第一話 兄さんが好きなの、と彼女は言った。 ④

で~す。わたしがデートだと思ったらデートなの」


 それ以上は反論さえ許してもらえず、はとっとととびらを閉じてしまった。

 俺だけが一人、部室の中に残された。


   ☆ ☆ ☆


 とびらを閉じて、体を横にスライドさせる。

 本当はもう少しはなれたいんだけど、流石さすがに今すぐは無理だ。無理。無理。ほんと、無理。足、ガクガクだし。わあああぁぁぁぁぁぁ。ついについに、言っちゃった。言ったんだ。兄さんに好きだって。……わ、わぅ。心臓がすごく痛いんだけど。こんなに強く鳴ってたの?

 顔もめっちゃ熱くなってるしさ。

 絶対に赤いよねぇ、これ。

 窓に映る自分の顔は、見たこともない表情をしていた。

 こんな顔で、兄さんにせまったの? わたしが? ものすごく必死だっ。いや、で、混じりっけのないピユアピユアな純度百パーセントの告白だったわけなんだけど。わけなんだけどさっ。

 に、兄さん、引いてたりとかはしてなかったよね?

 ちらっととびらの方を見てみるけれど、さすがにもう一回とつにゆうだ。

 ちらっちらっと、それでも見てしまう。ちらっ、ちらっ。ええい。だってば、。ついさっき、いんえられんくなっておかわりのとつにゆうをしたばっかでしょ。

 ずっとゆうのあるふりをしてたけど、内心、バクバクだった。

 でも、だってしょうがなくない?

 はつこいなんだもん。

 初告白なんだもん。

 七年の片思いだったんだから。

 ひんやりしたかべに背中を預けて必死に頭を冷やしていると、どこでスタンバっていたのか親友の遙海はるかが、よおってな感じで手を上げながらこっちにやってきた。


「なーに一人で面白百面相してんの?」

「お、面白っ?! って、ひどい」

結弦ゆづるにいやんに告白してきたんでしょ? おっつかれ様」


 なにも言ってなかったのに、にひひひと白い歯をしにして笑っている。


「あははは、がんったよ。られちゃったけどね」


 わたしも、同じように笑ってみる。

 ちゃんと笑えてるかな、どうかな。


「ほっほー。天下のさんもついに初黒星っすか、そうですか」

「なにそれ?」

「ただの事実じゃん」


 いこっか、と遙海はるかが手を引っ張ってくれると、不思議と自然に歩き出すことができた。

 遙海はるかの手、わたしと同じくらい小さいな。

 久しぶりの兄さんの手は、やっぱりわたしのより大きくて、変わらず温かかった。

 思い出すだけで、心臓がまたどうの強さをもどす。


ー、ちゃーん? おーい。……むう。こるぁあああ。いい加減、反応返せっ」

「わ、わぅ。急にどしたし?」

「急じゃねーし。どしたし、でもないし。こっちのセリフだかんね、それ。いきなりぼーっとしちゃってさ。あんさ、ちゃんてば今さぁ、エッチなこと考えてたっしょ?」


 遙海はるかひとみが、キラリといたずらかがやいた。


「は、はあああぁぁぁ? ちがうよ。そんなことないってば」

「どーだかね。で、これからどーするん?」


 窓の外には、のどかな昼休みの光景が広がっていた。

 男の子が制服姿のまま平気でサッカーとかしてたり、すいそうがく部が熱心に練習していたり。

 天気がいいから、外でお昼を食べている子たちもいた。

 それを見てると、鼻の奥が急にツンとなった。

 あ、だ。

 なんか、なんかさ。一気にきたみたい。


「とりあえず、ご飯食べる。おなか空いた」

「いや、そういうことじゃなくてだね」

「だって、まだお昼ご飯食べてないもん」

「てか、さっきからなーんで声がふるえて──」


 遙海はるかがわたしの方へく。

 やさしさですぐに顔をそむけてくれる。

 あんがと。

 わたしと同じくらいの彼女の背中が、いまさら熱を持ったひとみの中でゆらゆらとれ出している。

 なんでもない日常が、兄さんに振られた失恋したという現実を強くわたしにきつけていた。


られることは分かってたの。それでいいって思ってたし。まずは意識してもらうところから始めなきゃだったし。兄さん、まだわたしのことをとしか見てなかったから」

「うん」

こともあったしね」

「うん」

「でも、告白を始めたら全部ぶっ飛んじゃって。もしかしたら、チャンスないかな、とか思ったりもして。もしかしたら、このままOKもらえるんじゃないかとか、き、期待して」

「うん」

「やっぱりだったんだけど」

はずーっと好きだったもんね。結弦ゆづるにいやんがねむっている間も、ずっとずっとさ。なっがいよねー、七年でしょ。〝うらしまシンドローム〟だっけ?」


 遙海はるかの問いに、こくりとうなずいた。

 うらしまシンドロームとだれが最初に言い出したのかを、わたしは知らない。

 本当はもっと小難しい学術名がついているらしいその現象は、お父さんお母さん世代が赤ちゃんのころから少しずつ世界中に広がり始めたと聞いている。まあ、広がっているといっても統計をとるに数百万人とかに一人がかかるとされているびようで、つうに生活している分にはあまり耳に入る機会はないのだけど。ただ、純愛映画のテーマなんかにたびたび使われることもあって、わたしをふくめ多くの人が名前と大まかなしようじようくらいはにんしているのだった。

 そんなうらしまシンドロームにおける最大のとくちようは、かんしてしまうと長期間のすいみんに入ってしまい、その間、から生じるとくしゆまくで体がおおわれ成長が止まってしまうということだ。

 イメージとしては、SF作品なんかで見るコールドスリープに近いかもしれない。

 早い人で二年、おそければ十年くらいねむることになるらしい。

 兄さんは約七年で目覚めたから、おそい部類に入るそう。

 あの、二人がキスをしていたほしあい祭りの夜に、兄さんはとつじよ、うらしまシンドロームにかんした。そして七年もの月日が過ぎゆく中で兄さんの時だけが止まり、わたしは決して追いつくはずのなかった彼の背中に追いついてしまったというわけである。

 七年前、兄さんのとなりにいた姉さんと同じ制服を着て、今はわたしが彼のとなりにいる。


「そんだけ長い片思いの果てにられたら、そりゃ痛いよ。悲しくもなるんじゃない? あたしは、ちょっとうといからよくは知らんですけど」


 うん、とれたひとみうでぬぐう。

 いまだ強い熱をはらんだ感情なみだが、制服の白を黒へ染めていく。


「それでも、あのねえやんと張り合うなんてよくやるわとは思うけどねん」

「別に、全く勝ち目がなさそうってわけじゃないし」

「そうなん?」


 今、られたばっかなのに? と遙海はるかひとみが語っていた。

 わたしは鼻をすんと鳴らして、「そうなの」と強がるように答えた。


「ほーん。で、その勝ちの目ってなにさ?」

「それはね──」


   ☆


 の足音が段々と小さくなっていく。

 その音が遠くへ消えてしまうのをしっかり聞き届けて、俺はソファから立ち上がった。

 視線の先に、五月の風にれるカーテンがあった。

 大してしやこう性にすぐれているわけじゃないが、それでも外と内を視覚的にしやだんするくらいはできる。ゆえに、部室の中で行われていた俺たちのあれこれを外にいたやつにんできないし、中にいたには外にいたの姿が見えていなかったはずだ。

 カーテンがかすかにふくらむと、春のにおいと夏の温度を秘めた季節のはざにいる風がほおでた。

 一歩、二歩、三歩。

 少しずつ近づいていったつもりなのに、あっという間に窓辺まで辿たどく。

 日の光を受けて熱をはらんでいたカーテンをつかみ開くと、その先には貴重な昼休みに太陽の黒点観察なんてものにはげんでいるあまかわというみようの教師の姿があった。

 一応、我が天文部のもんだ。