仮に電源ケーブル引っこ抜いてパソコンをダウンさせたとして、初春側だって、何でケーブルが抜けたのかについて再び疑問を持たないだろうか? 一難去ってまた一難に陥る気がする……。でもこのまま放っておけばスマホのロック画面が解除されるのは時間の問題だ。手前の一難を越えられなければ沈んでいくだけなのに、奥の一難を気にしていても仕方がない。やるしかないのだ! なんかもう目の前には明らかに間違いな選択肢しか並んでいなくても!!
捨てろ、佐天涙子。
ネガティブな自分を捨てろ、生まれ変われ。
今日この一日を無事に生き延びたければ、何が何でも行動だッッッ!!!!!!
(くっ……)
床の血糊を刺激しないように、だ。
横倒しになったまま、佐天はゆっくりと足に力を込めていく。音を立てないようにそっと伸ばしていく。動きに合わせてスカートがめくれていくのでおっかないが、そっちは後回しだ。とにかく足の親指に意識を集中。床の電源ケーブルまで、届くか? ギリギリ、ああもう厳しいっ、ていうか無理に力を込めたらふくらはぎの辺りがつりそうだっ!!
繊細だ。
たった一滴の水滴で全部爆発する。
だというのにもう次の予想外がやってきた。今度は視界の外からだ。ガチャガチャという無遠慮な音は部屋の中からではない。音はくぐもっているから、おそらくドア越しに廊下から響いているものだろう。
「ういはるー? そろそろ出ますわよ。今日はコンビニ強盗、現場検証想定で警備員との合同で防犯訓練をやりますから初春も準備をなさい。ウチからわざわざ一店舗ロケを提供しているんですから」
(はあ!? しっ、白井さん!? 何でこんなタイミングで……ッ!!)
佐天の心臓はそろそろ限界なのだが、でも冷静になってみると正規の風紀委員の白井が一七七支部へやってくるのは珍しい話ではない。むしろ部外者の佐天がいる方が変なのだ。
そして、だ。
……驚いている場合ではない。冷静になったらこれはチャンスなのでは?
竹刀より長い警杖を手にした初春は間違いなくこの四角い空間の神だが、多分それは大能力扱いの『空間移動』や七人しかいない超能力枠の『超電磁砲』にまでは通じない。あくまで同じ一般人同士だから通じる理屈でしかないのだ。質量保存の法則すらぶっ飛ばしてでも徹底的に事件を隠蔽したい初春も、流石に真正面からの取っ組み合いになったら白井黒子には勝てないだろう。
(イエス!! ようやっとの救世主登場!! そうだよ世界は怖い事ばっかりじゃない、なにもう白井さんたら属性的には寺生まれのTさん系だったのかあの人お!?)
なら放っておけば良い。
目を閉じて、じっと床に伏せて、ひたすら成り行きを見守れば良い。
衣擦れの音一つ立てないように。
むしろ救出まで三秒前というこのタイミングで変に動いて、最後の最後で警杖を一発頭にもらうなんて大損すぎる。ここは下手な事なんかしない方が良い。
実際に、なんかあの初春が急にうろたえている。
「えっ、えうう? し、白井さん!?」
ていうか声のトーンが二つくらい上がっている。ちょい涙混じりで声とか震えている。
破壊神が急に萎んだ。
いつもの小動物系初春である。
白井黒子の方は気づいていないようで、ノックもなくがちゃりとドアが開く音が聞こえた。
「まったく何をしておりますの初春? あなたも早く外に出る準備を
バギドゴッ!! ゴドンッッッ!!!!!!
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(え)
今度こそ。
今度の今度こそ、佐天涙子の時間が止まった。
両目を閉じたまま、自分以外の世界が全部消えてなくなったのではと思ってしまう。
そんな沈黙。
なに、え、今の音は何だ? その後の耳が痛くなるほどの沈黙は!? まさか、まさかまさかまさか。救世主せいんと白井黒子、警杖の一発でやられたのか!?
めきめきみしみし、という硬い物が軋む音。おそらくだが、ただの握力だけで地球に優しい系の合成樹脂の警杖が上げている悲鳴。
低能力、『定温保存』。だけど例えば、自分の体温をお湯やエアコンで整えて火事場の馬鹿力モードのまま完全に固定し己の筋肉のリミッターを自由にオンオフできるとしたら?
(え、あ……?)
佐天は勘違いしていたのかもしれない。
大能力者であっても人間は人間だ。不意打ちで頭に打撃を受けたら死んでしまうのは一緒なのだ。こうならないようにするための選択肢もあったかもしれない。危険であっても佐天は身を起こし、白井に警戒を促すよう叫んでいるべきだったのかも。
だけどもう遅い。
選択の機会は通り過ぎてしまった。手前の分岐に戻る事はできない。
「はあ、はは」
乾いた笑いがあった。
初春飾利が何か不安定な声を出している。誰にともなく、ゆるゆると。
「……いきなり入ってきちゃダメじゃないですか、白井さん……。まあ、消し去るとなったら数が増えても一緒ですけど……」
(う、うう。噓だよね、白井さんっ?)
びくびくという震えをいよいよ抑えられない。
(大能力者の白井さんが一発KOだとしたら、無能力者のあたしなんかいよいよ手も足も出ないじゃん!? どっ、どどどどうすんのこれ!? ねえっ、だから噓ってゆってよ!! ダメだもうこれ固法先輩とか御坂さんとか順当な戦力ランキングに頼っちゃ逆にダメ! ななななんていうか、春上さん? それとも枝先さん? ジャーニーでもフェブリでも良いけどっ、あの人達やっぱり絶対手放すべきじゃなかったわここんとこすっかり忘れていた天罰かコレなんていうかとにかくもっとこう裏も表もない世界の良心的な存在がやってこないと全くブレーキにならねえええーっっっ!!!???)
ていうか本来は初春飾利もそういうほんわか善玉枠ではなかったのか。パーティ全体の優しさ担当がイカれ方向に転がり落ちていくと、目に見える世界はあっという間に粘つく暗闇へ埋もれていく。こう、沼っぽいイメージでずぶずぶと。
目を閉じて暗闇に包まれているのも怖い。いつまでもこうしてはいられない。佐天は横倒しになったまま、ゆっくりと薄目を開けていく。
カッ!! と。
血の流れ込んだ両目を見開いたまま微動だにしないツインテールの少女が、鼻先数センチの位置で一切の機能を停止させていた。
顔とか左右が対称じゃないし。
変に影っぽくなってるってコトは頭の横とかへこんでるし。
なんか目玉の奥から血じゃないっぽいピンクのどろっとしたものが溢れてるし。
アウトじゃん。これほんとに死んでるじゃんよ白井黒子!!!!!!
「ばっ」
限界だった。
というか何かを考える前に口から出ていた。
「ばばばばばばっばあ!! ばばっばあばばああババサレええええッッッ!!!???」
死んでる。
つまり死体と同じ空間にいて辺りに漂う空気とか吸ってる、今!?
そしてこの四角い聖域に限り、最初の大前提、絶対に覆される事のないルールが存在したはずだ。それを破った者がどうなるかは自明の理でなくてはおかしい。
場の主に、生きている事がバレてはならない。
叫んでからぎくりと全身を強張らせ、佐天涙子はガタガタと震える。
今から何かをする? 具体的にどんな!?