ブワッ!! と型紙が光を放った。青白い光がナイフから型紙全体に広がり、何らかの設計図のような物を浮かび上がらせる。五ミリぐらいの文字がびっしりとあった。それは魔法陣『のような』物だった。左右のブーツを縫い合わせたような、足を戒めるための拘束具には、これだけ緻密な魔術的記号が組み込まれていたのだ。
「成功しましたね」
「こいつは汎用性は高いんだが、それ故に専用の妨害をかけられると使い物にならなくなるからなぁ。エーラソーンがこっちの分野に疎くて助かったぜ」
店主がグラスを細かく回すと、その動きに呼応したのか、青い設計図の中から、特に重要な文字や図面だけが高速に赤く浮かび上がる。
「なるほど。確かにこいつは特注品だな。本来、大聖堂の扉に使うようなレベルのセキュリティを強引に組み込んでやがる。ここまでやったら人間を縛るなんてモンじゃねえぞ。このブーツだけでダムを一つ賄えるんじゃねえのか?」
「エーラソーンは、注文もないのに、これらの拘束具を特別に用意していたようですよね。その辺りが失踪のヒントになっていれば良いのですが」
「そいつは、あれを全部解析してみねえと判断できねえな」
店主は床の上に山積みにされた大小無数の拘束具を指差して、
「さて、俺の術式は目で覚えたな? だったら後は実践だ。手分けして朝までには終わらせようか」
「え? え?」
と、うろたえたのはツアーガイドの少女だった。
「目で覚えたなって……あれ一回で同じ事をチャレンジしろって言うんですか!?」
「それ以外の何だってんだ」
店主は不思議そうに眉をひそめ、
「魔術は知識と技術だぞ。神裂の『聖人』みたいな特殊な例じゃない限り、方法さえ分かりゃ誰にでも使える代物でしかない。……おいおい、何のために偽装や隠蔽の動作も交えずに手の内明かしたと思ってんだ? いちいちレクチャーするのが面倒だから、手っ取り早く提示しただけだぞ」
口をパクパクさせるツアーガイドだが、隣の神裂は早くもナイフとグラスを手に取っている。駄目だ、とツアーガイドは思った。そもそも神裂火織はスペックが違い過ぎて同意は求められない。
「……くそう。できるヤツはこうアッサリ言うんですよ」
「九九みたいなもんだと思えよ。そうすりゃできる」
「……だから、それができるヤツの言葉なんですってば」
9
ツアーガイドの少女は、頰を膨らませる気力すらも失っていた。
数時間が経過して、作業場にだるーい空気が漂ってきている。
マジュツ作業などという得体の知れない言葉を使っているが、ようは手先の細かい作業だと思えば良い。延々と終わらない、成果らしきものも出てこない、そんな作業が何時間も続けば息が詰まってくるものである。
そもそも、三〇〇近くある拘束具を、夜明けまでに全て解析するというのが、作業量として不可能だったりするのだ。
一晩では終わらない。
実際にやってみてそれが分かると、途端にツアーガイドの集中力が切れた。神裂は相変わらず生真面目な顔で機械のように解析を続けているが、ジーンズショップの店主はツアーガイドと同じく、明らかにやる気のないモードになっているみたいだった。
その内に、店主の方が音をあげた。
「だーくそっ!! こんなもん三人だけでやってられるかっ!!」
実にくだらない理由で投げ出したものだが、くだらない理由で投げ出す事自体、魔術師も同じ人間である事の証明だと受け取れなくもない。むしろ、最初から今まで均一な集中力で作業を持続し続けている神裂の方が真面目すぎて怖いぐらいだった。
「分かったのは、どいつもこいつも大聖堂クラスのセキュリティを施された超強力な拘束具だって事だけっ!! エーラソーンの行方を知るための手掛かりになるような情報は一切埋め込まれていないし、こんなご大層な拘束具を作って何を戒めようとしていたのかも分からないままっ!!」
「ここの拘束具だけ切り離されて、例の少女を耐久テストに使わなかった理由は何となく分かりましたけどね」
「拘束具一つでダムに匹敵する強度だからな。人間なんか縛ったら圧力でグチャグチャになっちまうよ。まさかと思うが、天使とか何とか、そういうもんを捕縛するつもりなんじゃねえだろうな」
「それにしては強度が低すぎますよ」
「サラリと返されると怖いんだが。……もしかして神裂、天使と戦った事ある?」
「あれは完全とは言えませんでしたので、厳密にはノーと答えさせていただきます」
涼しい顔で言われて、店主とツアーガイドは思わず黙り込む。
この女が言うと冗談なのかどうか、いまいち判断が難しかった。
「それにしても、大聖堂! 大聖堂! 大聖堂! だぜ!! あっちの手枷もこっちの足枷も片っ端から! 流石は処刑塔のセキュリティにも関わってるエーラソーン様だ。採用している技術の一つ一つが無駄に豪華でクラクラするぜちくしょう! 解析する方の身になれってんだ!!」
「……、」
と、その言葉を聞いた神裂の手の動きが、ピタリと止まった。
彼女は改めて解析した図面を見直し、それからいくつかの拘束具を規則正しく並べていく。
「なんて事ですか……」
「あん? どうした神裂」
「これは、大聖堂の技術の一部を応用して作られた拘束具じゃありません」
神裂は複数の拘束具を並べた上で、改めて解析用の『乾杯』を行った。
浮かび上がる図面は、無駄に重なったりはしない。
まるでジグソーパズルのように、不自然なほどピッタリとはめ込まれていく。
「逆だったんです。拘束具のセキュリティを組み合わせる事で、既存の大聖堂と全く同じ設計図を作り上げようとしていたんです! そう、これから盗みに入る屋敷の見取り図を入手しておくのと同じように!!」
「オイちょっと待て。それじゃエーラソーンが失踪したってのは!?」
「襲撃するつもりなんでしょう。イギリス清教の大聖堂を。そのために拘束具を納品するという名目で大聖堂を念入りに下見して、必要な準備を進め、それが完了したから行方をくらませた。相手は事前に拘束具を利用した精巧なミニチュアを作って、あらゆるセキュリティを解析し尽くした職人です。おそらく弱点も知り尽くしている。勝機がなければ失踪なんてしないでしょうからね」
「そっ、それで!? 問題の大聖堂っていうのは、具体的にどこなんですか!!」
ツアーガイドの少女が勢い込んだが、逆に神裂は彼女の顔を正面から見据えた。
「あなたが行った所ですよ」
「え?」
「ロンドンにある聖ジュリアン大聖堂。……確か、そこの司教がエーラソーン失踪を妙に気にして、ツアーガイドに報告を求めていましたね」
「なあ神裂。それって、まさか……」
「ええ。どうやらこの二人には、何らかの因縁があるようです」
10
聖ジュリアン大聖堂。
その正面を守っていた二人の警備は、決して気を緩めていた訳ではなかった。深夜三時という時間であっても、いや警備の特性上そういう時間帯の方が、普段以上に気を引き締めていたはずだった。
だからこそ、彼らは早急に異変に気づいた。
最初は、二メートル以上の巨大な斧を持つ男に対して。次に、その斧には魔術の術式に扱うための道具……霊装としての役割がある事に対して。
特に後者については決定的だった。『警備する者』としての領分を超える───つまり、相手に仕掛けられる前に───こちらから殺しに行く決断をするほどに。
しかし。
男……エーラソーンの方は、そうした態勢を全く気に留めていなかった。
ただ真正面から近づき、巨大な斧を振り下ろす。
ドッ!! という重たい音が響き渡った。