最初の一撃で建物全体が倒壊していない限りは、インデックスについては美琴や御坂妹がついている。そうそう簡単にはやられないだろう。
……この先、取り得る選択肢は大きく分けて二つ。
一つ目は、一刻も早く地上に出てインデックスや美琴達と合流する事。インデックスか、打ち止めか。どっちが狙われているにせよ二人を抱き合わせにしてしまえば、襲撃者は同じ地点に攻撃を仕掛けざるを得なくなる。科学か魔術かの区分なんて関係なく、顔を出したところを総攻撃して叩きのめせば脅威を排除できる。
二つ目は、インデックスと打ち止めを速やかに引き離す事。これによって、襲撃者がどちらを追うかで科学か魔術かの所属がはっきりする。また、美琴達と連絡さえ取れれば二手に分かれた事でのメリットが生まれる。襲撃者はターゲットを追い回しているつもりかもしれないが、その無防備な背中を、さらに上条や美琴など別働隊がこっそり追跡できるのだから。
「……、」
わずかに考えて。
そして上条当麻は決めた。
「打ち止め、とりあえずいったんここから離れよう」
「良いけど……」
上条が動く気配を見せると、とててと小さな少女も彼の服の端を掴んだままついてくる。どうやら離す気はないようだ。
選んだのは、後者。
美琴や御坂妹の高い実力を信じているからこそ、今は合流よりも別行動を選ぶ。とにかく相手の正体が分からない事には逃げるのも戦うのもおぼつかない。襲撃を受けた時点で、上条達は情報的な遅れがあるのだ。この差を詰めない限り、ただただ延々と襲われ続ける悪循環から抜け出せない。
自宅の学生寮に逃げ帰ったとして、平和が戻るのか?
警備員にすがりついて保護してもらったとして、詰め所ごと破壊されるリスクは?
……せめて、相手の顔と名前が分かる位置まで情報的に追い着きたい。
前者の合流ルートは一見すると戦力を集め、誰が狙われてもみんなで庇い合えるから安全度が高いように思えるかもしれないが、落とし穴がある。正体不明の敵が物陰に隠れてじっと静観を選んだ場合、身動きが取れなくなるのだ。どんな攻撃手段にせよ、一撃で建物を断ち切って地盤を持ち上げるほどの力だ。どこかに籠城すればやり過ごせるようなものではない以上、顔も見えないままにして上条達が固まっているポイントの周囲を自由に歩き回られる、なんていう展開に陥るのは絶対に避けたい。それでは広い海を救命ボートで漂流しながら巨大なサメに脅えているのと変わらない。
牙の持ち主を、水の中から引きずり出せ。
安全を確認するのはそれからだ。
「じゃあ行くぞ」
「走らないの? ってミサカはミサカは先を促してみたり」
「明かりはこのケータイ一つだけ、でもって足元は電話帳よりデカいコンクリとか割れた蛍光灯の破片とかでいっぱいだ。躓いて転んだら無事じゃ済まない」
ここが駅と駅を繋いでいる地下道だった場合、最寄の上り階段はどこだっただろうか、と上条は頭の中で思い出そうとしていた。あの一回の攻撃でどこまで被害が広がったのかは未知数だが、階段が潰れていない事を願うばかりだ。
そして即席チームを組んで、一〇メートルも進まない内に、だった。
もう一度、激しい揺れが上条達へ襲いかかってきた。
「わっ!?」
「やっぱり狙いはインデックスじゃなくてこっちか!!」
ばづんっ!! という破断の音は、コンクリートか金属か。あまりにも聞き慣れないものだったので、耳で捉えても何が壊れたのか想像もつかなかった。
ただし、低い振動がいつまでも止まらない。
というよりどんどん大きくなってくる。
ざざざ。
ざざざざざざっ。
どどどどどざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざ!! という床全体を震わせるほど太い音の塊の正体は……、
「……ちくしょう、走れ打ち止め」
「えっ? でもさっきは」
「野郎、地下を走る水道か工業用水か、とにかく何かの配管をわざと破りやがったんだ!! 早くしろっ、大量の水が押し寄せてきてる!!」
大きな声に背中を叩かれるように走り出した打ち止めが、前につんのめりそうになる。上条はその細い腰を片腕一本で抱き抱えて、とにかく前に走った。光源は携帯電話のLEDライト一つだけだが、腕の振りがメチャクチャなので前方の確認すらままならない。打ち止めは上条に抱えられたまま細い脚をぱたぱた振っていた。
「トンネルが全部震えてるよ! ってミサカはミサカは気づいた事を言ってみたり!」
「分かってる。崩れたりしないだろうな、これ。とりあえず両手で自分の頭だけ守っとけ!!」
音が大きくなる。
いいや、近づいてきている。
もう鼓膜というよりは腹の中身を揺さぶられるような低い轟音であった。
後ろから追い着かれ、吞み込まれるまであと何秒? 暗闇で視界が確保できないと、自分の焦りで自分の足を引っ掛けてしまいそうだった。今転んだらきっと助からない。為す術もなく吞み込まれて回復不能だ。根拠もない自家生産の死の予言が、心臓を明確に縛り付けてくる。
だから最初、危うく見逃すところだった。
上り階段を示すアイコンの看板を白々しいLEDライトが照らし出し、上条は急ブレーキを掛けてそっちへ飛び込む。打ち止めの腰を腕一本で抱えたまま二段飛ばしで踊り場まで駆け上がる。
そこで真横に足をすくわれた。
一瞬にしてこの高さまで持ち上がってきた濁流が、危うく上条の体を持っていきそうになったのだ。実際には膝下くらいの高さでいったん止まったが、それだけで体全体のバランスを失いそうになる。
踊り場までで一〇段以上あったはずだ。下の地下道はすでに全部埋まっている。ここだっていつまで保つかは分からない。
「くっ!!」
ひび割れたコンクリートの壁にわざと体をぶつけて、転倒阻止。そのまま残りの折り返しを一気に上がっていく。さらにくぐもった破断音が遠くから響き渡ったと思ったら、急激に水量が増した。また別の水道管なり下水管なりを断ち切ったらしい。こちらの腰を丸吞みしようと水位を上げる濁流から必死に逃れる格好で、上条は階段を駆け上がる。
最後で足を滑らせた。
「がっ!?」
上条は体を丸めて硬く冷たい階段の角から打ち止めだけでもどうにか守る。奥歯を噛んで痛みを堪え、その小さな体を最後の数段、地上部分まで両手で押し上げる。だというのに彼女は立ち上がりもせず、這いつくばったままその小さな手をこちらへ伸ばしてきた。
「待って、早くこっちに、うーん……っ!!」
実際、何の意味もなかっただろう。
このままずるりと上条の体が滑り落ちれば、せっかく助けた打ち止めもろとも真冬の水の中に没していたはずだ。
(……だ、だ)
だけど。
だからこそ、上条当麻は最後の最後で踏み止まった。
(まだだッ!!)
この子は絶対に巻き込めないと、それだけ考えて無理矢理に数段分の高さをよじ登り、地上へ身を乗り上げていく。
砕けたタイル状の歩道へ、打ち止めと二人して転がり出る。
濁流は、きっちり地面の高さで止まっていた。まるで獲物を捕らえそびれた猛獣が茂みの中からいったん様子を窺っているようだ。何かが気に入らなかったのか、立ち去るように水が地下へと引いていく。おそらくは別の亀裂なり大穴なりを作って。
表もひどいものだった。
あれだけ堅牢だったビルの群れはあちこち傾き、鉄筋コンクリートの壁には不気味なX字の亀裂が走っていた。倒壊の恐れがある危険な兆候、だったか。ドラム缶型の清掃ロボットが倒れて転がったまま姿勢を回復できずにタイヤを空転させ、三枚羽根の風力発電プロペラもいくつかは支柱から丸ごと倒れてガードレールや路上駐車の軽自動車などを潰している。人に直撃していたら大事になっていたところだ。