1
『天草式十字凄教はその名の通り、九州の島原に端を発する十字教勢力である。
当時の国家統治機関である幕府からの弾圧を逃れる過程で神秘の中に具体的手段を求めた事から、次第に実践的魔術組織としての色を帯びるようになる。
過去の歴史の性質上、欧州を代表とするような、国家や政治と強く結びついて大々的に布教活動を行うような選択肢はなく、しかし、弾圧下においてどこででも手に入る物品・文言の中に宗教的記号を見出し、正しい知識を持つ正しい者だけが紐解ける形で情報を伝播させていくやり方はガラパゴス的でありながら、奇しくも最初期の十字教の方法論と……』
紙に印刷された細かい文字を追いかけていくごとに建宮斎字の眉間の皺の数は増えていき、許容量を超えたところで、彼は大量の紙束を真上に放り上げ、両手を天井へ伸ばしたまま甲高い奇声を発した。
「ふぉォォ─────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────うっっっ!!!!!!」
「きっ、教皇代理!! 煮詰まったのは分かりましたけど奇行に走るのはやめてくださいよっ! ストレスやプレッシャーを逃がす方法はもっと他にもあるはずです!!」
バサバサバサーッ!! と、まるで大量の鳩が飛び立った後に舞い降りてくる白い羽根のように降り注ぐ『原稿』の中、同じ組織に属する少女・五和が慌てて制止に入る。
九月上旬。
イギリスの首都、ロンドンにある場末のホテルだった。
……とは言っても、建宮斎字と五和が同じ部屋にいるからといって、彼らが写真週刊誌御用達の『オトナな関係(笑)』という訳ではない。
そもそもにおいて。
学生向けのマンションだってもっと広いだろと文句をつけたくなるほどの狭いスペースの中には、老若男女合わせて一〇人以上が居合わせていた。椅子やベッドはもちろん、サイドテーブル、窓枠、小型冷蔵庫、バスタブにクローゼットの段差まで。ありとあらゆる場所に彼らは腰掛けている。
彼ら天草式十字凄教はつい先日、母国の日本で修道女オルソラ=アクィナスと魔道書『法の書』を巡るとんでもない大事件を起こし、イギリスへ亡命しなくてはならないという事情を抱えていた。それ自体に後悔はしていない訳だが、事はそう簡単には進んでくれないのが世の常というものだ。
つまり、
「……まったく、報告会で私達の有用性と正当性を説明できないと、イギリス清教が受け入れを拒否するかもしれないって話でしょう? そうしたら二〇億人を抱えるローマ正教から世界を股に掛けた逃亡生活再開ですよ。後になって『原稿』の細部の詰めが甘くて後悔したくなかったら、ここで最後の最後のチェックを完璧にしておかないと!」
「と言われてもなあ……」
ギシギシ軋む椅子の背もたれに人生の全てを預けるような格好で、建宮は染みだらけの天井を見上げながら、
「こんな堅っ苦しい説明ズラズラ並べたら、かえって情報は伝わっていかないと思うのよな。面倒臭いバリヤーに全部弾かれるっていうか」
「は、はあ……」
「むしろ重要なのは、聴衆の喰いつきなのよ! 制限時間いっぱい使って俺達のすごいよアピールするのも大事だが、まずは下拵えをしてバリヤーを取り除かなくちゃならないのよな!!」
……もう問答無用でスリッパを取り出し、頭を引っ叩いて『仕事しろ』の一言で済ませられる事態ではあるはずなのだが、ここで五和がいちいち相手の言い分を聞いてしまう辺り、お人好しは損をする所なのだろう。
そのような事情もあり、『まあ国際的なディベートなんかでも、実際には文面よりも身振り手振りで大物感を演出する方が重要なんて話も聞くし、天草式らしい、何の変哲もない歩法や呼吸のリズムから神秘性を醸し出すのかな?』などと生真面目な事を考えていた五和だったのだが、
「という訳で、今すぐ五和は女教師セット(上下セット、小物も合わせて税込七八〇ポンド)に着替えるべきだと思いまーすなのよ」
「ぶふっ!? な、何ですか女教師セットって! 絶対にPTAも教育委員会も推奨していないような気がする響きなんですけど!!」
「ジャパニーズスタイル!!」
「オフィスジャケットとタイトスカートの組み合わせのどこに日本文化があるっていうんですか!?」
五和は総毛立った猫みたいな甲高い声で抗議するが、周りからは『でも欧米の女教師ってあの枠じゃないような気がするよね』『そもそも男はアメフト女はチアリーダー、学校の体育館でダンスパーティってちょっと世界観が見えないよね』といったヒソヒソ声が広がっていく。
「良いから! 辻褄はこっちで合わせるから!! 五和は何も考えずに黙っておっぱいを両腕で挟んで強調していれば良いのよな! じゃないと有効な資源が無駄遣いされちゃう!!」
「教皇代理は何がしたいんですか!?」
「口で言わなきゃ分かんねえか! 俺達はただ面白ければ何でも良いに決まってんだろッッッ!!」
あまりにも正々堂々と脱線していく建宮に対し、すぐ近くにいたふわふわ金髪の女性、対馬はスリッパを片方脱いで手で持った。
スパーン!! と頭を叩くと見せかけてわざとすっぽ抜かせ、椅子に座る建宮の股間にメンコのようにスリッパの踵を打ち込んでいく。
「ヴぁッ!? ばぅあっっっ!! あがおぐ……」
「報告会への準備も良いけど、私達の有用性を示す『もう一つ』の方も待ってるわよ」
割と冗談抜きのリアクションをしている建宮斎字を無視して、対馬は片目を瞑る。
これから始まる一大イベントを、口に出す。
「イギリス清教第零聖堂区『必要悪の教会』がお送りする特別編入試験。……まずはこいつを突破しない事には、あちらさんに『使える』って思ってもらえないのよね」
2
夜の七時。星空に覆われたロンドンの街はやや肌寒かった。日本と違って『閉めると言ったら店を閉める。観光客なんかもう知らん』とばかりに土産物屋の扉は早くも施錠され、スーツのビジネスマン達も結構な勢いでバーへと流れていっている。
EU圏の金融商品を一手に担う世界有数の取引市場でありながら、ユーロではなく独自通貨のポンドが今なお経済の動脈として機能する不思議なバランスを保つ場所。煉瓦と石畳で構成される『古き良き』街並みでありながら、高速インターネット回線は蜘蛛の巣のように広がり、一万分の一秒単位の株式売買を可能とする街。その副産物か、街の防犯カメラの数もまたニューヨーク以上とされているロンドンは、科学一辺倒の学園都市とも宗教色全開のローマやバチカンとも違う、電子の光と暗い穴にわだかまる闇の双方を備えた特異な風景を形作っていた。
で、あればこそ。
細かい数字を目で追いかけるのに疲れ、家に帰る前にアルコールで仕事の鬱憤を軽く晴らしていこうとする小洒落た『成功者』達は気づかない。
自分達が当たり前のように闊歩しているのと同じように、この街には魔術師と呼ばれる人種が行き交っている事を。
同じ列車に乗り、隣のテーブルで食事し、横断歩道ですれ違っている事を。
「はいはいそれではこんばんは」
魔術大国イギリスにおいて、それら専門的な犯罪に対処し、魔術師でありながら魔術師を処分するべく組織された『必要悪の教会』の一員、フリーディア=ストライカーズはのんびりした声で呟いていた。
「これからあなた達には地下鉄ランベス駅F2出入口に向かってもらいます。ええまあ、つまりそっちが我々の使っている試験場ってヤツでして」
薄暗い間接照明に浮かぶ店内は、レストランというよりはパブに近い。やたらとボリュームの多い肉料理やポテトに騙されそうになるが、ここは酒がメインの店である。