤廃させた。あの忌々しい第三次世界大戦の終戦間際で、そォなるように話を進めた。上層部の都合で操られる人間は解放されたはずだ。にも拘らず、何でオマエみてェにあからさまなヤツが動いている?」
第三次世界大戦の終結間際、彼は上層部の使いの者にこう告げている。
(今後、あのガキや妹達を盾に使って命令を飛ばすな。第三次製造計画も凍結しろ。殺すも作るも関係ねェ。オマエ達の都合で、これ以上あいつらの命を弄ぶな)
そして、
(俺と似たよォな境遇の連中も解放しろ。誰かしら、何かしらの盾を使って無理矢理に『闇』の世界で汚れ仕事を押し付けるのは許さねェ。一つの事例でも確認できたら、俺は問答無用でオマエ達に牙を剝く。何度でも、何十度でも、暴虐の数だけオマエ達を叩き潰す)
「確かに」
黒夜はカップを口元に近づけ、その香りを嗅ぎ、嗅ぎ、嗅いで、やっぱり違いが分からない事に首を傾げつつ、
「一度は通達があった。鎖として機能していた人質や条件は白紙に戻された。喜んでいるヤツもいたんじゃないかな。それはアンタの恐怖が上層部まで伝達したというよりは、あの戦争でアンタが必要な役割をこなしたから、そのご褒美にって感じだったろうけど。……例の『借金』、戦争の功績でチャラになったんだろう?」
「……、」
「私はね、本人に出会ったら直に言ってみたい事があったんだ。いや、実を言うと今の今までサッパリ忘れてたけど、その面を見たら思い出した。だから言おうか遠慮なく」
そこまで言うと、黒夜はカップを手にしたまま、一度だけ瞳を閉じた。
そして開く。
告げる。
「……世の中全ての人間が、仲良しこよしになりてェとか思ってンじゃねェぞ」
直後だった。
ゴッ!!!!!! という爆音と共に、テーブルが真っ二つに裂けた。
一方通行は軽く首を横に振る。
口元に寄せていたカップがテーブルと同じように切断され、中身の液体が宙を舞う。
彼は学園都市最強の能力者だが、首元にあるチョーカー型の電極のスイッチを切り替えなくては能力を使用できないのが欠点だった。とっさの行動に、レスポンスが間に合わない。
だから一度目は避けた。
ただし二度目は必要ない。
空いた手で首筋のスイッチを切り替えると同時、安っぽい色の紅茶が彼の上半身にぶつかり、その全てが弾かれた。一方通行の肌に火傷の痕跡はない。そして続けざまに放たれた黒夜の『攻撃』も、同じ末路を辿らされた。
すなわち、反射。
黒夜は椅子を後ろへ飛ばすように勢い良く立ち上がり、全力で身をひねり、かろうじて自らの攻撃を避ける。手にしていたカップは切断されていた。残った取っ手の部分を路上へ捨て、イルカのビニール人形を摑む。
紅茶もテーブルも向かいの席もなくなった中、ただ一人椅子に座ってくつろぐ一方通行は、
「……その言葉遣い、いや、演算のパターンは……」
「気づいちゃったーン? そりゃ気づくか。何しろアンタのパターンの一部を植え付けて強化している訳だしな」
「『暗闇の五月計画』か」
一方通行は鼻で笑った。