第四章 異世界交流、その始点 “R&C OCCULTICS Co.” ③

 おかのりもまた、上の屋上から滑り落ちてくる。


「何だ、それは?」


 こればかりは、純粋な疑問のようだった。

 統括理事にして魔術師。反則技の塊のようなおかのりが、理解不能なモノと遭遇したのだ。

 だからこそ、他と切り離してでも集中的に早期撃破を狙ってきた。

 油断なく左右の暗殺拳銃を構えながら、おかはガラスの銃身に装填されている小さな少女達へ目を向けていた。


「私はそんなもの知らない。フラスコに仕込んだとも違うようだ」

「これだ、聞きかじりで魔術を振りかざす馬鹿者は」


 心底あきかえったようにオティヌスは息を吐く。


「まさか魔術の世界に一歩でも踏み込んでおきながら、その最終到達地点である『魔神』すら知らんとは。ああ、ああ。

「オティヌス。今すぐあのクソ野郎を殴り倒したい、そのためにはお前の力を借りたい」

「当たり前だ、この程度の小物を仕留められんようでは神の『理解者』など務まるか、人間」


 そっと吐き捨てるが、魔女のような帽子に隠された目元はどこか楽しげであった。

 そして彼女の分析はインデックスとは似て非なる。

 どこか攻撃的で、相手の尊厳を削り落とす害意に満ちているのだ。


「ヤツの使う魔術にオリジナリティはない。結局は『黄金』辺りの使い古しなんだよ。世界最大の魔術結社では、無色透明で形のない『天使の力テレズマ』を効率的に操り目的に応じて使うために七二の天使の名前を。ここで使われたのが出エジプト記、いわゆる旧約聖書の一節だ。彼ら夜明け前の魔術師はこの出エジプト記から目的にあった文字列を取り出し、その末尾にelやyahなどをつけて仮初めの天使を切り出していた訳だ。一二宮の天使だの大天使だので普段耳にする事のない名前がバカスカ出てくるのはこのためだな。ここにおわします馬鹿者の術式は、さらにそこからの亜流に過ぎん。そもそも天使名は高度な計算を踏まえて取り出し文字列全体から意味を見出すものだ。ただ単語の端を加工した程度でそのままの効果など出るものか」

「実際に出力を保てるなら何でもい。私は形式にはこだわらない」

「それで一九世紀のヘルメス学でもかじったつもりか、無学め。あれは西側の思想を軸に世界中の神話や宗教を統合された一つの理論での説明を試みるといった主旨の学問であり、理解の及ばぬ言葉や数字は何でもかんでも自分好みの理屈でこじつけられるといった暴論ではない。そもそも神がこうして独立した存在として立っている以上、ヘルメス学だけで世界の全てを説明するのも無理があるしな。それとも貴様はローマ人が勝手に描いたヨーロッパ以外は全部ゆがみまくった世界地図でも拝み続けるつもりか? 魔術は常に進歩するものだというのに」



 会話の途中だった。

 パキンッ!! という甲高い破壊音が響き渡った。

 不意打ちで統括理事が左の銃を使ったはずだが、オティヌスは脚を組んだまま、その小さなカカトでかみじようの肩をたたいて刺激しただけだった。それだけで再び右手がわずかにブレ、何が起きたかも分からないままかみじようは鋼の刃を砕いている。

 まず鉛色の少女が真空管から外へ首を出した直後、自らバラバラに砕け散って大量の剃刀かみそりに変じ、散弾のようにらしてきた。かみじようからすれば、そんな事実に遅れて気づくほどなのに。


「貴様の弱点はストックを総数四つしか抱える事ができず、後から追加して切り替える場合はその名を別枠で切り取らなくてはならない点だ。既存の攻撃手段であれば対処は容易たやすく、新たに追加するのであればその口が動いた時点で警戒すればよい。……つまり、何をどうしたところで使んだよ、貴様の術式は」

「……、」

「馬鹿は追い詰められると自分で解決する事なく、安易な神頼みに走る。貴様もそういったクチだったのだろうが、この辺りが幕だ。安易な力は安易な結末を導く事しかできん。今までどうやって生きてきた? 少しは深く学ぶべきだったな、人生を」


 かみじようの肩の上に腰掛け、細い脚を組んでオティヌスは言った。

 あくまでも尊大に、それでいて核心をえぐるように。


「何を願って魔術に触れた、元レスキュー」


 かえって、だ。

 少年の方が置いていかれるくらいだった。


「……れす、キュー……?」

「そうだ人間、こいつの射撃にはクセがある。見た目だけなら暗殺拳銃だが、銃口をわずかに上へ上げて狙いをつけるそのやり方はロープを撃ち出す救命銃の構え方だろう。当人に狙いをつけるが当ててはならず、しかも水中で力尽きる前に要救助者のすぐ近く、溺れてパニックに陥った者が腕を振り回せばひとりでにつかめる範囲へ確実にガスバルーンを落とさなくてはならないからだ。要救助者の頭の上を追い越す形で撃てば、仮に狙いが外れてもバルーンにつながったロープが水面に落ちたタイミングや、リールでロープを引いてバルーンを戻すタイミングでつかむチャンスを増やせるだろうしな」

「貴様……」


 君、といった余裕ぶった言い回しががれた。

 おかのりは本来、警備員アンチスキルけんせいするためにわざと自分の体に傷をつけて自作自演の被害者を演じようとしていた。

 あの時はドクターヘリの中で女医の手を借りていたはずだが、あれは本人に知識がなかった訳ではなかったのか。

 手慣れているが故に、自分の手で処置すると逆に怪しまれかねない。だから他人の手でやらせて、自分のクセや技術が表へ出ないように配慮していた。


「もしもそこで正しい魔法名を胸に刻む事ができたのなら、貴様はいっぱしの魔術師になっていたかもしれない。だが間違えたな。正しい目的さえあれば常に正しい結果がついてきてくれる訳ではない。選んだ方法を誤れば、人を救うつもりで死なせてしまう事さえありえるんだ」


 沈黙があった。

 誰にも踏み込めない領域があった。

 やがて、だ。

 本当に小さく、こうあった。


「……助けたよ」


 ぽつりと。

 そんな言葉が。

 合理性だけ考えれば、おかのりの行動に意味はない。らしくない、ともかみじようは思う。ただオティヌスが統括理事から一撃でそんな言葉を引き出せたのは、ひょっとしたら彼らが魔術サイドという別の世界で生きているからかもしれなかった。正しい手順を知らずに魔術に触れてしまった者。そいつの不備を指摘した事で、歯車と歯車の間に挟まっていたくさびのようなものを引っこ抜いたのではないか、と。

 だから、あらがえない。

 かみじようだって魔術師という生き物を見てきた。世界の理不尽に直面し、自分の無力さにみして、奥の奥にある技術へ手を伸ばし。神に頼むか神を恨むか、本来ならそれくらいの経験をしない限り人はオカルトになど触れるきっかけを持てない。だとすれば魔術師というのはお世辞にも順当で幸せな生き方ではないかもしれない。だけどそんな彼らは、誰だって自分の生き様にだけは胸を張っていた。

 どれだけ奪われて。

 どれほどすさみきった目で世界を眺めていても、絶対に。

 あるいは安易な力へ手を伸ばしたおかのりは己の心と向き合う事で、本当に本当の意味で第一歩を踏み出したのかもしれない。


「多くの人を助けてきた。炎の中でも、薬品の煙に満たされた工場でも、暴走する能力者が泣き喚く嵐の中心であっても。……その後、助けた人達はどうなったと思う?」


 答えようがなかった。

 幸せになってめでたしめでたしではダメだったのか。

 おかのりもそう信じていたのだろう。

 だがこうなった。



 想像を絶する言葉だった。

 どろりとした瞳で、異形の銃を構えたまま統括理事は笑っていた。

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