神裂火織編

第一話 拘束の行方 GLEIPNIR. ④

「私は衣類の組み合わせで希望の魔術的記号をコーディネートしますが、糸や布を分解するレベルでの分析作業には自信がありません。……確か、あなたはジーンズのしゆうぜんも請け負っていましたよね?」

「……クソッたれ。こんなドギツいSM衣装は専門外だぞ」


 適当に店主はてたが、自分が適任だという自覚はあるのだろう。ブツブツ文句を言いながらも、女の子が持っていると家庭的と高評価を得られそうな、小さな裁縫道具のセットをポケットから取り出していた。

 屋根裏は店主に任せ、かんざきとツアーガイドは一度下へ降りる事に。


「私はどうしましょうか」

「そうですね。ウチのスタッフも邸宅の検証を行っていますが、かんざきさんからの視点で同時に洗い直していただけますか。確か、かんざきさんはあまくさしきじゆうせいきよう……日本のかくキリタンの系譜ですよね。なら、建物そのものに隠れている『記号』や『痕跡』にも敏感でしょうから」


 歩きながら話している内に、一人の少女と肩をぶつけそうになった。

 少女の方は軽くしやくしてそのまま通り過ぎたが、対するかんざきそくに振り返った。


「あの子は何者ですか? 先ほどのスタッフの中にはいませんでしたよ」

「え、ああ」


 ツアーガイドは適当な調子でうなずいて、


「例の実験台の少女です。エーラソーンしつそうを知り、ウチに通報してきた女の子ですね」



 少女は一六、七歳程度だった。

 名前はセアチェルというらしい。

 金と茶色が混じったような、色の強い金髪。白い肌の奥には静脈の青色が浮いていた。全体的にきやしやな印象で、赤いワンピースを着た体を左右に振るように歩くのが特徴的だった。

 ペンギンみたいな動きだな、とかんざきは思う。

 今、少女はかんざきに背を向けていた。家の外を案内されているのだ。石畳の細い道の左右には、これまた小さな店舗が隙間なく埋め尽くしてある。日本のたてうりじゆうたくは世界的にも狭い方だとよくされているが、ここにあるのはその半分もあれば良い方だった。

 そんな事を考えているかんざきに、セアチェルは振り返らずに言う。


「ここはドールハウスの街みたいで、わいらしくて好みなんだけど」


 かんざきが改めて少女の背中に目をやると、彼女はさらに続ける。


「公園と教会まで少し遠いのが難点よね」


 言ったセアチェルが足を止めたのは、これまた小さな公園だった。せいぜい三〇メートル四方しかないこの空間には、子供用の遊具などはない。花壇とベンチがあるだけだった。汚れたサッカーボールが片隅に落ちている事から、一応遊び場としては機能しているらしい。

 セアチェルはベンチの方へ歩きながら、細い腕を後ろに回した。まるでついてくるかんざきてのひらを見せつけるような格好で、


「どっちがい?」


 げた途端、その手に缶のコーヒーと紅茶があった。コツンと小さな音を鳴らす二つの缶はセアチェルのてのひらに収まるサイズではないし、ワンピースにポケットがあるようにも見えなかった。

 魔術ではない。

 これは単なる手品だ。


「では、紅茶の方をいただきましょう」

「そう、なら早く取って。格好つけてみたけど、実はてのひらがすごく熱くて困っているの」


 かんざきが受け取ると、紅茶の缶は普通のプルタブではなかった。缶詰のように、上部全体が開く仕組みになっている。不思議に思って側面の銘柄を確かめると、見た事もない名前が書かれていた。


「一応、個人経営の喫茶店で真空パックしたものよ。お土産には最適。店のマスターはこれでもその場しのぎの邪道だと言っていたけどね」


 言いながら、セアチェルの方はコーヒーの缶をベコリと開けて、ベンチに腰かけた。と言っても、ベンチの後ろに回り、背の部分に尻を乗せるような奇妙な座り方だったが。


「聞きたい事があると言っていたね」

「ええ」

「エーラソーンさんの行方についてなら、私は知らない。知っていたら、あなた達には頼らずに一人で追いかけているわ。大体、エーラソーンさんが心配じゃなかったら、わざわざあなた達と連絡を取る訳がないでしょ」

「それです」


 かんざきは先走りしかけたセアチェルの言葉を止めるように言った。


こうそくしよくにんとあなたの関係性が、いまいちつかめないんです。エーラソーンは、自分で作ったこうそくの耐久テストを、あなたの体を使って行っていたはず。とてもではありませんが、その境遇でこうそくしよくにんの身を案じるとは思えないのですが」

「それは、捜索活動に必要な質問?」

「……、」

「あるいは、耐え兼ねた私が床下にでも埋めたと考えているのかしら」

「……私は彼を見ています。あなたに幻術などで偽装するすべはないはずです」

「エーラソーンさんから、あなた達の連絡先は聞いていた。他の魔術師のものは一つも聞かされていなかったとでも?」


 冷たい風が吹き抜けた。

 かんざきはその可能性について少し考え、しかし心の中で否定した。


「だとしたら、あなたが通報する理由がありません」

「なのよね」


 少女は薄く薄く微笑ほほえんで、コーヒーを一口含んだ。


「まぁいいわ。隠す事ではないのだし。そもそも、私とエーラソーンさんの関係は、あなたが考えているようなものとは違うものよ」

「違う?」

「何を想像しているかはそちらに任せるけど」


 セアチェルはベンチの背もたれに尻を乗せたまま、足をぶらぶらと振った。

 かんざきは眉をひそめたまま、


「そもそも、あなたはどうやってエーラソーンと知り合ったのですか? 見たところ、あなたは魔術師ではないようです。こうそくしよくにんなんて特殊な人間と出会うきっかけが見当たらないのですが」

「うーん。私もあんまり知らないのよね」


 と、いきなりセアチェルは不明瞭な事を言った。


「一〇歳ぐらいの時だったかな。ある休日の夕方よ。父さんと母さんと、三人でピクニックへ行った。夕方に出かけるのは変だなとは思ったけど、外に遊びに行けるのはうれしかった。場所はどこだったかはもう覚えていない。分かっているのは、両親は私を置いてどこかへ行ってしまった事。私はそこで置き去りにされた事」

「……、」

「それと申し合わせたように、見知らぬ男達が私に近づいてきた事。今思えば、あれは人身売買の手口の一環だったんだろうね。両親にも事情はあったんだとは思う。でも、幸い私は売られなかった。エーラソーンさんが助けてくれた。人買いはくの字に折れ曲がって吹き飛ばされていた。どうやって自分が助かったのか。しばらくその事にくびかしげていたっけ」


 セアチェルは退屈そうな調子でつぶやいた。

 それぐらい、少女の心の中に定着した事だったのだろう。


「ただでさえ訳の分かんない状況だったのに、そこに魔術なんてものを使って助けられちゃったからね。私以外の人間だったとしても、混乱するのも無理はなかったと思うよ」

「それから、エーラソーンに引き取られたのですか?」

「ううん」


 セアチェルはコーヒーの缶を両手でつかなおし、


「エーラソーンさんは児童福祉施設へ連れて行ってくれた。……けど、肌が合わなかったのね。私には、私を置いてドアから出て行ったあの人の背中が妙に印象に残っていて……。ここを抜け出せば、また会えるかもしれない、なんて考えた。また助けてくれるかもしれないって」

「……、」

「そうして脱走した。何度も脱走しては、そのたびに施設の人に連れ戻された。そうこうしている内にエーラソーンさんにも話は伝わったんだろうね。何回目かの脱走で、エーラソーンさんに捕まった。……それは、あの時の私には逆効果だったかもしれないわ。『また会える』事が分かってしまった私は、さらに何度も何度も何度も何度も脱走を繰り返したよ」


 そうまでして、エーラソーンの影を求め続けた理由は何か。

 かんざきうすうすかんいていたが、セアチェルの口から確かな事を聞く事にした。


「人間が人間らしく生きるのに必要なものって、生きがいなんだよね」


 少女は言った。

 かつて、ふとした事で全てを失ったセアチェルは、サラリとした口調で、とてつもなく重たい内容を言葉にする。

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