第二章 佐天涙子のドロドロ血祭りパラダイス☆ ④

 ういはるのぶつぶつ声と一緒に、ことっ、とてんのすぐ近くの床に硬い音と震動があった。ういはるはスマホを取り上げるでもなく、余計な証拠品は全部死体のそばにまとめておく事にしたらしい。後になってからどこに何を置いたのかを忘れて、『おそうれ』がないようにしたいのだろう。

 大丈夫。

 まだ終わっていない。

 文明の利器は手を伸ばせば届く場所に残されている。

 とすとすとす、という軽めの足音が再びてんから離れていった。自分だけの暗闇の中、カチカチというマウスのクリック音が聞こえてくるのを耳でしっかりと確認してから、てんは再びゆっくりと薄目を開けていく。


「それじゃあ中古の清掃ロボットを一つ、と。学校コードを偽装して、空き教室の清掃名目で仕入れて、バイク便……じゃ微妙に厳しいか。トラックとかで運んでもらって……」


 ういはるはパソコンの画面に向かっていた。

 スマホは床の上、鼻先に置いてある。

 何より、ういはるてんに背を向けている。デスクトップパソコンの大きな液晶画面で通販サイトの注文リストを確認しているのは、横倒しのてんからでも分かる。大丈夫、今ならバレない。改めて、てんるいはフリーの片腕を動かす。スマホは鼻先だが、指先を一〇センチ動かすだけで寿命を一年以上削りそうだ。

 怖い。

 メチャクチャ怖い。

 パソコンの画面は鏡のように背後の景色を反射しないだろうか。本当に何の理由もなく、ういはるが何かの拍子でこちらへ振り返ったら? 確定なんて何もない。分かっているのは、ここはレールの上だという事。考えなしに動くのは危ないけど、かといって何もしなければスケジュールの通りに列車がやってきててんつぶされてしまうだけだ。上半身だけでその辺まわる凍ったふみきりの伝説になりたくなければとにかく行動だ。

 動け。

 逃げろ、少しずつでも確実に。

 この一ミリ一ミリの動きは決して無駄にならない。


(取っ……た!)


 スマホの四角い角を、かぎじように曲げた人差し指で引っ掛ける。そのまま手繰り寄せて親指に力を込め、指先でまみげる。

 もう誤魔化せない。

 ここまできたらスピード勝負だ。スマホに目をやるとパスロック前の待ち受けにしらくろから着信報告が表示されていた。さっきのはた迷惑な振動音はこれか。反射で舌打ちしかかって慌ててみ、てんはスマホの操作に徹する。

 緊急連絡とカメラについてはパスロックを解除しなくても直で使える。


「……、」


 緊急連絡。

 一一〇だか一一九だかの誘惑がてんの胸に突き刺さるが、待て。

 待った。

 多分連絡を入れてもがくえんの治安を守るアンチスキルがすぐさま飛んでくる訳ではない。この静けさだ。人の声や身じろぎどころか、エアコンのそよ風の音さえ胸に強く響く無の空間である。ういはるかざの手で完全に支配された事件現場だっていうのに、事件ですか? それとも事故ですか? こんな問答がスピーカーからのんに流れてきたらういはるは絶対に気づく。ていうか最悪、一番近い部署に捜索要請が入るとしたら、この一七七支部へ連絡が飛んでくるのではないだろうか? 通報者の氏名はてんるい、年齢一三歳で身長は一五〇センチ以下、特徴は長い黒髪に緑がかった黒い瞳、三五億年に一人のウルトラ美少女、情報は以上。『書庫バンク』登録の顔写真等を参考にして、目視による現場の確認と要救助者の確保よろしく。……こいつをういはるかざほんにんに聞かせると???


(ああっもう! ていうか何で通話でヒアリングなんて古い方法いつまでも使っているんだよう。通報ボタンを押したら位置情報サービス参考にしてすぐさま完全武装のアンチスキルが飛んでくる仕組みにすれば良いじゃん、イマドキはタクシーアプリとか自転車使った宅配バイトとかだって細かい数字入力なんかしなくても指先のタップ一つでやってくるっていうのに……ッ!!)


 安易だけど飛びつけない。

 緊急連絡。大人に頼る。

 これはやってしまった後に何を選んでも行き止まりにしか辿たどけない、わなの入り口だ。

 無計画に脱線してもリカバリーがかなくなるだけ。てんは意思の力を総動員して誘惑を振り切り、当初の予定通りカメラの方のアイコンを指先でタップする。見慣れたカメラ画面に涙を浮かべそうになる。当たり前って素晴らしい。シャッター音は特殊な設定で切ってあるので心配ない。

 腕をあらぬ方向に向ける。

 大雑把だけど、とりあえずドアの方だ。

 後は親指を使って撮影ボタンを押せば良い。何千回、何万回と押してきたボタンだ。いちいち身をひねって画面の表示を見なくても、これくらいなら勘だけで何とかなる。


(とりあえず、ドアまでの距離とじようの有無……。これだけでも確定が欲しい)


 ぐっ、と。

 息を止めててんは覚悟を決める。


(それが分かれば脱出までの時間が分かる。どれくらいういはるが隙を見せたらゴーサインか、自分でその判断を下せるようになる……っ!!)


 押せ。

 親指で押し込めば、生存への道が開けるのだ。

 ようやく運が向いてきた。無理にでもそう考えて、てんるいは親指に力を込める。

 結果、だ。


 ズバヂィ!!!!!! と。

 カメラのフラッシュが真っ白な光で部屋を埋め尽くした。



 出た。

 もう半分とかじゃない、てんるいの口から完全にまん丸の魂がこんにちはした。


(ばっ)


 演技ではなく、だ。

 普通にしろきながら横倒しのてんは心の中でえる。


(ばかばかばかばかばかばかばかーっっっ!!!??? そっ、それは確かに設定画面は見ていなかったけど。フラッシュ設定のオンオフとかいちいち見てないけど! オート設定で部屋の暗さを感知して勝手にばっちり輝きますか高輝度LEDストロボおッ!?)


 しかしいくら嘆いたところで時間は巻き戻らない。

 当然、だ。


「……、」


 ういはるかざだって今のせんこう流石さすがに気づいただろう。いやもう、分厚いアイマスクをしっかりつけての上で仮眠を取っているとかの例外もなく普通にこれをスルーされたら逆に怖い。てんは慌ててスマホを手放して腕を元の位置に戻す。が、もちろんそんな程度でういはるがわからの疑惑をふつしよくする事などできはしない。というか、逆にどんなミラクルが発生したらういはるの頭の中で今のフラッシュとてんの関与を結びつけない展開がやってくるというのだ、これ?

 もうりようつむって成り行きを見守るしかない。

 とすとすとす、と。

 床を踏む足音がこちらに近づいてくる。ゆっくりと。ぎりぎりとかわきしむような音が混じっているのは、てのひらいたくなるくらい強くけいじようつかんでいるからか。ていうか『定温保存サーマルハンド』、もしや火事場の馬鹿力状態の体温を強制的に保つ事で筋肉のリミッターとか切れる系? いやもうそれなのか本当に!? 真っ暗だと怖い。だけど情報好きのてんにも分かる。今、かつに目を開けたらおしまいだ。


(あっ、あぶ。あびゃばぶぶばびゃばぶ)


 何もできない。

 もう、だ。ここまでどん詰まりになったら両目をカッと開いていちかばちかういはるに飛びかかってみるのも一つの選択肢かもしれないが、てんには行動に移すだけの勇気が足りない。

 少しでも勇気をかき集めるために、てんは楽しかった思い出を浮かべようとした。

 感情のコントロールは大切だ。


(あんなスカートもこんなぱんつも、ういはるはいつだって容易たやすくあたしのてのひらの上で踊って。昨日もわいらしい水玉で、あははうふふ)

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