「駄目で~す。わたしがデートだと思ったらデートなの」
それ以上は反論さえ許してもらえず、希空はとっとと扉を閉じてしまった。
俺だけが一人、部室の中に残された。
☆ ☆ ☆
扉を閉じて、体を横にスライドさせる。
本当はもう少し離れたいんだけど、流石に今すぐは無理だ。無理。無理。ほんと、無理。足、ガクガクだし。わあああぁぁぁぁぁぁ。ついについに、言っちゃった。言ったんだ。兄さんに好きだって。……わ、わぅ。心臓がすごく痛いんだけど。こんなに強く鳴ってたの?
顔もめっちゃ熱くなってるしさ。
絶対に赤いよねぇ、これ。
窓に映る自分の顔は、見たこともない表情をしていた。
こんな顔で、兄さんに迫ったの? わたしが? ものすごく必死だっ。いや、真剣で本気で、混じりっけのない純度百パーセントの告白だったわけなんだけど。わけなんだけどさっ。
に、兄さん、引いてたりとかはしてなかったよね?
ちらっと扉の方を見てみるけれど、さすがにもう一回突入は駄目だ。
ちらっちらっと、それでも見てしまう。ちらっ、ちらっ。ええい。駄目だってば、希空。ついさっき、余韻に耐えられんくなっておかわりの突入をしたばっかでしょ。
ずっと余裕のあるふりをしてたけど、内心、バクバクだった。
でも、だってしょうがなくない?
初恋なんだもん。
初告白なんだもん。
七年の片思いだったんだから。
ひんやりした壁に背中を預けて必死に頭を冷やしていると、どこでスタンバっていたのか親友の遙海が、よおってな感じで手を上げながらこっちにやってきた。
「なーに一人で面白百面相してんの?」
「お、面白っ?! って、ひどい」
「結弦にいやんに告白してきたんでしょ? おっ疲れ様」
なにも言ってなかったのに、にひひひと白い歯を剝き出しにして笑っている。
「あははは、頑張ったよ。振られちゃったけどね」
わたしも、同じように笑ってみる。
ちゃんと笑えてるかな、どうかな。
「ほっほー。天下の希空さんもついに初黒星っすか、そうですか」
「なにそれ?」
「ただの事実じゃん」
いこっか、と遙海が手を引っ張ってくれると、不思議と自然に歩き出すことができた。
遙海の手、わたしと同じくらい小さいな。
久しぶりの兄さんの手は、やっぱりわたしのより大きくて、変わらず温かかった。
思い出すだけで、心臓がまた鼓動の強さを取り戻す。
「希空ー、希空ちゃーん? おーい。……むう。こるぁあああ。いい加減、反応返せっ」
「わ、わぅ。急にどしたし?」
「急じゃねーし。どしたし、でもないし。こっちのセリフだかんね、それ。いきなりぼーっとしちゃってさ。あんさ、希空ちゃんてば今さぁ、エッチなこと考えてたっしょ?」
遙海の瞳が、キラリと悪戯に輝いた。
「は、はあああぁぁぁ? 違うよ。そんなことないってば」
「どーだかね。で、これからどーするん?」
窓の外には、のどかな昼休みの光景が広がっていた。
男の子が制服姿のまま平気でサッカーとかしてたり、吹奏楽部が熱心に練習していたり。
天気がいいから、外でお昼を食べている子たちもいた。
それを見てると、鼻の奥が急にツンとなった。
あ、駄目だ。
なんか、なんかさ。一気にきたみたい。
「とりあえず、ご飯食べる。お腹空いた」
「いや、そういうことじゃなくてだね」
「だって、まだお昼ご飯食べてないもん」
「てか、さっきからなーんで声が震えて──」
遙海がわたしの方へ振り向く。
優しさですぐに顔を背けてくれる。
あんがと。
わたしと同じくらいの彼女の背中が、今更熱を持った瞳の中でゆらゆらと揺れ出している。
なんでもない日常が、兄さんに振られたという現実を強くわたしに突きつけていた。
「振られることは分かってたの。それでいいって思ってたし。まずは意識してもらうところから始めなきゃだったし。兄さん、まだわたしのことを十歳の子供としか見てなかったから」
「うん」
「確かめたいこともあったしね」
「うん」
「でも、告白を始めたら全部ぶっ飛んじゃって。もしかしたら、チャンスないかな、とか思ったりもして。もしかしたら、このままOKもらえるんじゃないかとか、き、期待して」
「うん」
「やっぱり駄目だったんだけど」
「希空はずーっと好きだったもんね。結弦にいやんが眠っている間も、ずっとずっとさ。なっがいよねー、七年でしょ。〝うらしまシンドローム〟だっけ?」
遙海の問いに、こくりと頷いた。
うらしまシンドロームと誰が最初に言い出したのかを、わたしは知らない。
本当はもっと小難しい学術名がついているらしいその現象は、お父さんお母さん世代が赤ちゃんの頃から少しずつ世界中に広がり始めたと聞いている。まあ、広がっているといっても統計をとるに数百万人とかに一人が罹るとされている奇病で、普通に生活している分にはあまり耳に入る機会はないのだけど。ただ、純愛映画のテーマなんかに度々使われることもあって、わたしを含め多くの人が名前と大まかな症状くらいは認知しているのだった。
そんなうらしまシンドロームにおける最大の特徴は、罹患してしまうと長期間の睡眠に入ってしまい、その間、皮膚から生じる特殊な膜で体が覆われ成長が止まってしまうということだ。
イメージとしては、SF作品なんかで見るコールドスリープに近いかもしれない。
早い人で二年、遅ければ十年くらい眠ることになるらしい。
兄さんは約七年で目覚めたから、遅い部類に入るそう。
あの、二人がキスをしていた星逢祭りの夜に、兄さんは突如、うらしまシンドロームに罹患した。そして七年もの月日が過ぎゆく中で兄さんの時だけが止まり、わたしは決して追いつくはずのなかった彼の背中に追いついてしまったというわけである。
七年前、兄さんの隣にいた姉さんと同じ制服を着て、今はわたしが彼の隣にいる。
「そんだけ長い片思いの果てに振られたら、そりゃ痛いよ。悲しくもなるんじゃない? あたしは恋愛方面、ちょっと疎いからよくは知らんですけど」
うん、と濡れた瞳を二の腕で拭う。
未だ強い熱を孕んだ感情が、制服の白を黒へ染めていく。
「それでも、あの千惺ねえやんと張り合うなんてよくやるわとは思うけどねん」
「別に、全く勝ち目がなさそうってわけじゃないし」
「そうなん?」
今、振られたばっかなのに? と遙海の瞳が語っていた。
わたしは鼻をすんと鳴らして、「そうなの」と強がるように答えた。
「ほーん。で、その勝ちの目ってなにさ?」
「それはね──」
☆
希空の足音が段々と小さくなっていく。
その音が遠くへ消えてしまうのをしっかり聞き届けて、俺はソファから立ち上がった。
視線の先に、五月の風に揺れるカーテンがあった。
大して遮光性に優れているわけじゃないが、それでも外と内を視覚的に遮断するくらいはできる。故に、部室の中で行われていた俺たちのあれこれを外にいた奴は視認できないし、中にいた希空には外にいた彼女の姿が見えていなかったはずだ。
カーテンが微かに膨らむと、春の匂いと夏の温度を秘めた季節の狭間にいる風が頰を撫でた。
一歩、二歩、三歩。
少しずつ近づいていったつもりなのに、あっという間に窓辺まで辿り着く。
日の光を受けて熱を孕んでいたカーテンを摑み開くと、その先には貴重な昼休みに太陽の黒点観察なんてものに励んでいる天河という苗字の教師の姿があった。
一応、我が天文部の顧問だ。