ずっと白目モードだと目玉が乾いて仕方がないので、佐天は適当なタイミングでしれっと両目も瞑っておく。目の前が真っ暗になってしまい初春の慌てふためく顔が見えなくなってしまうが、背に腹は代えられない。バレてしまっては元も子もないのだ。
佐天涙子、完全に死亡。
『さっ、佐天さん? ちょっと待ってください佐天さん、これって一体何なんですか!?』
(まあーこんな感じかな? くっくっくっ、初春がケータイ取って救急車を呼ぼうとしたら起き上がろう。がばっとな! まだまだこんなものじゃ済まさんよ、ゾンビモード佐天さんが二段構えで初春を飛び上がらせてあげるからねっ!!)
そんな風に思っていた。
目を瞑っていた訳だから、横倒しのままの佐天には何も見えていなかった。
だから、ただその声色だけが彼女の耳に滑り込んできた。
「はあ……」
とにかく初春飾利は至近でこう呟いたのだ。
「……ま、死んでしまったのならいつまでもこうしてはいられません。壁で囲まれた学園都市じゃ死体を埋めたり沈めたりしても安全は確保できないんですから、いつもの方法で四九キロ分の人肉をテキパキ消していかないと」
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………んう?
横倒しになったまま、佐天涙子は動けなかった。
(て、ててていうか、なに、なんでこんなに冷静?)
いつもの? テキパキ処理???
特に望んでもいないのに倒れた少女は自家生産の金縛りモードに突入していく。
(あうっ、そうか『定温保存』……。確か初春の能力は手で触れたものの温度を一定に保つ、だっけか。噓お、まさか自分の体温をエアコンか何かで調整してそのままキープする事でテンションのブレを殺しているって話!?)
極度に興奮すると体温が上がる。厳密な数値や研究結果を知らずとも、経験だけなら小さな子供でも分かる現象だ。
では、逆に『強制的に』温度を一定に保つ能力があったら?
(えと、でも何でそんな物騒な使い方に慣れてんの……?)
「……、」
理解しがたい状況への突入によって、佐天の中で体の信号のやり取りがバグでも起こしたらしい。床に投げ出したままの手足はもちろん、瞼や唇さえ己の意思で動かす事ができなくなる。
「こんな事なら『前』に使った機材は処分するんじゃなかったな……。一人も二人も手間は同じなんだから、ついでにコレもぐしゃっと潰せたら手間が省けたのに」
何だ?
それにしたって何なのだこの状況は!? 『前』って何よッ!?
「『前』の洗剤はまだ余っていましたよね……。あれもこれも。血、汗、唾液、涙、後は絨毯裏にまで染みた時はこれ! 固法先輩の『透視能力』対策にはずばーん! カーボクリーンで完璧です!! あー、水や浮力を操る能力があったらもっと簡単なんだけどナー?」
本当にすぐそこに立ってこちらを見下ろしているのは初春飾利なのか。特殊メイクで顔を変えた別人とか、頭のアレに体を乗っ取られているとかではなく!!!???
(う、ういはるかざり。逆さに読むとなんか別の意味とか出てきたっけ? ソウブンゼとかタレサマダとか)
これはこじれたらヤバい話だ。
冗談が冗談で通じる間に、さっさと身を起こして謝った方が良い。
佐天涙子は決断した。確かに自分の意思で決めたのだ。
そうして瞼を開ける三秒前の出来事だった。
「いやあーそれにしても参りましたっ☆」
びくっ!! と自分の肩が震えていないか心配で仕方がない佐天。
恐ろしいほど清々しい声で初春は一人、こう呟いたのだ。
イタズラを仕掛ける時に独り言や鼻歌が多くなるのは、『冗談』の色を強くして無自覚な罪悪感を薄めるための心理的防御、だったか。
「……『こんな事』、何度も何度もやらかしているなんて外部に知られたら、それだけで死体の数が増えてしまいますからねえ。今さらうっそーとか言い出したら、ここでもう一回念入りに佐天さんを殺さなくちゃならないところでしたし」
うっそー、の『う』の口になったまま、佐天の唇からは何も出ない。
(違うもん逆さに読んだらとか何度も読んだらとか生易しいのじゃねえ、こいつ名前オチの都市伝説で言ったらヒサルキとかそっち系かッ!?)
瞼だって開かない。
金縛りの密度みたいなものが、二回りくらい分厚くなるのが自分で分かる。
(と)
意図して呼吸を静かにする努力が必要だった。そういえば汗とか大丈夫なのか。心臓は勝手に暴れているけど、この音は向こうに聞こえていないだろうか?
(とりあえずあたしの体重は四九キロではない訳だが、これはもうにこにこ笑顔の初春さんから訂正のご許可をいただけそうな感じじゃない……ッ!?)
バレてはいけない。
佐天涙子がまだ生きていると同室のモンスターに気取られてはならない。
しかしいつまでもこのままだと、お肉の処分が始まってしまう。
その前に何とかして初春飾利の目を盗み、支部から外に逃げ出さないと、手慣れた感じで人体一体分の質量がゴリゴリと消されてしまう……っ!!
2
行ったり来たり、時折床で横倒しの佐天涙子の体をまたぐように移動したり。足音は音色だけではない、わずかに床を軋ませる重みの存在感がすごい。
こっちは目を瞑ったままなので、余計に想像力が働いておっかない。
初春飾利の動きで部屋の空気が揺らぐだけで、佐天はもう目尻から涙が浮かびかねない。だけどそんな事をやってしまったら、まだ生きている痕跡を初春に目撃されたら、それだけでジ・エンドだ。
出られない。部屋から外に出られない。隙間女というよりも、どっちかというとベッドの下の斧男的な騙し合いになってきた。
幸い、初春は呼吸や脈拍を測る素振りは見せなかった。
手持ちのパーソナル医療キットで雑に計測して後は放ったらかし。応急手当てや心肺蘇生といった希望を込めた足搔き的な行動も一切してくれない。
もう最初から死んでいる前提だし、何があっても迅速に消し去る方向らしい。
とすとすとす、と足音の重みが佐天から遠ざかった。しかし部屋の中には人の気配は残留している。目を閉じたままだと怖いが、薄目を開けてバレるのも怖い。今の音だってこちらを試しているだけかもしれない。薄目を開けた瞬間、すぐ隣に寝そべる初春の顔とばっちり目が合ったらどうしよう……? 佐天涙子の背中一面で、気持ちの悪い汗がぶわっと噴き出る。
都市伝説豆知識なんていざという時には役に立たないものだ。自作のくねくね体操を踊っても初春飾利の精神がぶっ壊れる訳じゃなさそうだし。
動くべきか、留まるべきか。
というか、ここで佐天がいくら悩んだってそもそも絶対の正解なんてないだろう。あるのは当人の選択だけだ。
そしてこういう時、流行を追いかけてウワサにうるさい佐天涙子は情報収集して安心を得ようとしたがる。
決断は一つだった。
「くっ……」
渾身の力を込めて、ゆっくりと己の瞼をこじ開けていく。
実際には一ミリあったかどうかも分からん薄目だが、佐天にとっては自分の筋肉を引き千切るほどの決意があった。
横倒しになった視界。