第二章 高嶺の華にギャップは用法用量を守って ①

「どうぞ、お茶です」

「あ、どうも」


 ふたさんが差し出したお茶に、俺は口をつける。

 彼女はそのまま机を挟んで俺の対面に座るどう先輩の後ろに立った。


「それで……俺は生徒会に誘われているってことでいいんですか?」

「正確には強制的に所属させようとしているんだけどね」


 つまりは、生徒会役員への従属。

 いくら生徒会副会長とはいえ、一般生徒をどうにかするなんて権限は持ち合わせていないと思うのだけど。


「もし断るなら、今度こそあなたの恥ずかしい写真を撮って脅しの材料にさせてもらうわ」

「だから、それじゃ俺に対する脅しにはなりませんよ?」

「そうだった……」


 どう先輩が頭を抱える。

 なんだろうか、この人から漂う苦労人感は。


「……どうセンパイ、とりあえず詳しい事情を説明したらどうです? ウチがしセンパイ呼んできますから」

「そうね……お願いしていい?」

「はい」


 ひよりが部屋を出て行くのを見送って、どう先輩は改めて俺の方へと向き直る。


「……詳しく説明するわね」

「あ、はい、お願いします」

「まず、どうしてゆいが下着を穿いていなかったか分かる?」

「え? 急にどうしてそんなセクハラを?」

「そういう話じゃないわ」


 違ったか。


「じゃあ、えっと……がし先輩にはそういう趣味があるとか」

「あの子の名誉のために言っておくけど、それも違う」

「残念」

「さっきから色々と正直過ぎないかしら」

「それが俺のいいところだと思っているんで」


 俺は女性にうそはつかない。

 紳士である俺は女性の前では常に正直者でいたいのだ。


「で、がし先輩の秘密ってなんなんですか?」

「……ポンコツなのよ」

「ポ、ポンコツ?」

「そう。それも超が付くほどのね」


 ポンコツ、つまりは間が抜けているというか、天然が入っているとか、そういう意味で使われることが多い言葉。

 本来は壊れた機械などに使われていた言葉だが、人間に対してもあまりいい言葉としては使われていない。

 どう考えてもがし先輩には似合わない言葉だと思うのだが────。


「あの子はね、勉強はすごくできるの。運動もできるし、カリスマ性だって高い。はたから見てもそう思うでしょう?」

「そりゃまあ……」


 そう、それががし先輩に対して持っているイメージだ。

 がし先輩は美人で、運動能力が高くて、生徒会長を任されるほどに上に立つ者の素質を持っている人間。

 勉強だって常に学年上位三人以内に入っていると聞いているし、その完璧超人っぷりは他者の追随を許さない。


「でもね、ポンコツなのよ」

「……」


 どう先輩は、有無を言わさぬ態度でそう告げた。

 普段のイメージがあるせいで、がし先輩は完璧超人という認識を拭えない。

 しかしどう先輩は俺の知る限り誰よりもがし先輩の側にいる人間。

 そんな人が言うのだから、誰の言葉よりも信用できる。

 しかもどう先輩がこんな風に人を拉致してまで冗談を言う人間にも見えない。

 となると、もう疑う余地がないわけで────。


「その……どうポンコツなんですか?」


 俺がその言葉に疑問をこぼしたのと同時に、生徒会室の扉が開いた。

 部屋に入ってきたのは、話の中心人物であるがし先輩と、そんな彼女を呼びにいったひよりである。


どうセンパイ、がしセンパイを連れてきました」

「ありがとう、ひよりちゃん。ゆい、ちょっとこっちきて」


 どう先輩に呼ばれ、がし先輩は俺の前までやってくる。


「どうも、がし先輩」

「おお、君ははなしろなつひこじゃないか。昨日の屋上ぶりだな。早速遊びに来てくれたのか?」

「まあ、ちょっと色々ありまして」

「ふむ。ともかく歓迎しよう。我が生徒会室でゆっくりしていくといい」


 がし先輩はそう言いながら笑みを浮かべた。

 ずいぶん歓迎してくれているようだけど、がし先輩は今自分の秘密が俺に伝わってしまっていることを知らないのだろうか。


「ねぇ、ゆい? 昨日下着を穿いてなかったって本当?」

「ん? ああ、そうなんだ。昨日は水泳の授業があっただろう? だから着替えの手間を省くために制服の下に水着を着て学校に来たんだが、帰りに穿いて帰る下着を忘れてしまってな。私のしたことが、少しだけあせったよ」

「……何か困ったことがあれば、私を頼ってって言わなかったっけ?」

「……あ」


 がし先輩は、そこでようやく思い出したかのような声を漏らした。


「あ、じゃない! もう! 他の生徒に見られたらどうするつもりなの!?」

「大丈夫だ。ここにいるはなしろなつひこにしか見られていない」

「見られてるじゃないの!」


 ここで俺は、どう先輩の言葉を全面的に信じることにした。

 がし先輩に対して感じた、決定的なズレ。

 その正体は、もちろん彼女が群を抜いて優秀な人間という部分も大きいけれど、今目の前のやり取りがすべてを表しているように思えた。


「……どう先輩の口振りからして、もしかして常習犯なんですか?」

「ええ……そうよ」


 水泳の授業に替えの下着を忘れる。

 そんなのは別に珍しい話ではない。

 そう、確かに珍しい話ではないのだが、がし先輩がその当事者となると訳が違う。

 常習犯ともなればなおさらまずい。


はなしろ君。この学校の生徒会長がどうやって決まるか、知っているわよね?」

「はい。年に一度の会長選挙ですよね」

「そう。生徒会長は、立候補した人間、または推薦された人間から全校生徒による選挙によって選ばれる。だからこそ、生徒会長となった人間は全校生徒の模範となる存在でいなければならないの」

「つまり、パンツを穿き忘れるような人間じゃいけないってことですよね」

「そう、パンツを穿き忘れるような────って、今ナチュラルにセクハラした?」

「いえ? 話をしていただけです」


 そんな、この俺が下着をパンツって言い換えてわざわざどう先輩に言わせようとするわけがないじゃないですか。


「でも下着ってちょっと言い方がお上品過ぎる気がするんです。できれば皆パンツって口に出して言いましょうよ!」

なつひこ、あんたが生まれ変わったら下着のタグになるよう祈っておくわ」

「あれ、まず殺すところから始まってない?」


 顔面に深々とひよりの拳が突き刺さる。

 ありがとうね、いつもの愛情表現。


「おい、ひより。あまり暴力はよくないぞ? はなしろなつひこの顔が陥没してしまっているじゃないか」

「ああ、いいんです。こいつはこれが好きなんで」

「何? そうなのか。じゃあこのままでいいか」

「はい、放っておいてあげてください」


 待て待て待て。

 俺はすぐに陥没した鼻を摘まんで引っ張り出し、抗議の声を上げた。


「待ってください! 一応いつも痛いんですから! 俺はMっ気はあんまりないんですよ!」

「全然ないってわけじゃないならいいじゃないのよ」


 ごもっとも。

 痛いところを突かれたね。正拳突きだけに。


「まあ、俺のことはいいんです。それよりがし先輩についてもう少し話を聞かせてください」

「〝俺〟の話にしたのはあんたでしょうに……」


 ひよりの冷静なツッコミが刺さる。

 いけないいけない。自分以外美少女しかいないこの部屋の空気がすぎて、テンションが上がり過ぎていた。

 これでは冷静な話なんてできやしない。

 落ち着くためにも、ここで一つ深呼吸しておこう。

 うん、やっぱり空気がい。


「……話を戻すわね?」


 どう先輩は、せきばらいをこぼした後に言葉を続ける。


「ここにいるがしゆいは、生徒会長という人を率いる立場でありながら、〝天然〟を極めてしまっているの。特に勘違いとか、間抜けな行動が多いんだけれど、もしそれが学校中の生徒に知れ渡ったら、一体どうなると思う?」

「……まさか、不信任決議案が出ると?」

「そのまさかよ、はなしろ君」


 生徒会長の座に就く者が、その資格を持ち合わせていないと判断された際に突き付けられる決まり事────それが生徒会長不信任決議。

 最終判断権を持つ教師によってこれが行使されてしまえば、がし先輩はその時点で生徒会長ではなくなり、また臨時で会長選挙が行われることになる。