神裂火織編

第一話 拘束の行方 GLEIPNIR. ②

 エーラソーンは魔術的なこうそくの開発を専門とする職人だ。『ロンドンとう』を始めとする専門のろうごくで、数多くの凶悪な魔術師を逃がさないために取り付けられる道具のプロだ。そんな超一流の品をそこまでダイレクトに仕掛けられたら、『聖人』の自分であっても一時的に身動きを封じられる危険がある。

 とっさに自分の背中へ意識が向いた。

 しかし手を伸ばしても、そこには何の感触もなかった。

 ハッタリ。

 エーラソーンはかんざきに対し、何らかの錯覚を生むような、心理的作用を含む挙動を行った。そうしながら、手の中の札をふところへ隠しただけだったのだ。

 かんざきあわてて正面へ意識を向け直したが、そこにはもう誰もいなかった。

 死角から死角へと隠れながら移動しているのか、それとも何らかの特殊な移動手段を使う瞬間をかんざきに見せなかったのか。それすらも分からない、鮮やかな逃げ方だった。


「くそ……」


 かんざきは思わずつぶやく。

 人の身動きを封じる専門家は、そこから抜ける事も得意としているのかもしれない。



『捜査の依頼内容を説明させていただきます』


 と、ジーンズ専門の小さな古着屋で、レジカウンターに肘をついて退屈そうな顔をしていた二〇代の男の店主は、カウンターに広げられた羊皮紙から顔を上げた。パルプすら使っていない中世の頃の古い紙からは、何やらひとりでに光が放たれ、小さな3D地図みたいなものが浮かび上がっている訳だが、店主が気にしている様子は全くない。

 くっだらなさそうな表情の若い店主は、ほおづえをついたまま、この羊皮紙を持って来た女の子に向かってこう言った。


「……で?」

「いやそのええと、で、と言われちゃってもですね。私も別に好きでやっている訳じゃなくて、イギリスせいきようのお仕事でメッセンジャーをやっている訳で、受領してくれないと困っちゃうんですよー」

「おいおい、ツアーガイドさんよ」


 ジーンズショップの店主はカウンターに置かれた羊皮紙を人差し指でカツカツとたたく。ツアーガイドと呼ばれた一五歳ぐらいの金髪の少女は、タイトスカートのスーツとスカーフに包まれた小さな体をビクッと震わせたが、店主はやはりめない。


「ここがどこだか分かってる? 俺の職業何だか分かってる? やめてよー。確かにロンドンってのは女の子に声をかければ、一〇〇人に一人ぐらいは魔術師だったりするような街だけどさ、連中のいざこざなんて知った事じゃないんだって。まして『』ってあれだろ、この二一世紀にもなって、まだ魔女狩りとか宗教裁判とか異端審問とかバリバリやってるような部署だろ。そんなもんの協力なんかしたくねえんだって。平凡な一般市民を血みどろグチャグチャの事件に巻き込むんじゃねーよ」

「あれー? ここの店主さんって魔術師・かんざきおりとコンビを組んで世の悪を成敗する、スーパー非正規エージェントって売り文句じゃありませんでしたっけ?」

「……ねえ何そのステキな二面性? 人をドラマや映画に出てくるくだらん暗殺者みたいに言わないでくれないか。それだとジーンズ売ってる方がうわつらのカムフラージュみたいに聞こえるだろ。俺はこっちが本職なの。命けてんの。分かるか? 日頃はとっても怪しい殺し屋だけど、実は裏ではこっそりジーンズを売っているんだよ」


 はー、とツアーガイドの少女はやる気のない調子でつぶやき、店内を見回す。


「……本職だったんですか? あんまり売れているようには見えないんですけど」

「店主の目の前でそれを言うかね。しかし実は本当に売れているのだよ。この前インターネットの通販サイトを開設してだな。日本の女子中学生とかからも注文が来ているんだぜ。英文法が怪しすぎて何を注文したいのか理解するのに時間がかかったがな」


 日本語でそのままメールしてくれた方が楽なのにな、と店主はつぶやく。

 店主はモバイルで注文状況を確認しているらしく、ツアーガイドにチラリと見せた画面には、例の中学生とおぼしきRuiko Satenとかいう人物の注文メールが表示されている。

 どうやら本当に商売しているらしい。

 ツアーガイドはその事に本気で驚いていたが、これ以上その感想にこだわりすぎると店主の機嫌を損ねるかもしれない、と判断する。

 そこらの学校の教室の半分にも満たないほど小さな空間の至る所にスチール製のパイプが走っていて、そこからハンガーで各種のジーンズがるしてある。本当に値の高いものはガラスのショーケースの中に展示してあるのだが、ツアーガイドにはそのしの基準がどこにあるのか見えてこない。

 と、今までるしてあるジーンズに目をやっていた別の女性が、やれやれといった調子でカウンターへ近づいてきた。

 ロンドンでは珍しい、黒髪の東洋人だ。

 ポニーテールに束ねた髪は、それでも腰まで届いていた。格好は半袖のTシャツを腹の所で絞るように縛ったものと、片足だけふとももの所からバッサリ切ったジーンズ。おまけに西部劇のように装着されたベルトには、二メートル近い異様な長さの日本刀が差してあった。

 先ほどツアーガイドの話に出てきた魔術師・かんざきおりである。


「私としてもパートナー扱いは不本意ですが、上の決定ですから仕方がありません。文句があるなら上に直接掛け合ってください」

「オメーみたいな『聖人』を投入する規模の作戦なんだろ? ヤベーのは目に見えてんじゃねえか。どうしてそんなトコに民間人の古着屋さんを引きずり込むかね」

「ですから、文句は上に掛け合ってください」

「どこだよ上って。っつーか、どうせ本気で掛け合おうとしても、部外者がしきに踏み込んだ直後に射殺されるような感じなんだろ。お宅らのボスって」

「分かっているなら駄々をこねていないで、迅速に協力してください。……そうですね。仮に仕事が成功したら、通常報酬の他に、そこのショーケースの中にある、馬鹿高いだけでいかにも売れなさそうなジーンズを一着買ってあげますから」

「やだ。オメーにはもう売ってやんないって決めてんだ」

ですかっ!? 実はちょっぴり狙っているものがあるというのに!!」


 理不尽な扱いを受けて叫ぶかんざきに対し、店主は彼女の露出したふとももを指差し、


「オメーはそうやって、すぐジーンズをジョキジョキ切っちまうからもう売らない」

「うっ、おかしいですか? これは術式の構成上必要なデザインなんですが。……そっ、それに、いじゃないですか。今もジーンズのサイドを切ってはかまっぽくするのはどうだろうと考えているのですが」

「ハカマが着たいんならそれをジーンズに求めるなよっ!! いいか、俺はストーンウォッシュとかカットジーンズなんてもんが世界で一番嫌いなんだっ!!」

「一番なのに二つありますが」

「そういう減らず口も大嫌いだ」


 店主はぷいと顔を横に向け、


「長い間着こなしている内に、自然にいろせたりれたりする分には構わねえんだ。ただ、それをわざと演出しようとして、まだまだ使えるジーンズをボロボロにしちまうのはぼうとくなんだよ。なんつーかな。ピラミッドの中から黄金の装飾品が発見された時に、『もうちょっと傷んでいる方が、古く見えて値は上がるだろ』とか何とか言って、ブラシでゴシゴシやっちまうようなもんだ。そんなもんに何の価値があると思うよ? ジーンズの価値は、その一着が歩んできた歴史の道のりで決まるんだよ。汚したり傷つけたりして付加できるもんじゃねえ」


 そんなものですか、とションボリするかんざき

 一方、相変わらずジーンズの価値などサッパリなツアーガイドは、Tシャツを盛り上げるかんざきのデカい乳と、そこだけ露出されたかんざきの細い腰と、ジーンズに包まれたかんざきのデカい尻を順番に眺めて、


「歩んできた歴史の道のりで決まる……。そっか、つまりブルセラみたいなもんですね」

「ぶっ殺すぞオメーッ!!」


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