第二章 佐天涙子のドロドロ血祭りパラダイス☆ ③

 まずほっぺたを押しつけた床が自己主張をしてくる。他に見えるのはスチール製の机がいくつかと戸棚、それから部屋の壁。残念な事に、出入り口のドアは見えない。視界に捉えるためには身をひねる必要があるが、


(まずいっ、流石さすがに自殺行為だ……)


 ぐちゃり、という粘ついた液体の感触が側頭部から伝わってきた。

 のりのパックを自分で潰しているのだ。下手に身じろぎすると、雑にモップをかけたように赤い跡が床に残ってしまう。そしてそうなった場合、元の姿勢に戻ったってういはるの見ていない時にてんの体が動いた事は隠しようがなくなる。

 でもって人は、本当に心を不安に支配されると当たり前の前提こそ信じられなくなってしまう。自分の記憶すら疑ってかかる羽目になるのだ。

 つまり、である。


(あれ……? 部屋のドアってどうなっていたっけ。


 おなかが痛くなってきた。

 だけど今は両手で胃袋の辺りを押さえる訳にもいかない。

 例えばロックは壁にてのひらを押しつけるパネル式だっけ? あるいは駅の事務室やオフィスの出入り口にあるような後付け式のナンバーロック? ああもう! よくよく思い浮かべようとするとどうなっているのかぼやけてくる!?

 というか、


(鍵がかかっているかいないかで、外に出るまでの時間が変わっちゃうじゃん! 内鍵は比較的簡単に開く仕組みだとしても、この状況だとドアに飛びついて金具をひねって鍵を開けるまでの三秒すら惜しいっ。あれ、あれ、あれれ? ういはるがドアを開けた瞬間に飛びかかったんだから鍵は開いたままのはず。そのはずなんだけど、あれ? ういはるは木刀サイズのけいじようとかいうの持っているんだよ。ドアの前で鍵がどうとかモタモタしている間に投げつけられたらどうすんのっ、頭の後ろとか狙って!!)


 そのういはるはこちらに背を向け、何やらスチール製のデスクに向かっていた。椅子に座るでもなく、突っ立ったままパソコンを操作している。おかげで液晶画面はてんからでも見えそうだ。明日の犠牲者の一覧とか載ってたら超怖いが。とはいえ、まさかこの状況で風紀委員ジヤツジメントの書類仕事や連絡事項を処理しているとは思えないが……。でも一方で、アリバイ作りとか難しそうな話をするためにわざと通常運転をしている可能性も? もう何が何だか、だ。頭の中でぐるぐる回って正解が見えない。なんか今のういはるは何を見てもちょっと前にった心理学系のヤバい人診断の問題集に思えてくる。

 てんるいはそんな風に考えていた。

 全然甘かった。


「メンテ中で組み立て前の風力発電の内部ユニットに死体を詰め込むやり方も便利だったんですけどねー。気づかれなければ一八時間くらいぐりぐりごりごり回転運動で潰し続ける事によって、人体くらい髪も骨も肉も臓器もない完全ペースト状態にできたのに」

「……、」

「なのにうっかり死体を作り過ぎてアンチスキルさんにマークされちゃうんですもんなー。まあいタイミングでしたし、次の方法を組み上げますか」


 ういはるは楽しげにぶつくさ言っている。

 明日の犠牲者どころじゃねえ。

 ていうか多分あれ、画面に映っているのは風紀委員ジヤツジメントとかのお役所関係じゃない。おそらくだけど、工作系の動画で頻繁にオススメされている、相当特殊な通販サイトだ。


「一三歳の質量くらいならがくえんの清掃ロボットをちょちょいとカスタマイズすれば十分だったはず、と。人間なんてゴリゴリ潰して小さな筒に押し込めば意外と残らず入っちゃうものですしね☆」


 テレビの放送終了後にちょっとえっちな映像が流れ出すどころじゃねえ!?

 ういはるはむしろ楽しげな調子でパソコンを操作しながら、


「清掃ロボットは中古ならネットで購入できるから、この辺りで即決かなー?」

「……、」

「……人間くらい全方向から押して潰して清掃ロボットの中に丸ごと詰めちゃえば違和感なんて分かりませんし、後はゴミ処理関係の溶鉱炉にでもぶち込めば一丁上がり、と。うーっ。リサイクル活動に熱心ながくえんはこういう所が助かりますっ☆」

「ッッッ!!!???」


 まったく、自分が向かう末路なんて断片であっても聞き取るべきじゃない。このまま進んだらなんかもう口裂け女やひきこさんの犠牲者より悲惨な死に方になりそうだ。

 万に一つも、脱出で手間取る訳にはいかない。

 事を起こす前に、ドアまでの距離やじようの状況は知っておきたい。

 でもさっきも言った通り身をひねってのりをべったり引きずる訳にはいかない。

 だとすると、


(すっ、スマホ……)


 スカートのポケット、そのわずかな重みが妙な存在感を放ってきた。


(そうだスマホがあればっ! 体全体をひねらなくても、腕だけ振ってドアのある方を撮影すればのりを引きずらないで確認ができるは


 ヴぃーっ!! ヴぃヴヴぃーっっっ!!


 止まった。

 てんの心臓が止まった。冗談抜きに口から魂が半分飛び出た。

 当たり前の話は、だからこそ足場を崩されると一気に不安になる。だからてんは心の中で何度も確認に努めた。そう。本来、マナーモードは周囲に音を鳴らさず着信を知らせる技術だったはずだ。そうでなければおかしいではないか。


(だっていうのにとにかくうるせえッ!! あっ、ああ。気づかれる……。ういはるの首がこっち向く、うわあこっちに歩いてくるう!?)


 どうすれば良い? ここから何か正解の選択肢とかあんのか!? 頼めば何でも答えてくれるこっくりさんとかさとるくんでもビビって様子見を決め込むんじゃないか、この状況ッッッ!!!!!!

 とっさに出てくる豆知識がもうおかしかった。もっと真面目にお勉強しよう、と頭の引き出しが偏りまくった都市伝説マニアはこっそり猛省する。反省も何もバレたらここで人生終わりだが。

 無言、であった。

 デスクトップのパソコンまわりから再びこちらへ歩いてきたういはるは、くびかしげ、そこでてんつむってしまったため先の事は知りようがない。怖い怖すぎる、もう耳たぶにあるピアスの白い糸とか自分で引っ張ってしまいたい。ただぬのこすれる音が聞こえたから、ういはるかがめたのではないだろうか。

 ぱんっ、と。

 軽く、腰の横をてのひらか何かでたたかれた。

 反応したらおしまいだ。目を閉じて必死で震えを殺すてんだが、対してういはるがわの声は場違いなくらいのんなものだった。


「あっ、しまった。素手で触っちゃいました。これじゃあ指紋が……」

「……、」


 指紋。

 端的に、自分の置かれた状況を再確認させてくれる不穏なワードだ。


「ま、どうせ全部消えてなくなるんだから構いませんか。永久に。残留思念の方も、ロボット使ってカーボクリーンで繰り返し磨けば読み取り不能になりますからね。こう、コンピュータを処分する前に何十回もランダム高速の書き込みしてハードディスクを潰していく感じで」


 あっさりしすぎだ。

 手慣れている感じが逆に怖かった。

 とにかくふとももの外側をまさぐられ、てんのスカートのポケットから硬い感触が抜き取られた。そのまましばし沈黙。怖い、自分の心臓の音がもうおっかない。ういはるとか精神操作とかできなくて良かった。お互い低レベルのバカで助かった!! おそらくういはるは取り出したてんのスマホをじっと眺めているはずだ。いやでも、それ以外のところ……例えばこっちの顔色そのものをうかがっていたらどうしよう……?

 ややあって、つぶやきがあった。

 恐ろしく冷たい。


「……位置情報系はどうしようかな?」


 頭になかった言葉だ。

 てんの中でちょっと希望が見えてくるが、


「ここ数時間分のログをササッと消しておけば、授業中に電源を切ってそれっきり、っていう風に見えるかもですけど……」


 一撃でついえる。

 この手での分野でういはるを出し抜くのは根本的に無理なのかもしれない。


(もうこの一七七支部、表に黄色い〈!〉の標識でもつけとけっ!!)

刊行シリーズ

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