神裂火織編

第一話 拘束の行方 GLEIPNIR. ⑩

 かんざきおりだ。


「大体の事情はこちらでもつかんでいます。我々『』は、そういう方法での人材確保を望んでいませんし、それを許可した覚えもありません。司教については、いずれ正式に裁けます。これ以上、あなたがそれを行う必要はありません!」

「そうか」


 彼はポツリとつぶやき、しかし首を横に振った。


「しかし、それでは足りない」

「自らの手で殺さなければ気が済まないという話ですか」

「違う。確かに、君にこの司教を預ければ、一応の解決はするだろう。しかしそれだけでは、裁かれない人間が出てくるというだけだ」


 エーラソーンの言葉に、思わず眉をひそめるかんざき

 もしや司教の背後にまだ別の黒幕がいるのか……とも勘繰ったが、直後にそういう意味ではないのだと気づかされる。

 原因はエーラソーン。

 彼は、自らの胸を親指で指し示していた。


「司教が失脚したとしても、まだ私が残っているだろう」

「まさか……」

「事情は『大体』知っている、と言ったな」


 エーラソーンは静かに告げる。


「ならば、これは知っているか。こうそくしよくにんエーラソーンは、何も知らずに子供を引き取ってから、司教のプロジェクトに気づいたのではない。あらかじめその計画を知っていた上で、子供を取り巻く環境を熟知していた上で、それでも子供を拾ってしまったという事を」

「……、」

「元々、この司教については殺しておくつもりだった。こんなヤツの負のおんけいを受けている人間など、心の根っこから腐っていると思っていた。それが……実際にはどうだ。触れてみて、はっきりと分かったよ。私もその腐っている人間の一人だと」


 くそ、とかんざきは思わずみした。

 エーラソーンは、おそらく本当にあの少女を助けたかったのだろう。

 人身売買の魔の手からおびえる子供を守る事ができた時、心の底からホッとしただろう。児童福祉施設から何度も何度も脱走する少女セアチェルを夜の街で見つけた時、全身から力が抜ける思いをしただろう。魔術やこうそくの世界から遠ざけようと思いつつ、それでもセアチェルが自分の背中を追い続けてきてくれる事に戸惑いつつも、心のどこかではやはりうれしかったのだろう。

 そして。

 それら全てが腹黒い司教の思惑通りに演出された事も、最初から知っていたのだろう。

 知って、変えようとして、やはり何も変えられなかったのだろう。

 だからこそ。

 本当の意味で、負のおんけいを断ち切るために。

 エーラソーンという呪縛から、セアチェルの人生を解放させるために。

 彼は、ついに行動に出た。


「笑える話だろう?」


 エーラソーンは言う。


したごしらえをしたのは確かにこの司教だが、結局、最後にトドメを刺したのは私なのさ。あの子は……セアチェルはすでにインプットされた。完了されてしまった。『エーラソーンは何があっても自分を守ってくれる』というスクリプトをな。後はその『生きがい』に従って、どこまでも私を追うだろう。私がこの星のどこまで逃げようが。私の命が消えるその時まで」


 それは。

 つまり、エーラソーンは自らの死をもって、セアチェルを完璧に救おうとしているのか。

 かんざきは少し考え、否定するための材料を探す事を諦めた。

 おそらく、そうだ。

 エーラソーンは始めから司教と戦う覚悟を決めていたし、その後実際にセアチェルと触れ合って、それがどれだけゆがんでいるかを知った。苦悩した一人の男は、黒い思惑によってインプットされた生きがいを、何としても取り除こうとするだろう。そうでなければ、あの司教のてのひらで踊らされているだけになってしまうのだから。

 しかし、


「……確かに、セアチェルとあなたの関係は、どこかにゆがみがあったのかもしれません。どんな人間にも喜怒哀楽やこうがあるものですが、セアチェルがエーラソーンという人物を語る時、不思議とそれが欠けていた。まるで安っぽいドラマや映画のように」

「……、」

「ですが、あなたが本当にそれを正したいのなら、本当の意味でセアチェルの人間性を……汚い所も醜い所も含めて『人間』である事を取り戻したいのなら、あなたはここで安易に逃げるべきではないはずです!! たとえ、それがどれだけ困難なものであっても、あなたはセアチェルが泣くような事をするべきではない!!」


 エーラソーンは、わずかに黙っていた。

 その指先の動きを注視しながらも、この相手とは刃を交えたくないと、かんざきは本気で思う。

 やがて、エーラソーンはポツリと言った。


「その涙が、第三者の手でインプットされたものであってもか」

「だとすれば、あなたの手で本物の涙にするべきです」


 エーラソーンは一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、巨大なおのに込めた手の力を少しだけ抜いた。

 直後だった。

 ギュンッ!! というすさまじい音が鳴った。司教の体をいましめていた細いワイヤーが、より深く深く食い込んだのだ。それは骨まで達し、司教の目がぐるりと回転した。白眼の部分が赤く染まり、まぶたから赤い涙があふれる。


「エーラソーン!!」

「ここで私を殺さねば、この元凶は間もなく絶命するだろう」


 言いながら、エーラソーンは両手でゆっくりと巨大なおのを構える。れいそうグレイプニルの媒体。一度振り下ろせば、その箇所に最も適したこうそくかんざきの体をそくいましめるだろう。場合によっては、そのまま人肉も関節もすり潰すほどの勢いで。

 だが。

 かんざきはほんのわずかな動作で、首を横に振った。それでは駄目だ。彼女は世界で二〇人もいない聖人なのだ。エーラソーンがどれだけ高度で精密なれいそうたずさえ、複雑な戦術を練ったところで、かんざきには通じない。発射された銃弾を目で見てから避けられる女を、かせあしかせなどで止められる訳もないのだ。

 追うか逃げるかの戦いならともかく、倒すか倒されるかの戦いでは、エーラソーンは何をどうやったってかんざきおりには勝てない。

 あるいは、エーラソーンも気づいていたのかもしれない。

 だからこそ、彼は沈痛な面持ちのかんざきを見ても、顔色一つ変えなかった。


「私がいなくなったところで、面倒はあるまい。セアチェルの生活は大して変化していなかったはずだ」

「でしょうね」


 かんざきはそれを認めた。


「効率や能率の問題ではないんでしょう。たとえあなたや周りが何と言おうとも、あの子は今でもエーラソーンという男を待ってくれていますよ」

「……、」


 ギリ、とエーラソーンの両手からきしんだ音が鳴った。

 それでいて、やはり彼は己の信念に従い、最後まで止まる事はなかった。

 二つの影が交差し、一つのごうおんだけが鳴り響く。

 勝負の行方など、聞くまでもなかった。


12


 破壊された正門からかんざきが表に出ると、ジーンズショップの店主が車を回してきていた。助手席にはツアーガイドの少女が乗っていたので、かんざきは後部座席へ回る。


「オメーも免許取る事考えたら?」

「……走った方が早いと思ってしまうと、どうも本気で挑戦する気が起きなくなるんですよね」


 夜食でも買っていたのか、車内はハンバーガーやフライドポテトなどの、油の匂いが漂っていた。事実、ツアーガイドの少女は今もチキンナゲットを口に放り込んでいる。

 ツアーガイドは手についたケチャップをめながら、わずかに不安そうな口調で、


「エーラソーンは、これからどうなってしまうんですか?」

「さあな。何をどうつくろったところで、セントジュリアン大聖堂を襲って、護衛の人間を片っ端からたおして、重鎮の司教サマにきばいた事には違いねえんだ。順当に行けば、イギリスせいきようの宗教裁判は避けられないんじゃないか?」


 言いながら、店主はルームミラー越しにかんざきの方を見た。

 顔はどこか楽しげだ。

 行動を読まれているな、とかおらしつつ、かんざきは言う。


「確かに宗教裁判は避けられませんが、エーラソーンは司教が主導していた不当な人材確保のおとりそうをしていた、という報告書を提出すれば、雲行きはまた変わるかもしれませんね」


 ツアーガイドの少女はパッと顔を輝かせたが、かんざきの表情はどこかものげなものが残っていた。彼女は窓の外を眺めながら、ポツリとつぶやく。


「救いとは、何なのでしょうね」

「知るかよ。それを実感できるのは俺達じゃねえ。本当に救いがあったかなかったか、それを判断できるのは当のセアチェルだけだ」


 面倒な質問をされた店主は、ため息混じりにそう言った。

 彼はハンドルを操りながら、付け加えるように告げる。


「俺達に分かるのは二つだけ。とりあえず、これ以上子供の不幸を利用したクソッたれな人材確保は行われないって事と、エーラソーンが戻ってくれば、セアチェルは今後も笑ってくれるって事だけさ」


 その時、ツアーガイドの携帯電話が鳴った。

 彼女はあわてて細い指を紙ナプキンで拭き、携帯電話を取り出す。

 二、三言葉を交わした彼女は、電話を手で押さえ、かんざきの方を見てこう言った。


「『』から、次のオーダーだそうです」

「だとさ」


 ジーンズショップの店主は自動車のハンドルを指でなぞりながら告げる。


「救いが何かなんて分かりゃしねえが、それを俺達に求めているヤツはいるらしいな」

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