一話 ③

 ローブの女が口を開いた。声質からして二十代の半ばから後半といったところか。落ち着いているというより、抑揚に乏しい、淡々とした喋り方だ。

 シラヌイは背をもたれていた柱に手をついて立ち上がる。

 この柱が、呪晶石だ。


「天の彼方より来たる災厄。呪晶石の突き立ったこの地を再び人の手に取り戻したのは、さすが朱雀の民といったところですね」

「あ、あなた、誰なの⁉ 白虎の人⁉」


 ヒバリが身構えつつ声をあげた。

 女がただ者ではないのは明白だった。朱雀の里は街道に沿った集落ではない。ましてや今は夜明けだ。


「失礼致しました。私はリーリエ」


 女はたおやかに礼をして言った。


「世界塔の巫女より、予言を賜ってまいりました」


 三百年前、星が降った。

 それが、災厄の始まりだった。

 世界の十三ヶ所に降り、地に深く突き立った極彩色の柱。後に呪晶石と呼称されるようになるそれらは、毒を放出し、周辺のあらゆる生き物を死に至らしめた。無論、人間も例外ではない。

 世界は混乱に陥った。幾つもの村が、町が、あるいは国が滅び、人々は住処を追われた。

 長期に亘って呪晶石は毒の放出を続けた。具体的には十年だ。

 飛来より丸十年が経った頃、毒が消えた。十三基すべての呪晶石が、毒を発しなくなったのだ。一月経っても二月経っても、再び毒が発せられることはなかった。

 人々は歓喜し、呪晶石の破壊を試みた。

 しかし、忌まわしい極彩色の柱を破壊することは叶わなかった。壊すどころか傷の一つさえつけられなかった。

 英雄の剣でも、賢者の魔術でも、大国の攻城兵器を以てしても、呪晶石はビクともしなかったのだ。

 人々は悟る。

 呪晶石は、どうやっても壊せないという、絶望的な事実を。

 さらに厄介なことに、呪晶石の毒は、とんでもない置き土産を残していったのだ。

 呪晶獣。

 呪晶石の毒は人も動物も魔獣でさえも殺すが、ごく稀に、死を免れる生き物もいる。

 しかし、死を免れたからといって無事でいられるわけではない。呪晶石の毒を浴びて死ななかった生き物は、異形の獣――呪晶獣に成り果てる。

 呪晶獣は魔獣よりも遥かに凶悪で強大な力を持つ。英雄や賢者が死力を尽くして、ようやく倒せるか倒せないか、といったほどに。不死身ではないが、呪晶獣には寿命がないとされている。少なくとも自然死した呪晶獣は確認されていない。

 不幸中の幸いだったのは、呪晶獣の行動範囲が限定されていたことだ。

 呪晶獣は呪晶石の周辺を徘徊し続ける。遠く離れた町や村を襲うような事態は起きていない。しかしそれは、毒の放出がやんだとしても呪晶石の突き立った土地には近づけないということでもあった。

 三百年前の以降、呪晶石は三十年周期で飛来を繰り返した。一度に飛来する数は十前後。呪晶石が降る度に、人類は生存可能な土地を失っていた。

 呪晶石の破壊は、人類の悲願であった。


 ヴェールで顔を隠した薄紅色の髪の女――リーリエは、自らを世界塔の巫女の使者であると称した。

 世界塔は、呪晶石の飛来を予測・監視する、超国家機関だ。

 中央大陸の中央部――まさに世界の中心に、天にも届く高い塔が聳え立っており、その頂には未来を予知する力を持った巫女がいるという。


(世界塔の巫女の使者が、何故、朱雀の里に?)


 良い予感はしなかったが、シラヌイはリーリエの話を聞くために、彼女を長老の屋敷へと案内した。

 まだ明け方だが、長老はシラヌイから戦いの報告を受けるために起きていた。


「世界塔の使者とは、これまた珍しいお客さんもあったもんだねぇ」


 客間の床に敷いた獣の皮の上にどっかりと腰を下ろして、長老のカガリは煙管を手にする。

 長老といっても、カガリは四十路を迎えたばかりの女だ。


「さて、どんな楽しいお話を聞かせてもらえるのやら」


 長い赤毛を気怠げに掻き上げたカガリは、その手の人差し指の先から小さな火を発して、煙草に火を点けた。

 小さな火とはいえ、息を吸って吐くような自然さで術を編んだ。熟練の魔術師にしかできない芸当だが、できて当然。カガリは先代の頭領であり、シラヌイに魔術のイロハを教え込んだのは、彼女である。

 シラヌイはカガリの隣に腰を下ろし、その隣にヒバリが座った。この場にヒバリがいるのは、単にシラヌイの妹だから、という理由ではない。ヒバリはシラヌイ、カガリに次ぐ優秀な魔術師であり、頭領を補佐する副頭の地位にある。この場にいるのは当然だった。

 カガリの向かいに両膝を折って座しているリーリエは、ヴェールから覗く口許に薄い笑みを浮かべた。


「巫女は、みなさんに直接お言葉を届けたいようです」


 そう言うと、リーリエは腰の後ろに手を回し、帯から何かを取り出し、それを自らの膝の前に置いた。

 鏡だ。

 無数の宝石をあしらった枠にはめ込まれた楕円の鏡。それに、リーリエが手をかざして何事かを小さく呟くと、鏡の上に、ぼうっと人影が浮かび上がった。

 少女――と呼ぶにしても、些か幼い。八つか九つといったところか。

 姿勢良く座し、静かに目を閉じている。

 鏡は、遠く離れた場所にいる人物を映し出し、対話をも可能にする術具なのだろう。シラヌイの知識にはない代物だった。魔術を極めようとする者としては、どういった技術が用いられているのか気になるところではあったが、術具以上に、シラヌイは少女に注目した。

 まず目を引いたのは金色の髪だ。金髪自体は大陸の中央部ではそう珍しい色ではないが、少女の髪は輝いて見えるほどの明るい金色だった。後ろ髪は長く、腰に届いている。前髪も相応に長いはずだが、赤い紐布で持ち上げられ、丸い額が露になっている。

 ゆったりとした白い装束には、絡み合う金と銀の蛇の文様。未来を見通すという神獣、聖蛇を模したものなのだろう。

 シラヌイはゴクリと喉を鳴らした。

 少女が世界塔の巫女であることは疑いようがなかった。

 風格がある。

 少女の目がおもむろに開いた。

 青い瞳。アウラの冰眼のような深みのある青ではなく、晴れ渡る空の色だ。


「ほう。おぬしらが朱雀の民か」


 シラヌイ、ヒバリ、カガリを見回し、少女は言った。


「名乗ることを許す」


 その物言いに、「ふん」と鼻を鳴らしたのはカガリだ。


「まずは自分から名乗るのが礼儀ってモンじゃないのかねぇ。世界塔の巫女様ってのは、そんなに偉いのかい」

「ち、長老!」


 シラヌイは慌ててカガリを窘める。

 カガリは敬愛する師だが、相手は世界塔の巫女だ。雲の上の存在なのだ。無礼な真似は許されない。


「ほう、よい度胸をしているではないか。気に入ったぞ、女。おぬしに免じてこちらから名乗ってやろう。儂の名はグリグリじゃ」

「……え?」


 シラヌイは思わず聞き返してしまう。


「グリグリ……? それが、巫女様のお名前なのですか?」

「そうじゃ! 文句あるか!」


 巫女グリグリが怒った。


「由緒正しい名前なのじゃ! 世界塔の巫女は、儂の祖母様の祖母様の、そのまた祖母様の代から、グリグリを名乗ってきたのじゃ! 巫女はみんなみんなグリグリなのじゃ!」

「存じ上げませんでした」

「公表しておらんからの!」

「な、」


 何故ですか、という問いを、シラヌイは寸でで呑み込んだ。

 答えを聞くまでもなかった。災厄の襲来を予知する神秘の巫女が、グリグリなどという良く言えば可愛い、悪く言えば珍妙な名前では、侮る者もいるだろう。


「儂の名前をバカにするなら、こうじゃ、こう!」


 そう言って、巫女グリグリは親指で自らの首をかっ切る仕草をしてみせた。


「き、肝に銘じます」