一話 ⑤
「白虎の民への恨みなんて、アタシの代にはとっくになくなってる。巫女さんの言うとおり、いい機会なんじゃないのかい、シラヌイ」
「長老……」
「あたしも終わらせちゃっていいと思う!」
ヒバリが片手を上げて発言した。
「ご先祖様の始めた戦いだからって、いつまでも続けなきゃいけないってことはないよ。白虎の人たちだって、もう終わらせたいって思ってるんじゃないかな」
「しかし……」
「だってだって、世界の運命がかかってるんだよ? 巫女様の話を聞いたら、白虎の頭領だって嫌だって言えないでしょ」
「それは……」
シラヌイは思案する。
「巫女様。大災厄の話は、白虎の頭領には?」
「まだじゃ。先に朱雀の頭領であるおぬしに伝えておる」
「では、白虎の頭領に伝えるのは、今しばらくお待ちください」
「ほう」
巫女グリグリは目を細めた。
「何故じゃ」
「私も、白虎の民を憎く思ってはおりません。朱雀の民の多く……特に若い世代は同じ気持ちでしょう。ですが、それはあくまでもこちら側の話。故郷を取り戻せずにいる白虎の民の思いは違うはずです」
「ふむ」
「巫女様の予言を聞けば、白虎の頭領も私との結婚を嫌とは言えないでしょう。しかし、それでは白虎の民に禍根が残ります。双方の民が納得した上で結婚に至る方法は一つしかありません」
「して、その方法とは?」
「取り決めに従い、決闘で九十年の因縁に終止符を打つのです」
それでも禍根は残るだろう。だが、頭領同士の決闘は、双方の民の合意の上に成立しているものだ。決闘の結果であれば、ある程度は納得がいくだろう。
「なるほどのぅ。して、勝てるのか? これまで負けずとも勝てなかった相手に」
「勝ちます。勝って、必ずや、白虎の頭領を娶ってみせます!」
シラヌイは胸の前で拳を握り、決意を示した。
「案外ノリノリじゃな」
「……はい?」
「もっと嫌がるかと思っておったわ。なにせ、仇敵を娶れと言われておるのだからの。命じておいてなんだが、無茶な話じゃ」
「そ、それは……! せ、世界! そう、世界のためですから」
「本当にそれだけかのぅ」
巫女グリグリがいじわるな笑みを浮かべる。
「まあ、その気になってくれたのなら、ヨシじゃ。手段は問わん。白虎の頭領を娶り、子を成せ。人の世の明日のためにな」
巫女グリグリの姿が水面のように揺らぎ、消えた。
「巫女の予言、たしかにお伝えしました」
リーリエが鏡を手に取り、衣擦れの音一つ立てることなく立ち上がった。
「私はこれで。またお目にかかりましょう」
「里の入り口まで送ります」
「どうか、お気遣いなく」
シラヌイの申し出を断って、リーリエは屋敷を出ていった。
世界塔の使者とはいえ、シラヌイとしては外部の者に里の中を好きに動かれたくはない。尾行するつもりで気配を殺し、後を追ったのだが、屋敷を出たところで早速見失ってしまった。
現れた時と同様、神出鬼没。
(さすがは世界塔の使者といったところか。相当な腕の魔術師か、あるいは賢者かもしれん)
世界塔は呪晶石の監視機関であると同時に、賢者の認定機関でもある。
賢者とは、世界の安寧に貢献し得る実力と人格を兼ね備えた魔術師に与えられる称号だ。要は、世界塔直属の魔術師ということになるわけだが、それ以上のことは知らない。
世界塔が設立されて以来、賢者の称号を得た魔術師は数えるほどしかいない。彼らの活躍もまちまちで、歴史に名を刻んだ賢者もいる一方、名を伏せられた賢者もいるという。
世界塔そのものが謎の多い機関であるように、賢者という存在もまた、謎に包まれていた。
「兄様」
リーリエの追跡を諦め、屋敷に戻ろうと踵を返したシラヌイに、ヒバリが声をかけてきた。
「本当によかったの? 白虎の頭領との結婚」
「し、仕方がないだろう。世界のためだ」
「ふーん……」
「な、なんだ、その疑いの眼差しは」
「巫女様も言ってたけど、兄様、嫌がってないよね。白虎の頭領が美人さんだから?」
「ち、ちち、違う! そんなことは、断じて、断じて思っていない!」
「あやしいな-。ま、いいけどね。兄様が幸せなら、それで」
「幸せ?」
「だって、結婚って、幸せになるためにするものでしょ?」
「普通はそうかもしれないが……」
「あたしはね」
ヒバリはシラヌイの顔を下から覗き込んで言った。
「結婚するなら、兄様にも相手の人にも幸せになってほしいって思うよ」
「ヒバリ……」
「ところで、兄様。一応訊いておくけど、ちゃんと知ってるんだよね?」
「なにがだ」
「子供の作り方」
「バ、バカにするなっ。たしかに私は、幼い頃から術の研究と修行に明け暮れてきた。朴念仁と言われても仕方がないだろう。自慢ではないが、友人と呼べる者の一人もいなければ、恋の一つもしたことはない」
「それは本当に自慢にならないよ……」
「だが、子供の作り方ぐらいは、さすがに知っているっ」
「知ったのは、いつ頃?」
「半年前だ!」
「最近じゃん!」
半年ほど前に、里の若夫婦から、なかなか子宝に恵まれずに困っているから、子供ができやすくなる薬はないかと相談された。
頭領として彼らの悩みを解決するべく、シラヌイは子作りに関してあれこれ調べ、知識を得たのだった。
ちなみに、シラヌイが子宝に恵まれる薬の開発を試行錯誤している間に、件の若夫婦に子供ができたために、結局、薬は完成には至っていない。
「それまでは、子供はどうやって生まれてくると思ってたの?」
「……男女が仲良くしているとコウノトリが運んでくるものと」
「ダメダメだぁ」
「心配するな。今はちゃんと知っている。正しい知識を身につけてさえいれば、たいていのことは上手くいくものだ」
「うーん……ま、いいや。今、兄様が一番に考えなきゃいけないことは、他にあるもんね」
「ああ、そうだ。白虎の頭領に勝つこと以外は、何も考えられない」
これまで百度戦い、負けずとも一度も勝てていない相手に、今度こそ勝たねばならないのだ。
力を尽くすだけでは足りない。決意と覚悟を研ぎ澄まし、思考のすべてを注ぐ。
シラヌイは脳裏に宿敵の姿を思い浮かべる。
艶やかな黒髪。雪のように白い肌。吸い込まれるような深みのある青い瞳。桜色の唇。
(美しい……はっ!)
シラヌイは頭を抱えて振った。
(いかんいかん! 早速、邪念が交じっているではないか! ……しかし)
しかし、勝てば、あの女神のように美しい女性を妻にできるのだ。
想像してみる。妻として自分の隣に立つアウラの姿を。赤ん坊を抱いて微笑む彼女の姿を。
(こ、これは……幸せ、かもしれない。……いやいやいや! 邪念! 邪念は捨てなければ)
「兄様……なに一人で百面相してるの? キリッとしたりにやけたり」
「に、にやけてなどいないだろう」
「にやけてた! しっかりしてよね、頭領!」
ヒバリにおもいっきり尻をひっぱたかれた。
「ぐ……」
シラヌイ痛む尻をさすりつつ、妹に言った。
「私はこれから一月の間、誰とも会わずに研究と修行に集中する。里の諸々は、副頭のおまえに任せるぞ」
「うん。無理をするな、なんて言えないけど……絶対に死なないでね、兄様」
「……」
死を恐れていて勝てる相手ではない。だからシラヌイは妹の言葉に首を縦には振れなかった。代わりに、こう返した。
「勝ってみせる。絶対にな」
(見られちゃった! 見られちゃった! 見られちゃったよぅ!)
木陰に座り込み、仮面を抱きしめて、アウラは心の中で悲鳴をあげていた。
そこは、白虎の里外れの林の中。決闘の後、里に戻ってきたアウラだが、家にはまだ帰っていなかった。