第1章 迷宮の誘惑 ③

 よくあること──確かに言われてみればそうかもしれない。ダンジョンやクエストの途中で複数のアイテムを入手した際などは印象の薄いものは記憶に残らないし、モンスターのドロップ品なども戦闘が連続したときには一々確認していられないから、そのまま忘れてしまうことが多い。


「しかし、もしも本当にあのぜんだいもんのデスゲームの最中、人知れず連続殺人事件が起こっていたのだとしたら、由々しきことだ」

「デスゲームの最中に殺人事件って……意味あるのか?」


 率直な疑問を呈すると、自称名探偵は肩をすくめた。


「さあね、意味なんて最初からないのかも。でも実際、SAOの攻略中にPKも多発していたみたいだし、あり得ない話じゃないよ」


 PK──プレイヤーキル。またはそれを行う者を示す専門用語。文字どおり、自分以外のプレイヤーに危害を加え、HP──ヒットポイントをゼロにして《殺害》する行為である。人道にもとるということで禁止されているタイトルも多いが、リアリティ追求のため採用しているタイトルも少なくない。

 実際、俺たちがプレイしているこのALOも、かつては他種族のPKがむしろ推奨されていたほどだ。おそらく種族間の対立をあおることで、当初の目的であった《かいじゆ》攻略をきつけるためだったのだろう。

 普通のゲームであれば、PKをされるとアイテムや経験値の一部を失うなどのペナルティを受け、時間がてば再び《せい》できるものだが……プレイヤーの死と肉体の死が同一であった、かのSAOならば……PKは普通の殺人と何ら変わらない犯罪ということになる。


「殺されれば人は死ぬ。現実では当たり前のことだけど、その当たり前の仕様をゲームに導入した結果、PKという犯罪が横行した、というのは、言い方は不謹慎かもしれないが興味深いね。そもそもプレイヤーをゲーム内に閉じ込めて攻略させたいだけなら、PKの仕様など不要なんだ。ゲームが続くほどプレイヤーは減る一方だし、プレイヤーが減ればいずれ攻略すらおぼつかなくなるのは目に見えている。本来、PKの仕様は、あしかせでしかない」

「確かにそのとおりだと思うけど……じゃあ、どうしてかやはPKを導入したんだ?」


 スピカは神妙な顔でティーカップをテーブルへ戻した。


「SAO事件は、かやあきひこを作り出すために起こしたとされている。何がそこまで彼を駆り立てたのかは、結局わからずじまいだったみたいだけど……。とにかくPKは彼にとって、異世界を構成する上で当然の仕様だったと考えるのが自然だ」


 本物の異世界を作り出す、ねえ……。神にでもなろうとしたのだろうか。凡人の俺には理解できない思想だ。


「いずれにせよ、事件あるところに名探偵ありだよ、助手くん」スピカは興味深そうに両手をわせる。「事実であれ虚構であれ、とにかくまずはこの長い手記に目を通す必要がありそうだ。少なくともこの手記の記述者は、読者に対して伝えたい何かがあるようだからね」


 スピカの探偵趣味にはへきえきしているが、俺としてもこの一件が気にならないといえばうそになる。だから何かわかったら教えてもらおう、くらいの軽い気持ちでいたところ──。

 彼女が事務所に置いてあった、さらな羊皮紙アイテムの束を持ってきてとしながら手記の複製を始めたので俺は首をかしげた。


「……何してんの?」

「何って、コピーを取ってるのさ」

「いや、そんなことしなくても、その手記そのまま持って行けばいいじゃん」

「そうしたらきみが読めなくなるだろう」


 さも当然のように少女は言った。


「……なんで俺も読むことになってんの? スピカが勝手に読めばいいじゃん」

「あのねえ……」作業の手を止めて小馬鹿にしたような目を向けてくる。「どこの世界に自分だけ事件に挑む探偵がいるのだ。探偵と助手はいちれんたくしよう。共に事件に臨み、協力しながら解決するものだよ」


 そんな常識は知らないし、仮にあったとしても創作の常識を現実に持ち出さないでほしい。


「第一、今回は依頼人も他の関係者もいないのだ。ボクが事件の真相に気づいたとき、誰に推理を披露すればいいんだい? そしてボクの推理を聞いて、誰が驚いてくれるんだい?」

「ギャラリーがほしいだけじゃねえか」


 至極真っ当な指摘だったが、自称名探偵は勝ち誇ったように不敵な笑みを浮かべた。


「それが──《名探偵》さ。……というわけで、助手くん! きみもちゃんとこの手記を読んでおくようにね!」


 複製の終わったオリジナルの紙束を俺の手元に押しつけてくるスピカ。


「でも、今日はもう遅いから、明日からかな。ああ、この手記を現実へ持ち帰れないのが非常に惜しい。まあ、でも明日の楽しみが増えたと思えばそれもちようじようか。くふふ……腕が鳴るよ……! さあ助手くん!《真珠星探偵社》の最初の仕事だからね、気合いを入れていくよ!」


 自分を名探偵だと思い込んでいるおさなみは、夏のひまわりのような笑顔でそう言った。

 ぷかりと、またシャボン玉が宙を舞った。



 その翌日。

 いつものように七時に起床して、母親が作ってくれた朝食を食べてから、学校へ向かう。

 高校は歩いて通える距離にある場所を選んだので、朝はいつも比較的のんびりとしている。

 心地よい風に柔らかな春の日差しを満喫しながら、心穏やかに歩みを進める。慌ただしいのは好みではない。電線に止まったすずめたちの愛らしいさえずりに耳を傾けながら、心を豊かにしているとすぐに校門に到着した。

 校門の前には、数名の生徒が立っているのが見える。『生徒会』と書かれた深紅の腕章が朝日を浴びてきらめいていた。

 おそらく、朝の挨拶週間的なイベントなのだろう。こんな朝早くから御苦労なことだ。

 気づかなかった振りをして校舎へ入っていこうとするが、進行を妨げるように一人の女生徒が俺の前に立ちはだかった。


「──おはようございます、えんどうくん」


 ちようめんに制服を着こなした女生徒は、極上のほほみを浮かべながら上品に小首をかしげて見せた。つややかなストレートの黒髪が肩口からするりと滑る。

 ──つくしずく

 この高校の生徒で彼女の名前を知らないものはいない。文武両道、才色兼備、質実剛健にして快刀乱麻の生徒会長様である。

 入学以来、成績は常にトップ。運動神経も抜群で、運動部のすけとしても引っ張りだこ。その上人当たりもよく誰にでも優しい穏やかな性格で、とどめとばかりにアイドル顔負けの整った顔立ちをしているという完璧超人だ。

 二年生に進級して間もなく立候補した生徒会選挙では有効票のほぼ百パーセントを集めた伝説を持つ、まさしく生徒会長となるべくして生まれてきた真の生徒会長である。

 どこか高貴な雰囲気の湧き立つ美しい顔と、生真面目さを表すようにそろえられた前髪から、生徒たちの間ではひそかに《かぐや姫》などと呼ばれて慕われている。

 ──が、俺はそんな会長様に憧れを抱く生徒の一人というわけでもないので、渋面を浮かべそうになるのを必死に堪えながら挨拶に応じる。


「……おはようございます、会長」

「はい、おはようございます。朝の挨拶は一日の活力です。今日も一日頑張りましょう」


 頭一つ分ほど小柄な会長は、そこでようやく満足したようにうなずいて道を譲ってくれた。そそくさと通りすぎようとしたところで、ぽんと背中を優しくたたかれた。


「背中、曲がってますよ。もっと胸を張ってください。せっかくのハンサムが台なしですよ」


 その頃すでに周囲からは、みんなの憧れの生徒会長がモブみたいな一生徒の進行を遮ってまで声を掛けた、ということで奇異とやっかみの視線が集まっていた。

 俺は申し訳程度にしやくをすると、逃げるように昇降口へ走った。

 朝から言いようのない疲労感に包まれながら教室の扉を潜ると、クラスメイトにからまれる。


「ようえんどう! 会長から声掛けられたんだって? 羨ましいな、この野郎!」


 髪を金色に染め、制服を着崩した上田だった。


「耳が早いにも程がある……」げんなりして肩を落とす。「ただ挨拶されただけだよ。騒ぐほどのことじゃないだろ」

「うるせえ! あーっ! 俺も目の前で麗しの会長様に優しくほほみかけられてえーっ!」


 ワックスで逆立てた髪をむしる。朝から騒がしいやつだった。他のクラスメイトの迷惑になるから正直止めてほしい。見かねたように別の長身の男が寄ってきた。


「そのへんにしておけ。えんどうだって困ってる」

刊行シリーズ

ソードアート・オンライン オルタナティブ グルメ・シーカーズ2の書影
ソードアート・オンライン28 ユナイタル・リングVIIの書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ ミステリ・ラビリンス 迷宮館の殺人の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ グルメ・シーカーズの書影
ソードアート・オンライン IF 公式小説アンソロジーの書影
ソードアート・オンライン27 ユナイタル・リングVIの書影
ソードアート・オンライン26 ユナイタル・リングVの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ8の書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ7の書影
ソードアート・オンライン25 ユナイタル・リングIVの書影
ソードアート・オンライン24 ユナイタル・リングIIIの書影
ソードアート・オンライン23 ユナイタル・リングIIの書影
ソードアート・オンライン22 キス・アンド・フライの書影
ソードアート・オンライン21 ユナイタル・リングIの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ6の書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ5の書影
ソードアート・オンライン20 ムーン・クレイドルの書影
ソードアート・オンライン19 ムーン・クレイドルの書影
ソードアート・オンライン18 アリシゼーション・ラスティングの書影
ソードアート・オンライン17 アリシゼーション・アウェイクニングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ4の書影
ソードアート・オンライン16 アリシゼーション・エクスプローディングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ3の書影
ソードアート・オンライン15 アリシゼーション・インベーディングの書影
ソードアート・オンライン14 アリシゼーション・ユナイティングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ2の書影
ソードアート・オンライン13 アリシゼーション・ディバイディングの書影
ソードアート・オンライン12 アリシゼーション・ライジングの書影
ソードアート・オンライン11 アリシゼーション・ターニングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ1の書影
ソードアート・オンライン10 アリシゼーション・ランニングの書影
ソードアート・オンライン9 アリシゼーション・ビギニングの書影
ソードアート・オンライン8 アーリー・アンド・レイトの書影
ソードアート・オンライン7 マザーズ・ロザリオの書影
ソードアート・オンライン6ファントム・バレットの書影
ソードアート・オンライン5ファントム・バレットの書影
ソードアート・オンライン4フェアリィ・ダンスの書影
ソードアート・オンライン3フェアリィ・ダンスの書影
ソードアート・オンライン2アインクラッドの書影
ソードアート・オンライン1アインクラッドの書影