第四章 善人になる権利と突っぱねる権利 Black. ㉑

 爆発し、まともに機能しなくなった四足の、カメラのレンズがとらえている。えんかくにいるシルバークロースを目撃者にしている。

 炎の中に立つ影を。

 小さな少女を両手で抱えるその影を。


『浜面、仕上……ッ!!』


 シルバークロースは気づかなかったのだ。

 浜面が四足のこわれた右後ろ脚と地面に挟まれて火花を散らしていた『ドラゴンライダー』のバイクに足を乗せ、力の入らなくなった四足の右後ろ脚を全力で数センチほど持ち上げ、フレメアを抱えたまま半ばサーフィンのようにだつしていた事を。

 だがシルバークロースは信じられない。


(どうして、どうやって生き延びた……? しかも、あれはフレメア=セイヴェルンか。浜面と違って、本当に装甲の恩恵を受けていないはずなのに!!)


 炎の中に立つその人影の詳細を調べるため、彼は大破し使い物にならなくなった四足ではなく、アルマジロと地下鉄のセキュリティもうをケーブルで直接つなぎ、監視カメラを利用しようとする。

 それが裏目に出た。



『そこにいるな』



 声が刺さる。

 視線がこちらを向いている。

 モニタに映る映像が、スピーカーから聞こえる音声が、正確にシルバークロースをく。


(……駆動鎧パワードスーツ同士の通信装置から割り出された? いや違う。これは……ッ!!)


 シルバークロースが乗っ取った監視カメラのレンズへ正確に視線を投げるはまづらの腕の辺りから、ケーブルが伸びていた。

 向こうはこれみよがしに監視カメラの前に立ち、電子的な『あみ』を張った上でシルバークロースの出方をうかがっていたのだ。

 当然、単なる不良少年にできる領域を超えている。

 だがシルバークロースは知っている。その足りない知識や技術を、具体的な経験のレベルまで強制的に補強させる機構を。

 彼はアルマジロのせきついの辺りに手を当て、


(……駆動鎧パワードスーツからのマインドサポート。私と同じか!!)


 あくまでも一時的。駆動鎧パワードスーツを脱いでしまえば失われる程度のもの。だが装着し続ける限り、その知識や技術は当人のものとして自由に扱われる。

 炎の中の人影が、動く。

 駅からトンネルを伝ってきたのか、それともシルバークロースと同じく工事作業員用の出入り口を使ったのか……ほかにも人物が見えた。一方通行アクセラレータではない。個室サロンに隠れた浜面達を逆探するために利用した、不良少年の一人のようだった。

 浜面から少年へと、フレメアが預けられる。

 彼女は生きている。そしてフレメアの身柄が移されてしまえば、シルバークロース達が掲げる『作戦』は失敗に終わる。

 だが、もはや気にしている余裕はなかった。

 シルバークロースは、何にも増して最優先で考えなければならない事ができてしまった。

 生き残る事。

 それを真剣に考えなければならない段階へ、いつの間にか追いやられていた。


『……俺が何をしようとしているかは、言わなくても分かるな』


 言葉と共に監視カメラはかいされ、ノイズだけになる。

 同時、通信を介した音声も完全にしやだんされた。

 追う者と追われる者が逆転した、そのしゆんかんだった。


    18


 ピンク色のジャージ少女・たきつぼこうは路上の自動販売機の前でぼんやりしていた。

 手にしているのは単なる缶ジュースではなく、有名喫茶店おすみきのアイスティー……らしいのだが、率直に言って、デフォルトで大量投入されたミルクと砂糖とはちみつすべての風味が失われていた。甘さのレベルはいちごミルク級である。


(……足が痛い。歩くの疲れた……)


 理由としてはとてもシンプルな理由で、滝壺はここにいた。

 相変わらずくつじよくのバニーをけたはまづら捜しを続けている『アイテム』の三人だったが、むぎきぬはたと違って、滝壺は『浜面を捜すための根拠』を特に持っていなかった。そして、『他人のAIM拡散力場を感知する』彼女の性質上、滝壺は本人が思っているよりも『かん』というものを重視する傾向がある。

 彼女がその能力をフルに使うには、強力な副作用のある『たいしよう』という粉末が必要なのだが、それがなくても『能力者が無意識に発する微弱な力』を漠然と感知する事はできる。が、それはあくまでも『漠然としたもの』でしかなく、何々の力を持っただれだれがどこどこにいる……といった、具体的で有用な使い方はできない。

 なので、何かしらの『見えない力』の後押しがあるとはいえ、結局彼女を動かしているものの正体は、あいまいで不確実な『勘』という事になるのである。

 ……これで学園都市の『やみ』を五体満足で渡り歩いてきたというのだから、実は研究に値するものなのかもしれないが……。


「んー……」


 滝壺はぼんやりと頭上を見上げ、


(北東から信号が来てる……。多分あっち)


 その時、携帯電話が着信メロディを鳴らした。

 てくてくと街を歩き続ける滝壺は、小さな手でポケットから電話を取り出す。

 相手は絹旗さいあいだった。


『やほー。そっちは浜面超見つけられました?』

「んーん」

『麦野も警備会社のかんかつの問題で思ったよりも映像データを超引き出しづらいみたいですし、となるとやっぱり私が超一番乗りですかね』

「きぬはた、はまづらがどこにいるか分かったの?」

『ええまあ』


 電話の声は、そこでわずかにトーンを落とした。


『……ただ、近くに超面倒くさそうなのがいるのも見つけましたけど』



    19


 ところで。

 シルバークロース=アルファは、過去に制裁で顔を焼かれた事がある。

 人間は中身が大事だとかいう寝言が実生活では何の役にも立たない事を、彼はそこで身をもって知らされる。

 そこからのシルバークロースの人生は、ただひたすらに顔を取り戻す事に費やされた。いくつもの『仕事』をこなすたびに学園都市のたいのしれない技術が次々と投入され、できそこないの福笑いのようであった彼の顔は、少しずつ、丸めた粘土の細部を整えていくがごとく、しゆうぜんされていく。

 しかしそこで彼は気づいたのだ。

 元のたんせいな顔立ちを完全に取り戻してから、ようやく。

 たとえどれほどの技術と資金を使って、かんぺきな形で顔面を作り直したとしても。

 顔を焼かれた時のあのくつじよくが、シルバークロース=アルファという人相を死ぬほどみにくゆがめ続けているのだという事を。

 ゆえに。

 シルバークロースは基本的に、自己の肉体に対して美的感覚を有さない。

 何を飾っても内側からしゆうあくに改ざんされるのだから、肉体という形に未練がない。

 数々の駆動鎧パワードスーツに乗り換えるその性質も、結局のところは『自らの外観、りんかく、印象に対して、全く執着を抱いていない』という心の組み立て方にたよる部分が大きい。

 四本脚の駆動鎧パワードスーツを操るには、四本脚の動物になるしかない。

 八本脚の駆動鎧パワードスーツを操るには、八本脚の動物になるしかない。

 間にプログラムをませる事で操縦の簡略化はできても、本当の意味で完全に駆動鎧パワードスーツを操るというのは、つまりそういう事だ。むしろ、プログラムによってスムーズに慣れさせられるのが問題のレベルを上げている。

 生身の二本の足で八本脚を操るための挙動は、当然ながら二足歩行時には何の役にも立たない。その『八足歩行法』に慣れてしまうと、今度は生身の二本の足でどうやって歩くのかを忘れたり、命令が混乱してしまう。

 足のたとえだけでこれだ。

 この問題が『全身』に広がれば、どこまで深刻化するかは言うまでもない。

 自分の体の形は何なのか。それはどう動くのか。

 だれもが知っていて、誰もがくつがえす事の出来ないその事実を、シルバークロースは自己の頭の中で毎回分解してしまう事ができる。『人の形を超えたモデルが量産化には至らない理由』を、彼の精神はねじ伏せてしまう事ができる。

 しかし。

 そこまで自己の肉体を切り捨てていた彼は、ふと思ったのだ。

 燃え盛る炎の中で、フレメア=セイヴェルンを抱えて立ち上がったあの男。

 その光景、その立ち位置。

 それは、シルバークロースがどんなモデルの駆動鎧パワードスーツに搭乗しても、決して得られるものではないのかもしれない、と。

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