第一章 屋上で鉢合わせる女性には大抵何かある ②

 脳天にチョップが直撃し、体に電流のような衝撃が駆け抜けた。

 この殺人チョップの持ち主、いちひよりは、小学校からの俺のおさなじみである。

 空手歴十年。好きな物は肉と正拳突き。嫌いな物は道端に捨てられた空き缶とかペットボトル。

 赤みを帯びた髪は短く整えられており、どことなく男勝りな印象を受ける。

 しかし顔つきは割と整っており、気兼ねなく話せる相手として男子人気は高いらしい。

 小学校、中学校、高校と同じところに通っているわけだけど、別に意図したわけではなかった。

 何となく家が近いから。何となく偏差値が近いから。理由なんてその程度のもの。

 ただ、ひよりはどうやら俺のことをサンドバッグか何かだと思っているようで、よく暴力を振るわれる。

 要は暴力ヒロインというやつだ。

 今時らないよね。

 残念ながら彼女が覇権を取ることはないだろう。


「……今ウチに対して失礼なこと考えてない?」

「考えてないです」


 あぶねぇ、どうして分かるんだよ。


「はぁ、珍しく真剣に相談事があるって言うから今日の集会に遅れるって連絡したのに……時間を取って損したわ」

「俺にとっては大事なことなんだよ! 先輩がパンツを穿いていない理由が知りたいんだ!」

「こんな誰が来るかも分からない教室で叫ぶなっ!」


 チョップ、パート2。

 しかしこうなることを予想していた俺は、両腕をクロスさせることでチョップを防いでいた。

 暴力系ヒロインのやることなんてお見通しなんだよね。


「なっ……」

「頼む……っ! 俺は真剣なんだッ! であるお前の力を貸してくれ!」

「……」


 ひよりはすさまじく冷たい視線を俺に向けている。

 やめてくれ、興奮してしまうじゃないか────なんて言っている余裕もないくらい、ちょっと怖い。

 ただ、本能が言っているのだ。

 がし先輩には、大きな秘密があると。

 だからこそ、いくらひよりが怖いからと言ってここで退くわけにはいかない。


「……大体、生徒会長がパンツを穿いていないってくらいでそんなに気になる? ウチには理解できないんだけど」

「え? パンツ穿いてない人がいたら普通気にならない?」

「いや……うん……気になるかも」


 珍しく俺が正論を言ったからか、ひよりが頭を抱えている。

 なんだか久しぶりに勝利した気分だ。

 論破って気持ちいいね。スカッとするよ。


「じゃあ、仮にウチがあんたに協力的になったとして、ウチに何をさせるつもり?」

「そりゃ対面で話す機会を作ってもらって、直接俺が『どうしてパンツを穿いていないんですか』って────」

「聞かせるかアホっ!」


 怒鳴られてしまった。


「はぁ……あんた、正真正銘の馬鹿ね」


 馬鹿とは心外だ。これでも学業の成績は悪くない方なのに。

 本当に気になっているのだ。先輩のパンツが。

 がしゆいという人物は、パンツを穿いていなければならない人間だ。

 ────いや、別にパンツを穿かなくていい人間なんていないか。

 すまない、話がおかしな方向に行きそうだった。

 俺が言いたかったのは、ほら、たまにいるだろう。あえて下着を穿かないやつが。

 まあ別にそれはいいと思うのだ。

 男なんてズボンを穿いていれば脱がない限り分からないわけだし、女だってたとえスカートを穿いていてもめくられなければ下着があるかどうかなんて分からない。

 しかしどういても、世間一般からの印象は〝変態〟だ。

 文武両道、品行方正、せいれんがしゆいという女が、もしかすると変態かもしれないなんて誰が想像するだろう?

 つまるところ、世間一般の人間たちが作り上げた印象上のがしゆいは、必ずパンツを穿いている。

 多分色は白。装飾は多くない。

 水色と白のしましまはあり得ない。動物の絵がついているやつもあり得ない。

 黒は……あり得るな。せいれんな少女が実は黒い下着を穿いている。なんともそそる響きではないか。黒はありだ。むしろ穿いていてほしい。

 ありえるとするならひもパン────そう、ひもパンだ。

 もっとも平和的な真実があるとすれば、それは俺の見間違い。

 俺の視力はかなりい方だし、俺の優秀な脳みそはあの時の光景をしっかりと記憶している。

 ただ、しっかりすべてが見えていたのかと問われると少し怪しい。

 スカートは風ではためいていたし、先輩もすぐに裾を押さえて隠した。

 極限まで肌面積が広く見えたから、『穿いていない』と決めつけている可能性もある。

 要は俺がゆがんだ認知をしているかもしれないのだ。

 高校生でひもパンとはけしからんと言いたいところだが、ノーパンよりはマシと思える。

 勝負下着なんて言葉があるように、ひもパンはあくまで魅力を引き立てるための武器。

 しかしノーパンは、素手だ。

 共学とはいえ、学校にいる半分の人間は男。しかも欲を持て余した男子高校生。

 言うならばゴブリン。言うならばオーク。

 ゴブリンやオークの巣に若い女が素手のままやってくる────エロ漫画、エロゲー、エロ同人誌化待ったなしなのはもはや常識と言っていいだろう。

 もしも本当に先輩がノーパンだったとしたら、その秘密を知っている俺が守らなければ。

 彼女がゴブリンやオークの犠牲になってしまわないように、俺が守らなければならないのだ。

 え? 下心? あるわけないだろう。馬鹿にしないでくれ。俺はちゃんと紳士だ。

 女の秘密は他人に話さない。一生俺だけの秘密として優越感を抱いたまま墓場へと持っていく。

 ワンチャン連絡先を交換できたら、それでいい。あとはどうとでもなる。

 ────あれ、そんな話だっけ?


「ていっ」

「ぶごっ」


 考え事をしていた俺は、ひよりが繰り出した拳を避けることができなかった。


「はにゃが……! はにゃがめりこんでる!」

「あんたが確実によからぬことを考えている顔をしていたから、正気に戻してあげたわ」

「ありがとう! とりあえず鼻を引っ張ってもらっていい!?」


 ひよりに鼻を摘まんでもらい、埋まってしまった部分を引っ張り出してもらう。


「ふぅ、危うく顔面陥没乳首男になってしまうところだった」

「もう一発欲しいなら素直に言ってくれればいいのに」

「ごめんなさい」


 今日のひよりはだいぶ機嫌が悪そうだ。

 よし、いつも通りだな。


「……で? 結局あんたは何がしたいわけ? ウチにも分かるように言ってよ」

がし先輩がパンツを穿いていない理由を知りたい」

「あはは、何言ってんだかちっとも分からないわね」


 お前が聞いたのに。


「それが分かれば正気に戻るのね? じゃあ簡単じゃない」

「簡単? 何をもってして?」

「ウチが聞いてくるのよ。これでも生徒会役員として関係性は人より深いつもりだし……それに女子同士なら話しやすいでしょ?」

「い、いや……それはなんか、その……」

「何よ。手っ取り早いじゃない」

「その……ロマンがさ、ないじゃん」

「あんたさ、二回くらい死んで生まれ変わった方がいいんじゃない? シンクのみずあかとかに」

「ははは、冗談キツいよ、ひより」

「え?」


 ふふふ、冗談じゃないみたい。


「……じゃあどうしろってのよ。相談されたところで、ウチは犯罪に手を貸すつもりはないわよ?」

「悩んでいるのはそこなんだ。どうすればセクハラで訴えられずにパンツの謎を解くことができるのか……」

「真顔で言われると本気で悩んでいるように聞こえるから不思議ね」

「少なくとも俺は今本気で悩んでいるからな」


 自分でもこれほどまでに先輩のパンツの有無が気になっているのか分からない。

 だけど本気で知りたいと思っているのは事実で、どうにもそれは性欲を通り越し、知的好奇心の域にまで到達している。

 この真実を知った時、俺はきっとまた一つ大人になることができると思うのだ。

 下ネタじゃないよ、断じて。


「ひより、改めてがし先輩に紹介してもらえたりは……」

「はぁ……頼まれたところで、ウチからあんたを紹介するみたいなはできないわよ。ただお近づきになりたいとか、そういう話ならともかく、どうしてパンツを穿いていないのか気になったからなんて馬鹿みたいな理由で『はい、分かりました。紹介してあげます』なんて言えると思う?」

「まったく思わない」

「分かってるじゃないの」

「でも、そこをなんとか!」

「前言撤回。なんも分かってないわ、こいつ」


 ひよりが盛大にため息をつく。

 話題のせいか、いつもよりひよりが疲れているように見えてきた。

 理由は間違いなく俺なんだけどね。


「とにかく! ウチは協力できないから! お近づきになりたいなら勝手に一人でやってよ。変に関わってるって周りに思われたら、ウチの内申にも響くし」

「内申に響くレベルなの? 俺って」

「この先あんたがパンツの謎を解くために何かやらかしたら、それはそれは響くでしょうね」