一話 ④
バカにしたつもりなどかけらもなかったのだが、下手に反論してこじらせたくはない。シラヌイは頭を垂れた。
「まあいいわい。今度はおぬしらが名乗る番じゃ。そこの女」
「長老のカガリだ」
「そっちの小娘」
「こ、小娘……えっと、副頭のヒバリです」
「最後に、おぬしじゃ」
「頭領、シラヌイです」
名乗って、シラヌイは顔を上げた。
空色の瞳が、まっすぐにシラヌイを見ていた。
「緋眼か。合点がいったわ」
「……どういうことでしょう?」
「朱雀の頭領シラヌイに命じる」
世界塔の巫女は、その幼い容姿に似合わない凜とした声音で言い放った。
「白虎の頭領と婚姻し、子を成せ」
「…………」
巫女グリグリの言葉の意味がわからず、本当にまったくわからず、シラヌイはただただ真顔で巫女の幼い顔を見つめた。
「儂に熱い視線を送ってどうする。おぬしが口説き落とし、娶り、孕ませるべきは白虎の長じゃと言うておろうが」
「…………」
シラヌイは目を閉じ、巫女グリグリの言葉を頭の中で繰り返した。
何度も噛み砕き、呑み込もうとして、とても呑み込めない内容であることを理解する。
シラヌイは閉じていた目をカッと見開いて、声をあげた。
「ええええええええええっ⁉ わ、私が、白虎の頭領と婚姻⁉」
「驚きすぎじゃ。おぬしは男で、白虎の頭領は年頃の女なのじゃろう? 男と女が子を成す。自然なことじゃろがい」
「じゃろがいと言われましても! 巫女様は朱雀の民と白虎の民がどのような関係にあるのかご存じなのですか⁉」
「見くびるでない。知っておるわ。おぬしら朱雀の民は、百年前に西の大陸から中央大陸に渡ってきた。新天地を求めていた朱雀の民は、得意とする火の魔術で呪晶獣を討伐し、無人となっていた土地を手に入れた。それが今、おぬしらが暮らしておる朱雀の里じゃな」
シラヌイは頷く。
「だが、その土地は初めから無人だったわけではない。呪晶石が飛来する以前に、暮らしていた者たちがおった。白虎の民じゃ。白虎の民は土地の返却を求めたが、朱雀の民はこれを拒んだ。まあ、これは仕方がない。呪晶獣が徘徊する土地は、呪晶獣を排除した者に、その所有権が生じる。呪晶石災害が始まって以来の、この世界の不文律じゃからの。とはいえ、故郷を取り戻したいという白虎の民の願いもまた、至極当然のものじゃな」
「……」
「新天地を手に入れた朱雀の民と故郷に帰還したい白虎の民との利害は一致せず、抗争が始まった。火の魔術を得意とする朱雀の民に対して、白虎の民は氷の魔術を得手とする。戦力は拮抗し、抗争は実に九十年にも及んでいる。相違はあるか?」
「……ありません。すべて、そのとおりです。ご存じでしたら、私とア……白虎の頭領の婚姻が難事であることはご理解いただけるはずです。そもそも、私と白虎の頭領が子を成すことに、どんな意味があるというのでしょう」
「おぬしの子が、世界を救う」
「……はい?」
「心して聞け」
巫女グリグリが声のトーンを一段階下げた。
「今より十年の後、かつてない大規模な呪晶石災害が起こる。数百……否、千を超える数の呪晶石が、世界中に降り注ぐのじゃ。大災厄……儂はそう呼んでおる」
「な……!」
シラヌイは絶句した。
信じ難い。信じたくない。だがしかし、世界塔の巫女の予言は絶対だという。
「この危機を乗り越えねば、世界は滅ぶ」
「ど、どうすれば……」
「言うておろう。子を成せとな。おぬしの子が七曜の要じゃ」
「七曜……?」
「大災厄に対抗しうる、人の可能性。七人の賢者。それぞれを、月、火、水、木、金、土、日になぞらえて、七曜じゃ」
「その、七曜……七人の賢者が揃えば、世界は救われるのですか?」
巫女は「うーむ」と曖昧に唸った。
「日の賢者次第じゃな。大災厄に立ち向かえるのは、実際のところは日の賢者だけなのじゃ。他の六人はおまけとまでは言わんが、露払いのような役割になるかの」
「シラヌイの子が、日の賢者ってことかい?」
カガリが口を挟んだ。
「然り。……おぬしはあまり驚いておらぬようじゃな」
「心当たりがないわけでもない。緋眼持ちと冰眼持ちの子供なら、例の術が使えるんじゃないのかい」
カガリの言葉に、ヒバリがぽんと手を打った。
「あ。兄様が考案した、不可能魔術!」
「……! そうか」
魔術を学び、振るうだけが魔術師ではない。新たな魔術を編み出すのもまた、魔術師の本分だ。
シラヌイも一魔術師として、いくつもの魔術を編み出してきた。もちろん、白虎の頭領に勝つため、というのが第一の目的ではあるが、もう一つ、大きな目的があった。呪晶石の破壊だ。
人の力では決して壊せないというのが通説だが、それはあくまでもこれまではそうだったというだけの話だ。人の英知は、いつか必ず呪晶石を打ち砕く。その『いつか』は、遠い未来ではないかもしれない。シラヌイはそう信じて、魔術の研究を続けてきた。そして、成功したのだ。呪晶石さえ破壊しうる、究極の魔術の考案に。
あくまでも理論を完成させただけだ。実践には至っていない。理由は、シラヌイ自身には、どうやってもその術が使えないからだ。シラヌイだけではない。この世の誰にも、どんなに優れた魔術師にも使えはしないだろう。
その術を使うには、炎の魔術と氷の魔術、相反する二つの属性に対する、極めて高い適性が必要なのだった。
炎の魔術の適正を持って生まれた者に、氷の魔術は使えない。逆も然り。それが、この世界の理だった。
だが、もし、炎と氷、相反する二属性の適正を両方備えた、そんな奇跡のような存在が実在するとしたら。
今はまだいないとしても、この先、生まれてくるとしたら。
「心当たりがあるか。話してみよ」
「は、はい」
シラヌイは巫女に、自らが考案した不可能魔術について語った。
「なるほどのぅ。つまり、おぬしの子が、その不可能魔術を可能にする適正を持って生まれるということのようじゃな」
「し、しかし……」
「道筋も見えたのじゃ。なにを迷うことがある。とっとと白虎の頭領を娶り、孕ませんかい」
「は、はら……っ! 先ほども申し上げましたとおり、我々朱雀の民と白虎の民の間には、血の歴史があります」
「その血の歴史とやらを終わらせる、いい機会じゃろがい」
「で、ですが……」
「おぬしは、そんなに白虎の民が憎いのか」
「……! そ、それは……」
シラヌイは返答に窮した。
正直なところ、シラヌイ自身に、白虎の民を憎む気持ちはなかった。
抗争が始まった当初は、双方の民に多くの死者が出た。だが、それは昔の話だ。
規模の大きな衝突は次第に減っていき、先々代の時代には、頭領同士以外の決闘を禁じる取り決めも交わされた。
月に一度、頭領同士が戦い、白虎の頭領が勝った場合は朱雀の民は土地を明け渡し、朱雀の頭領が勝った場合、白虎の民は故郷への帰還を諦める。
この取り決めが交わされて以来、双方の民による直接的な戦闘は行われておらず、死者は一人も出ていない。
決闘は三代に渡って引き分けが続いており、抗争そのものが終わったわけではないものの、ある意味で平穏な時代が続いていた。
血の歴史はある。たしかにあるのだが、シラヌイにとってそれは実感を伴わないものだった。
だからといって、血の歴史を背負う立場である頭領のシラヌイが、白虎の民を憎く思っていないなどと口にしていいものか。
救いを求めるように、シラヌイは先代であるカガリを見た。
後任の視線を受けたカガリは、「ふーっ」と長く煙りを吐いた後、言った。
「そろそろ頃合いかねぇ」
煙管を灰筒にコツンと当てて灰を落とし、カガリは言葉を続ける。