第三章 黒い陰謀と障壁の消失 Enemy _Use_XXX. ⑦

「……


 ぼろりと。

 高校生くらいの少女が放つにしてはおかしな言葉が出てきた。

 低い低いえんと共に。


「そんな事って思うでしょう? 『奪った側』はそうなんだ。だけど誰もができる当たり前の事を奪われるっていうのは、あなた達が計算した以上に人の心を縛り付ける! わたくしは、人差し指でしか全てを操れません。あなたがそうした。能力の最適化とか言って、ある日突然何の断りもなくっ!!」


 何でもできる委員長。

 必ずしも頭の出来で他の皆を突き放す訳ではない。殊更に運動神経が高い訳でもない。それでも、ちょっとした雑学やお作法で分からない事があればとりあえずこの人に聞いてみればいいや的な、気軽な話し相手。そんな所に彼女は立っていた。

 だから。

 こんな当たり前でつまずく事だけは、絶対に許されなかったのに。


「……まるで幼児です。学校でおしゃべりしていても、放課後に外食する時も、いつも背中を丸めて本当の事がバレないかびくびくしながらフォークやスプーンをつかむしかなかったッ!!」


 気づけば相手は黙っていた。

 されている、などというわいげが残っている人物ではない。十中八九あきれている。感情だけで人材を切るほど馬鹿げた相手でもないだろうが、失点は失点だ。

 まい殿どのは自分の呼吸を意図して整えながら、


「指示には従う、わたくしにも『暗部』は必要だから。だけどこのわたくしに、必要な事以上を期待するのはやめていただきたい。社会に適応? 柔軟に対応? できねえよ。大人達が扱いやすいよう、そういう風にわたくしの機能をのはあなた方なのでしょう? ならばわたくしはシンプルに事を進めます。あなた達が、身勝手に期待したように」


 なおもスマートフォンからは長々としたご命令がやってくる気配だったが、まい殿どのはモバイルをつかんだままげんな顔になった。

 それから、小さく舌打ちした。

 金髪のサンタ少女は短く告げた。


「失礼」


 ごうはらではある。

 だがそうした話とは別の次元で、まい殿どのほしは自分の仕事をはんなままでは終わらせられない。『暗部』では学歴や出自などは使い物にならない。実力。生きていくためには、こいつを曇らせる訳にはいかないのだ。


「……積もる話もありますが、ご依頼の仕事に戻ります」


 そう言って通話を切るだけの理由があった。

 つまり。


「それがどうしましたって言われてもさ」


「……、」


 声が。

 どうしようもなくシンプルな少年の声が、背後から。

 でも、どうして? どうやって???

 ……先ほどの戦いで、あの少年が冷や汗まみれでハッタリを繰り返していたのはまい殿どのも何となく理解している。こちらを精神的に縛るためでもあったし、ナイフで刺されてボロボロになった己を鼓舞する意味合いもあったのだろう。特に学園都市で能力を軸とした戦いをするのであれば、こういった方法論も決して間違いではない。そして常道のセオリーであるが故、裏方の邪道に走るまい殿どのには見破るのも容易たやすかったが。

 だが、これは?

 まだ術中が存在しているのか?

 それとも本当の本当に、状況が戦術の一歩外まではみ出してしまったとでも言うのか。

 滑らかに。

 計算とも地金とも言い難いほどじようぜつに、後ろから自分以外の誰かの声が流れる。

 この状況は、二択のどちらだ!?


「モノしか動かせない念動能力テレキネシスなんて、さもありなんって感じだよな。それだけとてつもない出力なのに何で超能力レベル5認定されないのかなって最初っから疑問だったんだけど、確かに。あんまり羨ましくないんだよ、アンタの能力。それなら何にでも応用がさかとか、精神系最強の第五位とかの方が、まだしも『面白そう』って思えるし。もしも一日だけ能力を交換できるとしたら。そう考えたら、やっぱりアンタは最強格とは呼べないんだ」

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 まい殿どのほしの歯車が、止まる。

 予定のタイムテーブルが、今度こそ完全に崩壊する。


「誰も助けない、誰も笑顔にできない、ただ壊すだけの力」


 いっそ悔いるように。

 他人のひどい傷を見てしまったような声で、その質問はあった。


「何があったらそんな風になるんだ? ……お箸の持ち方が分からない、なんて事を言っていたみたいだけど」


 ぎぎぎぎぎぎぎぎぎ、とびた人形みたいにぎこちない動きで、まい殿どのほしは再び一八〇度体ごと振り返る羽目になった。常に主導権を握り続けていたはずの少女が、自分以外の意思によって、無理矢理に振り返らされたのだ。

 そこに、いた。

 何の変哲もない少年が、普通に立っていた。

 脇腹から血の赤をにじませ。

 一二月の寒空の下でも不気味なくらい全身から汗を噴き出し、それでいてしようすいしきったように顔色を真っ青にしても。

 それでも、決して倒れずに。

 そもそもこの形で、この骨格が残っている方がおかしい。こればっかりは言葉のハッタリで気持ちを鼓舞したところでくつがえせる訳はないのに!!


「どう、やったんです?」

「どうしたと思う」

「五〇階建て以上の高層建築を二つも使った! 最大荷重は一〇万トンじゃかないっ、それともあなたの両腕は原子力空母を丸ごと押さえ込めるとでも!?」

「俺は別に古代遺跡のからくりけに巻き込まれた訳じゃない。ビルの一階なら窓もドアも普通にあるだろ。体当たりで突き破れば中は空洞のフロアだ。どうせやるなら二つのビルがぺしゃんこになるまでひたすら潰し続けりゃ良かったんだよ、金箔職人の一品みたいにな」


 しかも。

 あるいは、だから。

 聞かれた。お箸の話を。

 死体を確認する前に安心したのはこちらの落ち度だが、それにしたって。

 友人にうそをつき、日々の生活を欺いてまで守ってきたものが、こんなにもあっさりと。

 精神的に縛る。

 己を鼓舞する?

 そんな言葉で許される限界を、軽く超えてきやがった。


「……ころす」

「アンタにゃ無理だ」

「殺すッッッ!!!!!!」


 おそらく『それ』は、目の前に立つツンツン頭の高校生に向けた感情ではなかったのだろう。本人にとってはとんだとばっちり。しかしまい殿どのほしには、どうしても抑えられなかった。『暗部』に身を浸し、もう戻れない所までやってきていながら。笑ってしまうほど自覚があるのに、どうあっても我慢ができなかった。

 全部無駄になった気がしたのだ。

 胸に刺さった小さな痛みも。

 何も知らない人達をだましながら守ってきた、ツギハギだらけの学園生活も。

 得体の知れないノイズに、頭の奥から侵食されていくのが自分で分かる。分かっていて、止められない。人の心の面倒臭いところが出てきた。まい殿どのにとっても、想定した範囲の外にまで状況が脱線していったのだ。


「ええ!! ええそうですよッ!! わたくしは誰でもできる簡単な事ができない。二本の棒切れを右手一つで操る事ができない、食べ物をつまげる事ができない、お箸を使う事ができない!! グーでまとめて握り込んでっ、小さな子供みたいに突き刺すくらいしかっ!! 分からないでしょうね、あなたみたいな人には。悩む必要もなく当たり前にできて、そういった当たり前を大人達の手で理不尽に奪われた事もない人になんか!!」

「……奪われた?」

「今の技術では、人の頭から脳細胞そのものをえぐる事なく、特定の情報だけを厳密に消し去る事はできない。必ず復旧のリスクが残るんですよ。本当の意味でそんな処理ができるのは、おそらく学園都市の第五位くらいのものでしょうね」


 自分の頭が膨らむようだった。

 内側から上がり続ける体温のせいで、呼吸すらおかしい。

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