なるほど結構。だったら一方通行が鉄格子の外に出なくても打ち止めを守れる環境を整えてやれば良い。同じ建物にいる分には構わないだろう、自衛のために両手を振り回した結果たまたま居合わせた民間人を助けてしまったとしても。
上条当麻には、難しい大人の話は分からない。
単なる暴力を抜け出して、そんな複雑な世界で戦っている統括理事長はすごいと思う。
でも。
だけど。
どう考えたって、この子はあいつが守るべきだ。効率とか合理性とか、そういう話の前に、最初からそう決まっていないとおかしい。上条当麻は打ち止めの身柄を借りていただけで、彼女が両手を広げて自由に走り回る世界は別にある。それがルールなんだと言ってやらなければならない。絶対に。
「う……」
瞳を閉じたまま、打ち止めの小さな唇から呻きのようなものが洩れた。
思えば、最初からおかしかった。
自分の行動半径を抜け出してオリジナルである御坂美琴を捜していたのは、こういう事態になっていると気づいて助けを求めていたのだろうか。彼女の目線でしか分からない、上条や美琴達がすでに失ってしまった鋭敏さをフルに使って。そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。あるいはただ漠然とした感覚に脅えてあてどもなく走り回っていただけだった可能性だってある。怖い夢を見た子供が枕を抱えて右往左往するように。
けど、だからどうした。
それがシビアな現実だろうが、たわいもない夢の話だろうが。
脅えて苦しむところを放っておくなんて、もう真っ平だ。上条達は、ここに居合わせる事ができた。なら気づいてやらなくてはならない。そして行動するべきだ。世界の全部はいきなり救えなくても、目に見えるところから一つずつだって。
そうやって、誰でもできる事を誰もが挑戦していく事で、世界全体の天秤が少しでも傾く方に賭けた『人間』がいた。この世界は、良い所と悪い所を天秤に載せたら、ほんの少しであっても明るい方に傾くのだと。
見せてやれ。
望んだ世界はここにあると。
学園都市第一位が思い描いた世界であれば、もう舞殿星見みたいに他人の都合で道を踏み外す人間はいなくなるかもしれない。踏み外してしまったとしても、もう一回だけやり直すチャンスを与えてもらえる優しい社会ができるかもしれないじゃないか。他人任せではない。できるかどうかは学園都市で暮らしている、どんなに小さくたってその歯車になっている、上条達自身にかかっているのだ。
そう信じろ。
ヤツがそうしたように、自分も賭けろ。
上条当麻はみんなの顔を見回した。インデックス、御坂美琴、御坂妹、そして打ち止め。それから彼は一言ではっきりと言った。
宣戦布告の合図だった。
「それじゃあ一丁、派手にやってやろうぜ」
10
バタバタしてきた。
警備員の詰め所、その秘匿取調室で話を聞いていた黄泉川愛穂だったが、彼女も彼女でよそと連絡を取り合っている。
対面に座って透明なテーブルに足を投げていた一方通行は軽く舌打ちして、
「何か動いたか?」
「今正面玄関に打ち止めを連れた少女がやってきているじゃんよ。それから根丘の子飼いを気絶したまま抱えてる」
安っぽい椅子ごと後ろにひっくり返るかと思った。
どうやら冗談ではないようで、黄泉川が手にした公務用カスタムのタブレット端末にはセキュリティカメラの映像が表示されている。天井近くにある固定の防犯カメラではなく、隊員の胸についた個人携行カメラのものだ。
無表情な少女が、何故か両手でピースをしながら申告していた。
『どーん。統括理事・根丘則斗の不正行為に関わる人員と電子証拠を持ってきましたので提出します。サーバー本体をデリートされているためこのスマートフォンにはわずかな残滓しかありませんが、それでも精査すれば拠点に関する情報もはっきり分かるでしょう、とミサカは馬鹿でも分かるよう丁寧に説明いたします。やったね』
『ミサカが言おうとしてた事全部言われたっ!? ってミサカはミサカは泥棒猫に愕然とした視線を送ってみたり!?』
『ミサカは全体で一つの大きなミサカでもありますからね。だが勘違いをしてはなりません。このミサカは無能力者派だ、とミサカは片目を瞑って右手でポーズを決めてみます。ばきゅーん☆』
注意しないと奥歯を噛み砕きそうになるほど強く歯軋りしながら第一位は呻く。
「……どこまで空気が読めねェンだクローン人間ってのは」
「だが状況が動いたのは事実じゃんよ」
いい加減堅苦しいのにはうんざりしていたのか、黄泉川は黒いジャケットを適当に脱ぎ捨てながら、
「警備員としては保護を求める人間を表に突き返す真似はできないし、根丘に関する決定的な証拠が出てきたのなら大いに結構。これで消極的に守りを固めるだけじゃなくて、こっちから打って出る事ができるじゃんよ」
「言うほど簡単じゃねェぞ。相手は『暗部』に根を張るクソ野郎のテッペンだ、絶対に隠し球がある」
「それは、今連れてこられた能力者みたいなのがまだ他にもいるって言っているのか?」
「……、」
「だとしたら、その子達を助けるのも込みで私達の仕事だ。無視する訳にはいかないじゃんよ」
一方通行は鼻から息を吐いた。
うんざりしたように呟く。
「馬鹿野郎が」
「なに言ってやがる。いくつもの闇がわだかまっている学園都市にだって『そういう力』があるんだって方にアンタは賭けたじゃんか。だったらご期待を裏切る訳にゃあいかんだろ」
脱いだジャケットを空いた手に引っ掛け。
そして両足を揃えて直立すると、黄泉川愛穂は右手で敬礼した。
「警備員チーフクラス・黄泉川愛穂。これより事件解決のため緊急出動いたします」
「勝手にしろ」
11
夕方になっていた。
事前に舞殿星見のスマートフォンから抜き取った情報によると、根丘則斗は学園都市最大の繁華街である第一五学区、その巨大複合ビルに陣取っているらしい。低層階のショッピングモールや映画館、中層階の一流企業オフィス、そして上層階の高級マンションが全部まとまった、富と権力の象徴のような高層建築だ。その最上階が統括理事の屋敷となる。
「……古い時代の権力者よね」
下から七〇階建てのビルを眺めながら、御坂美琴は両手を腰にやっていた。
「ようは間抜けな殿様が高い高いお城のてっぺんから街を見下ろしたいっていう、アレでしょ? あるいはすでに失われたものに憧れているクチなのかもしれないけどさ」
「良く分からんが、こういう黒い金持ちって自分の命にはデリケートだと思っていたんだけど、セキュリティとかどうなってんの。背の高いビルって火事とか襲撃とか色々怖そうじゃん」
「屋上に個人所有のVTOL機。これだけの面積でしょ、ほとんどヘリ空母の飛行甲板みたいになってるって。無人操縦を含めて同時に何機も飛ばせるから、対空ミサイルとかにも狙われにくいんじゃない?」
「なるほどそいつは金持ちだ」
両手で三毛猫を抱えたまま、インデックスはしきりにあちこち見回していた。
彼女が言うには、
「あそこの人、さっきも見た」
「インデックス?」
「あっちの女の人と、アイスクリーム食べてる人も。着ている服はさっきと違うけど」
「……警備員も動き出したわね」