行間 三

 その低い振動は、窓のない部屋にまで伝わってきた。


「始まったか」

「……、」

「話を受けた時点で分かっていたはずだぜ、かわ。理想論なンてのは現実の前じゃ無力だ。だから押し通そうとすりゃ、絶対に猛反発がやってくるってな」


 新たな統括理事長の正体を知った時、かわあいは耳を疑った。

 しかしその口から出た言葉を聞いた時はついていっても構わないと思った。


 学園都市の『暗部』を一掃したい。

 邪悪でどうしようもない研究なんて根絶やしにしてやりたい。


 この街の誰もが思う事で、でも誰にも実行できなかった事。

 それも、一方通行アクセラレータという規格外の怪物が新統括理事長の席についた事で風向きが変わってきた。『手錠ハンドカフス』という具体的な枠組みオペレーシヨンネームが作られて。直接的な暴力でも間接的な権力でも誰にも負けない、正真正銘のモンスター。しかしこの第一位であれば、言い放てるのだ。誰に何におびえる必要もなく、正しい一言を。

 だって、悲劇なんか誰も生み出したくない。

 ひょっとしたら研究に従事している白衣の男達ですらそう思っているかもしれない。


はら』とかいう生粋の変態集団や己の利権に固執した上層部でもない限りは、どこまでいっても人は己の心から逃げられない。どれだけ理論を固めて正当化を施したところで、絶対に夢に見る。自分が犠牲にしてきた生徒達の顔を、毎日毎日。

 だから、何かのきっかけさえあれば。

 本当の意味で強い指導者が味方についてくれるなら。


「俺のアキレスけんは最初から分かり切っていた」

打ち止めラストオーダー、か」

「ドロドロの暗闇の方が居心地のい連中は、まず間違いなくそこを狙ってくる。当たり前だ、表からも裏からもビクともしねェンじゃ、後はもう身内を人質にとって交渉するくらいしかできる事はねェだろォからな」


 だけどここで怒りに身を任せて一方通行アクセラレータが外に飛び出してしまえば、これまでの繰り返しだ。そんな話をするために白い怪物は警備員アンチスキルかわあいをここまで呼びつけた訳ではない。

 そう。


「俺を検察に送って、そのまま起訴させろ」

「っ」

。こいつはオマエの仕事だぜ、かわ。後の話を任せられるのは、オマエくらいしかいねェからな」


 ここは、新統括理事長の秘密基地ではない。

 謎の研究施設でもない。

 部屋の主はかわあいで、一方通行アクセラレータは招かれざる客。

 街の治安を守る、警備員アンチスキルの詰め所だったのだ。より正確には、特に大規模な汚職や疑獄など情報洩れが怖い案件での一斉捜査前に数少ない協力者から最終確認を取るための、表の図面には存在しない秘匿取調室である。

 緊急事態だとは分かっていた。

 それでもいつもの仕事場を見知らぬ人間が掌握しているのを見た時は少なからず驚いたものだ。

 使いの者かと尋ねたのはかわだった。

 てっきり周囲の統括理事を説得して全体の方針を決め、彼らの手駒にでも護衛させているのかと思ったが、まさか直属の部下が一人とは思わなかった。当人に第一位としての力があるとは言っても、あまりに無防備だ。

 つまり、できていない。

 意思統一がなされていない以上、混乱もあれば反発も予想されうる。


「……学園都市の『暗部』を一掃する。だったら、例外なンか作っちゃならねェ。調書は取らせたはずだぞ。俺は、クローンとはいえ確かに生きていた人間を一万人以上殺してきた。その後もくされて暗部に身を置いて、事件解決なんてうたいながら平和な街で銃を撃ち続けてきたンだ。こンな人間は、大手を振って表を歩いちゃならねェ。俺は塀の中に行かなくちゃあならねェンだ。誰が引き止めよォがな」

「統括理事長は学園都市の全権を掌握する。下にいる一二人の理事なんて実際にはお飾りじゃんか。だからこそ、実際はどうあれ書類の上では絶対に正しい存在でなくちゃあならない。そいつが、そんな大物が自分から首を差し出すなんて話は聞いた事もないじゃんよ……」

「だったらどォした。今までが間違ってたってだけだろォが。……笑わせンなよ、書類と実体がズレてやがる時点でそンなモン正さなくちゃあならねェ問題点に化けてンだろォが」


 誰が悪いかと聞かれたら、一方通行アクセラレータが悪いに決まっているのだ。

 その能力を開発したのが『はら』で、旧統括理事長アレイスターが己の目的のために怪物を人殺しの道へ誘導していたとしても、実際に手を汚したのは一方通行アクセラレータだったのだ。

 だけど第一位は、あまりにも多くの闇に関わり過ぎた。

 たった一人の証言から、どれだけの人間が手錠を掛けられる事だろう。

 それを許さない者だって、当然ながら大量に湧いて出てくる。

 仲良しこよしじゃない。自分自身の未来のために。


「……もう、お前はてつごうから出られない」

「分かってる」

「少年法と照らし合わせても! 捜査協力と引き換えに減刑を申し出ても!! それでも全然足りないじゃんよ。コンピュータはすでに試算している。今のままなら懲役換算で一万一〇〇〇年は必要だ!!」

「むしろ少ねェよ。ふざけてンのか、一人殺して一年程度しかねェじゃねェか」


 どうして、とかわは口の中でつぶやいていた。

 第一位は目線すららさなかった。


「……言ったろ。例外なンか作っちゃならねェンだ。俺は第一位にして統括理事長、全員のお手本にならなくちゃあならねェ人間なンだからよ」


 かわあいは、本来であれば法を順守する側の人間だ。

 だが暴走した能力者に手錠を掛けるのは、更生すればやり直せるからだ。だから彼女は決して子供には銃を向けない。それがどれだけ危険な能力者であろうとも、話を聞いてもらえる状況でなくてもだ。

 なのに一方通行アクセラレータには、未来がない。

 正しいかもしれないけど、それではこの子の人生は誰が救う?


「クローンの件はどうするじゃんよ? 事件について洗いざらいしゃべれば、その存在は当然ながら明るみに出る。国際条約に違反した存在が一万人弱。社会から受け入れてもらえるとは限らないじゃんよ」


 クローン人間に人権はあるのか、否か。

 かつての学園都市はノーと言って非道な『実験』を繰り返した。そこで研究者達に背中を押されるまま手を汚してきたのが一方通行アクセラレータだった。彼女達は紛れもない被害者だが、しかし、外の世界の人達がそういった主張を認めてくれるとは限らない。

 やはりノーだと言われて、さらに危険視されれば『処分』の決定もあり得る。

 しかし、


「だから俺達が与えなくちゃならねェンだろォが。安全ってヤツを」

「それは……」

「今のままなら大丈夫? 露見すりゃ一発で人生奪われるかもしれねェ宙ぶらりンの状態の、どの辺りが? こンな不自然なバランスは正して、しっかり地に足をつけさせなくちゃあならねェ。あいつらは純粋な被害者だ、それをいつまで理不尽に頭押さえ付けて隠すつもりだ。俺とは違って、いい加減自由に日向ひなたを歩いたってい頃合いのはずだぜ」


 一方通行アクセラレータ側に勝算があるとすれば、だ。

 白い怪物は自分の胸の真ん中を親指で指し示して、


「俺が悪者になる」


 当然の事を言った。

 そもそも、そうならなかった方が不自然だったのだ。


「マスコミだの学会だのの注目を全部集めた上で、袋叩きに遭えば良い。規格外の天才にして、権力のテッペン。金だってある。こンなクソ野郎の末路なンてのは、そりゃあさぞかしぜ。他のニュースなンかまとめて全部吹っ飛ぶくらいにな。一面記事に載せられる枠は限られているンだ。クローン人間そのものよりも、そいつを殺して回っていたイカれ野郎が大きくクローズアップされりゃあインパクトを潰せる。人のウワサも何とやらってか? マスコミが俺をたたくのに飽きた頃には、時間が経過している。炭酸の抜けた砂糖水みてェなモンだ。そこから慌てて注力したって、大衆はもう動かねェよ。暇人ってのはな、ただ暇なだけじゃねェ。いくらでも刺激はあるはずなのにわざわざ自分から暇になる、人生をつまらなくさせるプロなンだ。そォいう連中は、一度飽きた話題にゃいつかねェよ」


 だから、ダメなのだ。

 一応は有罪判決は出ましたけど新統括理事長の特別権限で自分自身に恩赦を与えますとか、てつごうには入ったけど大事件が起きた時には正義の新統括理事長がおりから出て解決に向かいますとか、そんな裏口を設けてしまっては。

 例外なし。

 真っ先に裁かれるべき人間がきちんと罰を受ける事で、学園都市の内外に示す。


 正義は、ここにあると。

 理不尽に悪人がわらい、不条理に善人が泣く時代はもう終わったのだと。


 そうしなければ、何も変わらない。

 何かを誤魔化して生きていけば、そこからゆがみが生じて、やがては秘密を握る者達が新しい暗闇を作り出していく。

 利権にまみれた大人達の所業に、くそったれだと唾を吐いて生きてきた。どうしてこんなひどい事を平然とできるのだと、汚れたコンクリートの壁を殴りつけては怒鳴り声を上げてきた。今までずっとそんな人生だった。

 その子供が新統括理事長の座を手に入れたのだ。

 ならば見せてみろ。

 口先だけでない事を、世界の全部に伝えてやれ。

 旧統括理事長アレイスターとは違った道を進むのだと。


「……ここからだぜ」


 一方通行アクセラレータはそうささやいていた。

 注意深く観察しなければ分からなかったかもしれない。第一位にして新統括理事長。そんなモンスターは、静かに奥歯をめていた。


「これは、俺が学園都市ってヤツをどこまで信じられるかって話でもある。不安になって、耐えられなくなって、、そこまでだ。『例外』が発生して、『暗部』のクソ野郎どもは永遠にのさばる。だから、俺は信じなくちゃあならねェンだ。そンな例外がなくたって、学園都市ってでっかい枠組みがあのガキを助けてくれるってな」


 夢物語かもしれない。

 一方通行アクセラレータ自身、散々暗闇はのぞんできた。世の中、本当の本当にどうしようもない人間というのは存在するし、正義は必ず勝つなんていうのは寝言に過ぎない。誰でも分かる話だが、ルールなんて無視した側の方が強いに決まっているのだ。クソ野郎ほど多大なテクノロジーに包まれて全身膨らみ切って、ルールに縛られた真面目な善人を容赦なく撃ち抜いていく。少なくとも、この学園都市ではこれまでずっとそうだった。間に合わない事は確かにあるし、駆けつけた人が必ず勝って場を収めるとも限らない。『安全』を取るなら、別の誰かなどに任せず第一位がこの手で打ち止めラストオーダーを助けに行ってしまえば良い。

 怪物を怪物たらしめてきた、心の中の暴力的な部分はこうしている今も荒れ狂っている。ルールなんかどうでもい、今すぐ飛び出せと。どうせ悪党は裏切る。口八丁の改心なんて曖昧なものなど聞くに値しない。ねじ伏せ、たたつぶし、引き千切って、『安全』を手に入れろ。どんな悪党だって、死人になればそこから先は裏切らない。幼い命を守るためなら仕方のない事だ。いっそ大切な人がお陽様の下を歩くためにこの手を汚すなんて、最高の美談じゃあないか、と。

 けど。

 それでも、だ。


「……信じる」


 言ったのだ。

 学園都市第一位にして新統括理事長。

 どうしようもないさつりくごんに絶大な権力まで上乗せされた恐怖の独裁者が、その口で。

 マグマのように沸騰する己の内側を全て抑え込みながら。


使。……


 変わったじゃんよ、アンタ。そんな風に言っていたのはかわだったか。

 変えた側の人間がナニ寝言を言ってやがると答えたのは、この怪物だ。

 だから。

 人の形を取り戻したモンスターは、こうしている今も戦い続けている。

 一人、孤独に、歯を食いしばって。

刊行シリーズ

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