第1話 レプリカは、夢を見ない。 ④

 りっちゃんは小説を書いている。いまどきめずらしい手書き派だ。小学生のころは習字を習っていたりっちゃんの字はとてもきれいに整っていて、本が出版されるあかつきには手書きバージョンも出してほしいなって、私はいつもそんなことを思う。

 なおとりっちゃんが出会ったのはずっと前、町内会でのこと。

 町内会とは、同じ地域に住む小学生が集まって、日曜の朝にかいがんせいそうをして、夏休みの間はラジオ体操をして、秋には運動会でかけっこをして、遊園地に行き、一年の終わりにはボウリング大会を開く、そういう集まりのことである。単純に子ども会、と呼ぶ人もいる。

 りっちゃんはなおより一歳年下だったけれど、小学生のころは性別やねんれいちがいというのはあんまり重要じゃない。近所に住むりっちゃんはなおにとって気が置けない遊び友達だった。

 みずでつぽうおにごっこで遊び、川遊びやバーベキューではしゃいだおくは、今もなおの中でせんめいに色づいているのを、私は知っている。

 それでもなおが中学生になった年、りっちゃんがしたのをきっかけに二人はえんになった。翌年だけは年賀状を送り合って、そこで交流はぱたりとれてしまった。

 再会したのは今年の四月。

 風が強く、桜の花びらがぶわぶわとう日だった。

 三月にせんぱい二人が卒業したが、彼らはほとんど部室に顔を見せなかったのであまり変化はなかった。もともとひとりきりの文芸部室に、同じくひとりのりっちゃんがやって来たのは、体験入部が始まって一日目のことだった。

 最初はこわったおもちをしていたりっちゃんは、私を見るなり口を半開きにして「おお」とつぶやいた。私は「おお」とはうめかなかったけれど、たぶん似たような顔をしていたと思う。

 だって形ばかりのポスターを作ってけいばんってはみたものの、全校集会でのかつしようかいにも参加していなかった。知名度最低な文芸部に、入部希望の一年生が、ましてなつかしい友人が門戸をたたきに来るなんて思ってもみなかった。

 でも二人でひざをつき合わせて好きな本の話をしているうちに、きんちようほぐれて、なつかしさと楽しさばかりがげてきた。外をまわっていた小学生時代は過ぎ去り、私たちはそれぞれ読書好きな高校生にへんぼうしていたけれど、プロの野球選手だってあんなにリズミカルに、キャッチボールなんてできないだろうというくらいに会話ははずんだ。

 本のしゆが合ったわけじゃない。むしろライトノベルやまんを好むりっちゃんと、私のどくしよけいこうはまったく合わなかった。でも私たちは昨日も話し込んだ話題の続きを口にするように、おたがい好き勝手に話しては笑い合った。

 かんげいの意を示すおやお茶も用意できなかったけれど、りっちゃんはその日のうちに入部届を提出した。

 そんなこうはいの熱のもった解説を聞きながら、私はげん稿こうようを読み進めていく。

 死に神だと周囲にこわがられる少年が、教会で暮らす捨て子の少女と出会って始まる物語。タイトルは未定、とある。

 主役の二人もたいそう美形のようだが、その他の登場人物もみんな息をむほどのけいぞろいのようだ。そんな馬鹿なという感じだけれど、りっちゃんはアニメも大好きで、美男美女ばっかり出てくるのは鉄板らしい。

 げん稿こうの内容に意識をもどす。主人公の少年と捨て子の少女は生き別れのふたのようだ。そっくりな容姿をうまく利用して、二人はしゆくぐって生き延びていく。やがて裏社会では、「ダブル」と呼ばれる殺し屋となり……。


「あ、ナオせんぱい

「うん?」


 私は照れをかくすみたいにくちびるをすぼめる。小さいころ、私のことをナオちゃんと呼んでいたりっちゃんは、再会してからはナオせんぱいと呼んでくるのだが、まだせんぱいと呼ばれるのはおもゆい。


「そこ、どう思います? ミックスルーツと混同されちゃうかもだし、めいしようは変えたほうがいいですかね?」

「ダブルって、二重って意味だもんね」

「そうそう、そうなんです。ドッペルゲンガーとかもありっちゃありだけど、見たら死ぬわけじゃないしなぁ」


 ダブル。ドッペルゲンガー。

 二重。あるいは複体。

 自分とそっくりの姿をした、分身のこと。


「どうでした?」


 用紙の束は六十枚ほど。じっくりと一時間かけて読み終わると、向かいのりっちゃんがうわづかいをしている。


なおに言っていい?」

あいかわなお殿どのそんたくされるのはいやだからなぁ。お願いします」


 ねこの背を、りっちゃんがまっすぐばしている。


「ちょっと、読者が置いてけぼりかもしれない」

「ぐふー」


 パイプの背もたれに寄りかかり、血をいてたおれるりをするりっちゃん。だんからオーバーリアクション気味なのだ。


「この、ぼうとうのとこ。雪の降る中、主人公の二人が再会する場面ね。ここをもっとふくらませてほしいかも。大事なところじゃない? ドラマチックな表現よりも、二人の生々しい感情のほうを知りたい」


 三ページ目から五ページ目を、ぺらぺらとめくる。


「少年は同じ顔の少女を見つめて何を感じたのか。少女のほうは何を思ったのか。もっと教えてほしいって思ったかな」


 単なるしろうとの意見だから、という前置きはゴールデンウィーク前に置いてきた。りっちゃんによると「感想がどれだけありがたいことか、ナオせんぱいは自覚が足りないなぁ」とのことらしい。小説を読んで感想を言葉にするというこうは、わりとハードルが高いのだそうだ。

 もう、りっちゃんの小説を読むのは三作目となる。りっちゃんは三か月から四か月の期間で一作品を書き上げる。中学生のころからしつぴつを始めたから、まだ私が読んでいないのも何作品かあるようだ。

 私はいつも思ったことをそつちよくに言うしかないけれど、そんな私の意見を、りっちゃんはふんふんうなずき、メモに取ってまで聞いてくれるから照れくさい。


「参考になります。また読んでくださいね」

「うん」


 このやり取りも、四月はちがった。りっちゃんは大きな目を不安そうにきょろきょろさせて、「また読んでくれます?」とつぶやいていたから。

 時間を重ねるほど、私たちは少しずつ友達にもどっていき、それで少しずつ、ちゃんとせんぱいこうはいになっていく気がする。

 一年前は、こんな風になるなんて思いもしなかった。私は部室でたまに本を読むだけだった。だれもいない空間でただひとり、ページをめくる音だけがひびいていた静かな日々も嫌いではなかった。でも、私は今のほうが、部活の時間をじゆうじつしたものだと感じている。

 げん稿こうように向かってうなるりっちゃんの向かいで、私は文庫本を読み進める。

 読んでいるのはかわばたやすなりの『おどり』。静岡のとうたんであるたいにしたお話。

 私もいつか旅に出てみたい。でなくてもいい。熱海あたみぬましまじのみやでも、どこでも。

 もちろん県内じゃなくてもいいけれど、県の中だってほとんど知らない場所ばかりだから、まずは近場からさぐっていきたいのだ。かなわないだろう夢だと、分かっていても。

 窓の外からは、すいそうがくが練習するトランペットの音が聞こえる。高らかなメロディー。新しくないほうの宝島。

 半分ほど読み終えたところで、長机が表面に赤いこうたくを流しているのが目に入った。

 ふと見やれば、窓の外がじわじわとく染まっていた。午後五時五十分。そろそろ、部活は終わりの時間だ。