行間 三
その低い振動は、窓のない部屋にまで伝わってきた。
「始まったか」
「……、」
「話を受けた時点で分かっていたはずだぜ、
新たな統括理事長の正体を知った時、
しかしその口から出た言葉を聞いた時はついていっても構わないと思った。
学園都市の『暗部』を一掃したい。
邪悪でどうしようもない研究なんて根絶やしにしてやりたい。
この街の誰もが思う事で、でも誰にも実行できなかった事。
それも、
だって、悲劇なんか誰も生み出したくない。
ひょっとしたら研究に従事している白衣の男達ですらそう思っているかもしれない。
『
だから、何かのきっかけさえあれば。
本当の意味で強い指導者が味方についてくれるなら。
「俺のアキレス
「
「ドロドロの暗闇の方が居心地の
だけどここで怒りに身を任せて
そう。
「俺を検察に送って、そのまま起訴させろ」
「っ」
「何のために自首したと思ってンだ。こいつはオマエの仕事だぜ、
ここは、新統括理事長の秘密基地ではない。
謎の研究施設でもない。
部屋の主は
街の治安を守る、
緊急事態だとは分かっていた。
それでもいつもの仕事場を見知らぬ人間が掌握しているのを見た時は少なからず驚いたものだ。
使いの者かと尋ねたのは
てっきり周囲の統括理事を説得して全体の方針を決め、彼らの手駒にでも護衛させているのかと思ったが、まさか直属の部下が一人とは思わなかった。当人に第一位としての力があるとは言っても、あまりに無防備だ。
つまり、できていない。
意思統一がなされていない以上、混乱もあれば反発も予想されうる。
「……学園都市の『暗部』を一掃する。だったら、例外なンか作っちゃならねェ。調書は取らせたはずだぞ。俺は、クローンとはいえ確かに生きていた人間を一万人以上殺してきた。その後も
「統括理事長は学園都市の全権を掌握する。下にいる一二人の理事なんて実際にはお飾りじゃんか。だからこそ、実際はどうあれ書類の上では絶対に正しい存在でなくちゃあならない。そいつが、そんな大物が自分から首を差し出すなんて話は聞いた事もないじゃんよ……」
「だったらどォした。今までが間違ってたってだけだろォが。……笑わせンなよ、書類と実体がズレてやがる時点でそンなモン正さなくちゃあならねェ問題点に化けてンだろォが」
誰が悪いかと聞かれたら、
その能力を開発したのが『
だけど第一位は、あまりにも多くの闇に関わり過ぎた。
たった一人の証言から、どれだけの人間が手錠を掛けられる事だろう。
それを許さない者だって、当然ながら大量に湧いて出てくる。
仲良しこよしじゃない。自分自身の未来のために。
「……もう、お前は
「分かってる」
「少年法と照らし合わせても! 捜査協力と引き換えに減刑を申し出ても!! それでも全然足りないじゃんよ。コンピュータはすでに試算している。今のままなら懲役換算で一万一〇〇〇年は必要だ!!」
「むしろ少ねェよ。ふざけてンのか、一人殺して一年程度しかねェじゃねェか」
どうして、と
第一位は目線すら
「……言ったろ。例外なンか作っちゃならねェンだ。俺は第一位にして統括理事長、全員のお手本にならなくちゃあならねェ人間なンだからよ」
だが暴走した能力者に手錠を掛けるのは、更生すればやり直せるからだ。だから彼女は決して子供には銃を向けない。それがどれだけ危険な能力者であろうとも、話を聞いてもらえる状況でなくてもだ。
なのに
正しいかもしれないけど、それではこの子の人生は誰が救う?
「クローンの件はどうするじゃんよ? 事件について洗いざらいしゃべれば、その存在は当然ながら明るみに出る。国際条約に違反した存在が一万人弱。社会から受け入れてもらえるとは限らないじゃんよ」
クローン人間に人権はあるのか、否か。
かつての学園都市はノーと言って非道な『実験』を繰り返した。そこで研究者達に背中を押されるまま手を汚してきたのが
やはりノーだと言われて、さらに危険視されれば『処分』の決定もあり得る。
しかし、
「だから俺達が与えなくちゃならねェンだろォが。安全ってヤツを」
「それは……」
「今のままなら大丈夫? 露見すりゃ一発で人生奪われるかもしれねェ宙ぶらりンの状態の、どの辺りが? こンな不自然なバランスは正して、しっかり地に足をつけさせなくちゃあならねェ。あいつらは純粋な被害者だ、それをいつまで理不尽に頭押さえ付けて隠すつもりだ。俺とは違って、いい加減自由に
白い怪物は自分の胸の真ん中を親指で指し示して、
「俺が悪者になる」
当然の事を言った。
そもそも、そうならなかった方が不自然だったのだ。
「マスコミだの学会だのの注目を全部集めた上で、袋叩きに遭えば良い。規格外の天才にして、権力のテッペン。金だってある。こンなクソ野郎の末路なンてのは、そりゃあさぞかし燃えるぜ。他のニュースなンかまとめて全部吹っ飛ぶくらいにな。一面記事に載せられる枠は限られているンだ。クローン人間そのものよりも、そいつを殺して回っていたイカれ野郎が大きくクローズアップされりゃあインパクトを潰せる。人のウワサも何とやらってか? マスコミが俺を
だから、ダメなのだ。
一応は有罪判決は出ましたけど新統括理事長の特別権限で自分自身に恩赦を与えますとか、
例外なし。
真っ先に裁かれるべき人間がきちんと罰を受ける事で、学園都市の内外に示す。
正義は、ここにあると。
理不尽に悪人が
そうしなければ、何も変わらない。
何かを誤魔化して生きていけば、そこから
利権にまみれた大人達の所業に、くそったれだと唾を吐いて生きてきた。どうしてこんなひどい事を平然とできるのだと、汚れたコンクリートの壁を殴りつけては怒鳴り声を上げてきた。今までずっとそんな人生だった。
その子供が新統括理事長の座を手に入れたのだ。
ならば見せてみろ。
口先だけでない事を、世界の全部に伝えてやれ。
旧統括理事長アレイスターとは違った道を進むのだと。
「……ここからだぜ」
注意深く観察しなければ分からなかったかもしれない。第一位にして新統括理事長。そんなモンスターは、静かに奥歯を
「これは、俺が学園都市ってヤツをどこまで信じられるかって話でもある。不安になって、耐えられなくなって、そこの壁ぶっ壊してあのガキを助けに行っちまったら、そこまでだ。『例外』が発生して、『暗部』のクソ野郎どもは永遠にのさばる。だから、俺は信じなくちゃあならねェンだ。そンな例外がなくたって、学園都市ってでっかい枠組みがあのガキを助けてくれるってな」
夢物語かもしれない。
怪物を怪物たらしめてきた、心の中の暴力的な部分はこうしている今も荒れ狂っている。ルールなんかどうでも
けど。
それでも、だ。
「……信じる」
言ったのだ。
学園都市第一位にして新統括理事長。
どうしようもない
マグマのように沸騰する己の内側を全て抑え込みながら。
「俺は、この街を信じる。この人生を使い切って守るだけの価値くらいはあるンだって。……自分が治める学園都市を信じられねェよォなら、最初からテッペンなンかに立つべきじゃあねェンだ」
変わったじゃんよ、アンタ。そんな風に言っていたのは
変えた側の人間がナニ寝言を言ってやがると答えたのは、この怪物だ。
だから。
人の形を取り戻したモンスターは、こうしている今も戦い続けている。
一人、孤独に、歯を食いしばって。