黙る運転手を気にせず、丈澤は『ドラゴンライダー』にまたがった浜面へ声をかける。
「約束しろ」
『できるだけ傷つけないようにするつもりだけど、無傷で返せっていうのは難しいかもしれない』
「そいつに乗る以上は、最高のスペックを叩き出せ。その結果スクラップになるなら構わない。後は、そうだな……」
ふと真面目な顔になった丈澤は、そんな事を言う。
これまでの表層が噓だったかのように、空気が冷える。
「必ずその子を助け出せ」
『……言われなくても』
浜面の操る『ドラゴンライダー』は慎重な動作でトレーラーの荷台のスロープから、トンネルの路面へと降りる。
そこから先は早かった。
バォン!!!!!! という轟音が炸裂した時には、すでに『ドラゴンライダー』は渋滞の車の隙間を縫って高速走行を始めていた。
ジェットエンジンの爆炎を見送りながら、丈澤はケラケラと笑う。
どんな形でも良い。
一度ぐらいは、人の役に立ってほしかったとも思うよ。
「……おばあさんや。わしらの可愛い孫が、ようやく人を助けるために出かけおったぞ」
「結果が意義を生み出す。助けに行った、ではまだ足りないぞ」
13
率直に言って。
実は浜面仕上は、そこまで計算通りに『ドラゴンライダー』を操れた訳ではなかった。
というより。
加速した直後、浜面の視界が一気に歪んでいた。
『ぎ、ぁ……ッ!?』
前後の状況が分からなくなる。あまりの速度に視覚を処理する機能は追い着かなくなっている……そう予測をつけた時には、すでにトンネルの緩やかな壁が間近に迫っていた。
『ふざ、けんな。こんなもん操れる訳ねえだろォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
視界が眩む。
音が消える。
喉が奥まで乾いていくのが分かる。
だが、
『あ、れ?』
混乱を起こす浜面は、それでも激突しなかった。
体が、腕が、指が、勝手に動いている。
車線に沿って、恐るべき出力の大型バイクが、正確に、滑らかに、圧倒的な速度で空気を引き裂いていく。
(……何だ、こりゃ……)
命が助かった安堵よりも、言い知れない不安が浜面の背筋を這う。
(……いくらなんでもスムーズ過ぎる。元々、二輪の方はそんなに詳しくないはずなのに。何かが外側から、俺の動きを勝手に調整していやがるのか……ッ!?)
そもそも、浜面の着ている駆動鎧の正体は、モーターや化学性スプリングで人の動きを強化するものだ。
普段は浜面の意思に応じてそれらが動くはずだが、当然、反対の事もできる。
つまり、浜面の動きを支える形で、駆動鎧がガイドを行うのだ。
すると、最終的に『浜面仕上というボディ』は最適のフォームで運動をする事になる。
一見便利そうに見えるが……、
(おおおおおっ!? にっ、二人羽織でバイク運転してるようなもんだぞこれ!! 安心なんてできるはずあるか!!)
肉体と精神の分離。
自分で思っている体の動きより、結果として優れた結果を生み出してしまう齟齬の恐怖。
素晴らしい挙動にごまかされつつあるが、まるで人型の檻に閉じ込められているような錯覚を感じる。
『くそっ!! 気持ち悪りぃ。ロシアの時の兵器といい、何で俺の周りにはこんな得体のしれないマシンばっかり集まるんだ!!』
丈澤に言葉で説明されていた操縦方法が、『人工的な実感』として強引に組み込まれていく。
『ドラゴンライダー』は、複雑な操作は必要なかった。
基本的な操縦方法は大型バイクというよりもスクーターに近い。装甲で完全に覆われたハンドル内部で指を動かすだけ。ギアやクラッチという概念はなく、スロットルとブレーキ、つまり加速と減速のみで成立していた。ハンドルの左右のグリップのどちらでも操れ、片手でも問題ないほどだ。ジェットエンジン、補助ブースター、リニア機関。様々な駆動体系は速度域に合わせて自動制御されるらしい。
だが、初めてハンドルを握って完璧に操れるスケールではない。
その程度の怪物であるはずがない。
胴体部分をジェットエンジンが貫き、空気摩擦低減のために先端を尖らせた『ドラゴンライダー』は大型かつ大重量で、本来であればまともに運転するのにも苦労させられるはずだ。
まして、渋滞の起きているトンネルの中で、車の隙間を縫って進むとなれば難易度の方も跳ね上がる。これだけの大型二輪を潜り抜けさせるのは、教習所の教官でも難しいだろう。
なのに。
立ち往生する車体と車体のわずかな隙間を、『ドラゴンライダー』は突き進む。速度表示に目をやった浜面は、そこで息を吞んだ。すでに時速四〇〇キロを超えていた。普通車ならメーターが振り切れていないとおかしい速度だ。
当然、浜面にそこまでの腕はない。
プロのカースタントを行う連中にも、ここまで繊細な挙動は不可能かもしれない。
(……言われてみれば、駆動鎧ってのは『人間の機能』を外から補強するための道具だったな)
駆動鎧は、単に機械を使って手足の力を増幅させるためだけのものではない。
これが学園都市製。
モーターや化学性スプリングによる『外側』からの手助けもそうだが、おそらく、それだけに留まらない。
普通だったら、これだけの速度域ではパニックになるはずだ。
恐怖で何も考えられなくなり、次にどうしようと思う事すらできなくなるはずだ。
そうならない事、不気味と感じつつも駆動鎧に命令を送り、マシンが『乗り手の求めているものは何か、この場合の最適とは何か』を算出するための『計算のきっかけとなる柱』を与え続けている浜面は、あまりにも冷静すぎる。
おそらく、『内側』からの手助けもある。
電気的な刺激や脳の温度分布などを利用して、人間と機械を繫げる『仕組み』が備わっている。
めまぐるしく移り変わる五感の情報。特に視界のブレはひどく、ほとんどの物体がシューティングゲームのレーザービームのような曲線の集合体で表現されている。
にも拘らず、浜面はそこから情報を確保する。
光景がスローで見えるのではない。あくまでも流線の風景から情報を得る。物体がピタリと静止しているのではなく、常に流れているのが当然な世界の住人へと意識を置き換える。
認識の違い。
それは言語に似ているのかもしれない。アルファベットは、それを知らない者には模様にしか見えないが、知っていれば頭の中に自然と情報が広がる。
外と内から修正される五感。
下手をしたら、机にかじりついて勉強をしている時よりも高速で働く思考。
それらが一センチ以下の誤差で大破しかねない状況での曲芸を成功させている。
『ドラゴンライダー』がトンネルを出た。
浜面は一気にスロットルを開放させる。
直後に衝撃があった。
今まで折り畳まれていた、前輪部分の左右から後方へ流れる補助ブースターのアームが、一気に展開される。爆音が何重にも重なり、衝撃波を撒き散らしながら、内燃機関によって生み出されたエネルギーをひたすらに前進のみへ割り当てる。
本来の姿。
速度メーターが一気に時速九〇〇キロのラインに到達する。
生身では酸素を吸う事も、目を開ける事も難しい領域。摩擦熱で火傷を負っても不思議ではない速度。二五〇メートル先の障害物が、一秒後には激突している世界。周囲の車も結構な速さで進んでいるはずなのに、止まっているどころか、むしろこちらへ突っ込んで来ているような錯覚すら感じるほどの状況。
それを駆動鎧の修正で無理矢理に押し通す。
やはり浜面の脳裏に『心や体の動きを阻害するレベルの』恐怖は浮かばない。
そのマシンと同じように、思考はひたすら前を目指す。
路面の状況、落ちている小石や空き缶の位置まで正確に把握し、最低限の動きだけでそれらを回避していく。