「……、」
佐天はちょっと落ち込んだ。だから殺されるのかもしれない。
逃げられる香りがしなかった。
なんていうか実際に激突する前から優劣が決まってしまう見えない力、分厚い壁みたいな圧、暴力パワーが違い過ぎる。むしろ今日の初春は何でこんなに神がかっているのだ? 普段は後ろから制服のスカートをめくられても気づかないくらいぽやぽやしているのに!!
ドッドッドッドッドッ!! と、とにかく心臓がうるさい。
これはもう単純に物理的にどうこうなんて話じゃない。場の空気とか雰囲気とか、目には見えない得体のしれない重みが全部初春に味方している。そんな確信があるのだ。アレは支配者。この切り取られた四角い部屋の中にいる限り、無粋な人間のいかなる抵抗をも殴打一つで封殺する小さな神だ。ただしその神様の定義は、(最先端の流行にうるさい佐天が何気に大切にしている)お守りに力を込めてくれる神社の神様なんかとは大分形が違う邪神系のようだが。
両目を閉じたまま、佐天はひたすら耐えるしかない。
「佐天さん……」
ぽつりときた。
初春飾利の声には体温がなかった。
これは、名前を呼ばれても返事をしてはダメなヤツだ。都市伝説で言ったら赤マントとか八尺様とかの、呼びかけに応じたらその瞬間に魂を持っていかれる系なのだ。魂とか何とか、いよいよ作戦会議の前提からしておかしくなってきている気もするが。
(あっ、あう。まさかこれこの頭に血が上る感じも『定温保存』? ヤバい四二度ギリギリの状態で強制的に固められたらあたしこのまま内側から殺されるんじゃ。いやいや流石に被害妄想、すでに死んでると思ってるなら初春側だってそういう攻撃はしてこないはず。あれ? 正しいのってどっち? どっちよ!?)
自分の心臓の管理は自分ではできない。分かってはいるのだが、極限の緊張に耐えかねて目には見えない細い糸が切れているというか、軽めに幽体離脱モードに入っていないか???
「さてんさーん? ……見えてるくせに」
二度目の呼びかけ。
(だめっ、今のはただのハッタリ。初春のフリに乗るな! 『定温保存』も使ってない!!)
あるいは、初春側も返事なんて期待していないかもしれない。呼びかけによってこちらの瞼や肩に強張りがないかどうかでも観察している可能性だってある。もう初春の思考とシンクロできない。ひょっとしたら虚空をぼんやり眺めて大僧正サマと会話している可能性だってある。あ、これ合理的な理由がない方がむしろおっかないヤツだ。
しかし三度目はなかった。
バシィッ!! という強烈な閃光がもう一回炸裂したからだ。
さらに間隔を空けて、もう一度。
一定周期で続く。ようやく何かに気づいたらしい初春飾利から、こんな声がこぼれた。
「……、タイマー設定?」
「っ」
食いついた。
布の擦れる音がする。もちろんこっちは目を閉じているから確証はないが、おそらく身を屈めた初春が床のスマホをもう一回拾い上げているのだろう。
……スマホを手放す寸前でこれだけ設定しておいた。オートでカメラが作動する、という建前さえ用意しておけば佐天を無視してフラッシュの存在を説明できる。
「ふむ」
随分時間をかけてから、初春がそれだけ洩らした。
すぐには信じない。
「てっきり、スマートハウス化してある部屋の明度をゆっくりと落としていった時の『罠』にかかったかと思ったんですけど……」
(ちくしょうアレもたまたまの事故じゃねえのかよっ。なに、どのタイミングで騙し合い異能力バトル世界に迷い込んだ初春う!?)
そりゃ慎重になるか。向こうも自分の人生が全部かかっているのだし。
疑い半分納得半分、くらいの揺れ具合。少しでも初春の天秤が悪い方向に傾けば、硬くて重たい警杖なりスマホの角なりが佐天の頭に振り下ろされかねない。
ややあって、真っ暗闇の向こうから初春はこう呟いたのだ。
「中の写真は見られるでしょうか?」
「っ?」
「最初のフラッシュ……。あれが天井を写していればセーフ。でもそれ以外のアングルになっていたら、タイマー設定『だけ』とは思えませんよね」
「ッッッ!!!???」
ヤバい。
ヤバいヤバいヤバい!!
目を閉じて震えを我慢するのももう限界だ。今日イチの緊張が襲いかかってくる。
そっと、初春がこちらの手を摑んでくる。
「……指紋ロック、じゃないか。瞳や顔で照合する訳でもない。ふうん。直接向かい合っての物理トラブルに限って言えば、旧来のパスロックの方がまだ安全って事くらいは知っていたんですね、佐天さん」
「……、」
凌げた感じがしない。
なんていうか、ミスっている割に初春側の声に焦りが滲んでいないのだ。
これが普通の人間相手だったら、スマホのロック画面は割と信用できただろう。だけど初春飾利だけは例外だ。おそらく風紀委員全体で見ても随一の腕を持つ、サイバー犯罪対策の専門家。言い換えれば初春自身も極めて優れたハッカーなのだ。彼女の手にかかれば、市販のスマホのパスロックなんてあっさり突破してしまうだろう。
そして言うまでもなく、『最初の一枚目』はアングルが違う。佐天が手で持ってドアのある方を撮影したのだから当然だ。その写真がバレたら初春は今度こそ確定を得る。佐天はまだ生きていて、自分でスマホを摑んでカメラ撮影をしたと。
結論。
没収されたスマホを解析されたら終わりだ。
改めて、あの木刀とかデカい警棒的な特大の鈍器で入念にやられる。スマホアプリで脳みそのトレーニングとかしていないのに物理的に頭を柔らかくされてしまう。
……何でこの極限的な状況でちょっと面白成分が混じるのだ? 佐天は疑問だった。真面目に向き合ったら恐怖で絶叫するレベルに達しているからか。
(どっ、どどどどどど、どうしよう!?)
必死に薄目を開けて、佐天は分かる範囲で状況を確認していく。
初春は佐天のスマホにケーブルで繫いでパソコン側で作業をするつもりらしい。……逆に言えば、あのデスクトップのパソコンさえ壊れてしまえば? 首を動かす事もできず、横倒しになったまま佐天は眼球だけ動かす。床の上にのたくっている太いケーブルがあった。電子レンジやポットなどと繫がっているタコ足のケーブルだ。そして当然、例のパソコンにも。
いける。
やれるか?
ケーブルは結構ピンと張っている。足を伸ばしてケーブルを引っ掛け、手前に引けば、コンセントからタコ足ケーブルそのものを抜けるかもしれない。コンピュータのナニ? 何だっけ? とにかくLEDのチカチカ点滅中に電源を落とせばダメージを与えられるはず。
いや、でも。
本当にそれで大丈夫か?
何を選んだって忍び寄ってくる弱気が佐天の胸の真ん中を狙ってきた。
不意打ちで電源を落としてもパソコンの中身を破損させられるかは『確定』が取れない。一般向けのパソコンだってそうだし、風紀委員仕様って何か特別な頑丈さとかないのだろうか? こういうのに一番詳しそうな初春には聞けないし、何でも検索できるスマホも手元にない。最悪である。ぐるぐると、何をどう考えたって不安な可能性を否定できない。
というか、だ。