上条は慌ててズボンのベルトを外し、近くの街路樹に巻きつけて命綱とする。頭の上から空気の塊が襲ってくるだけなら軽い脳震盪程度かもしれないが、それとは別に地面へ叩きつけられた風の塊は逃げ場を求めて三六〇度全方位へと撒き散らされる。真上からの衝撃に身構えていたところで足元をすくい上げられたら、そのまま何十メートル転がされるか分からない。
まして、路上はアスファルトの細かい破片や窓のガラス片でじゃりじゃり。
それらを暴風が拾って横殴りに叩き込んでくるとしたら?
ゴッ!! と。
無数の鉄球を扇状にばら撒く事で五〇人単位の敵軍の突撃を一発で相殺する、指向性地雷よりも悲惨な大爆発が大通りを埋め尽くした。風呂のパイプ掃除でもするように。
太い木の裏にしがみついて耐えるしかなかった。
巨大なヤスリをかけたように硬い樹皮がめくれ上がり、電飾ケーブルや細い枝が削り取られて風に持っていかれるのが分かる。幹より外側に一歩でもはみ出てしまったら、生身の血肉など秒も保つまい。
しかし、重要なのはそこではない。
そのまま上条は叫ぶ。半ば血を吐くようにして。
「御坂妹!! 無事だよな。清掃ロボットを見失うなよ、そのまま追いかけろ!!」
そう。
舞殿とかいう偽名の女の目的は、上条を殺す事ではない。打ち止めを詰めた『容器』を確実に現場から遠ざける事。しかも追跡のラインは断ち切る形でなければならない。派手な攻撃は手品師がテーブル下で手を動かすまでのお膳立てでしかないのだ。
だからこその、風を使った無差別な大爆発。
ガラスや鉄片の雨の中でも痛みを感じない清掃ロボットなら構わず行動すると考えたのか、あるいはロボットごと暴風で投げ飛ばすつもりだったのかまでは知らないが。とにかくここで正面からの脅威にだけ耐えているようでは、本命を見失う。そうなったら、この女に勝っても意味がない。
そして分かってきた事がある。
(……ヤツは人間そのものを念動能力で『掴んで』振り回したりしない)
単に打ち止めを現場から遠ざけるだけなら、それが一番手っ取り早かったはずだ。人質だけ投げるにしても、自分ごと能力で浮かべて大空を飛び回るにしても。地面を持ち上げて上条の体を真上に突き上げた時だって、そんな回りくどい間接攻撃ではなく直接上条の体を掴んで大空へ投げ飛ばしてしまえば良かったはずだ。
なのに、そうしない。
いいや。
暴風が収まったタイミングで上条は街路樹に巻き付けていたズボンのベルトを手放し、木の幹の裏から飛び出した。
サンタクロース衣装の金髪少女へと、最短最速で突っ込むために。
当然、相手は左右の人差し指をこちらへ向けてくるが、
「できない」
とっさに、上条はそう宣告していた。
まるで自分自身に言い聞かせて、安心を得たがるように。
理解しろ。そうすれば吞まれない。波を作って襲いかかるのは、自分の方だと言い聞かせろ。精神的な優位を作りたいのは、そのために噓をついても構わないとまで思っているのは、何も上条だけではないはずだ。だけど何故そのハッタリを被せたいのかまで思考が及べば、逆に舞殿の脅えが透けてくる。
無理にでも牙を剥いて、心のクロスカウンターを狙え。
そう、
「少なくともアンタは、生きている人間をそのまま『掴む』事はできない!! タンパク質とかの素材の制限があるのか、他人の意志が乗っているとジャミングされるのかは知らねえがな!!」
だとすれば、突撃してくる上条そのものを押さえ込む事はできないはずだ。
どちらかと言えば、古い屋敷でひとりでに家具が動き回るポルターガイストに近い能力だったのかもしれない。『原石』と呼ばれる天然で発生する無自覚な能力者、特に小さな子供が高いストレス下で暴発させる現象とも言われるそれを、ある程度自分から振るえる事ができるようになった、といった感じで。
何かを掴んで、振り回す。
直接ではなく間接攻撃に終始するなら、必ずワンテンポの遅れが発生する。
その前に辿り着ければ。
接近戦では銃器よりもナイフの方が強い。それと同じく、懐まで踏み込みさえできれば舞殿の能力は怖くない!!
「だから」
そこで、分かたれた。
正面に向けていた両手の指を、左右へ大きく。
相手の方がわずかに速かった。そして何かを『掴んだ』舞殿星見が、改めて二つの人差し指を正面へと差し向ける。
大顎を閉じるように。
「それがどうしました?」
ずっ、という鈍い震動があった。
直後に左右から巨大なビルが基部ごと毟り取られた。
そのまま突撃途中だった上条当麻を容赦なく挟み込み、風景の中から抹消する。
6
「ふう……」
(やり過ぎたかな。ガスの匂いが漂ってきたし……)
舞殿星見はそっと息を吐いていた。
今回は制限ナシ、目標達成のためならいくらでも殺して構わないと言われている。しかし今のは明らかに過剰で無意味な演出だった。手品で言うなら、トリックの露見を恐れた手品師が野次を飛ばしてきた観客を怒鳴りつける行為と同じだ。
左右両側、高層ビルを二棟ほど真横にスライドさせた。クレーンで動かせるような重量ではなく、作業員を中へ入れるにしては不安定過ぎるので、この大通りを回復させるには爆破解体が必要だろう。しかも基部から毟り取ったおかげで、電気ガス水道、各種の配管をそのまま千切る形になっている。特に都市ガスが問題だった。人工的に調整された異臭を感じ取れるという事は、状況次第ではここも爆発に巻き込まれる恐れがある。
ド派手な切断マジックの最中に、誤って本当に自分の体を切り落としてしまうほど間抜けな展開はない。
まず自分の安全を確保する事が基本にして真髄なのだ。
そういう意味では、とっさの事で安全確認を怠ったサンタ少女の手品は二流に質が落ちた形になる。
「……、」
わずかに沈黙し、舞殿星見は視線を切った。
薄紙一枚通さないほどビタリと噛み合ったビルとビルの繋ぎ目から、金髪ウィッグを大きく広げるように一八〇度後ろへ振り返る。
(半分潰したビルからそろそろあの二人が這い出てくる頃か。今から建物を潰すより、いったん出てくるのを待って確実に殺した方が『安心』を得やすいかな。死んだかどうか分からない、はクライアントの不安を無駄に煽るだけだし)
それよりも、だ。
やはりどうしても、サンタ少女は別の事が気になる。
直接的因果はない。倒したはずの相手にいつまでも脅えるようで苛立たしいが、己の心を否定しても始まらない。
(……あの男、例の通常モデルのクローンに指示を飛ばしていたな。そっちを始末したら清掃ロボットを回収して最終信号の運搬作業を完了させる。それで終わりか、寂しいクリスマスになりそうね)
「……どこかで山盛り生クリームのドーナツもう一個食べましょ。赤紫のチョコ掛けドーナツと抹茶クリームの塔をナイフとフォークで分解していって、悪い気を祓うんだい」
ちょっといじけながら、だ。
勝者が頭の中でやる事リストを固めているが、当然ながら気づいていた。
さっきからスマートフォンがうるさい。
小刻みに振動するモバイルを掴み取ると、案の定だった。
『やり過ぎだ』
「誰でも分かります」
『分かっていてこうしたのか』
「うるせえな、わたくしをこんな風にしたのはアンタら大人達だろうが」
舞殿星見は、むしろ静かに着火した。
だがそこに何の危険性もないなどとは言わせない。