第1話 レプリカは、夢を見ない。 ⑤

 文庫本にしおりはさむ。白くてりなかすみ草が閉じ込められた手作りのしおりは、部室に転がっていたのを一時的に借りている。

 私は本を読むのがおそい。それに読書するのは部活の時間だけだから、読み終えるにはそれなりに日にちがかかる。

 図書室で借りた本は、本来であれば自分の目の届くはんで管理すべきだろうけど、私には自分の場所といえるようなところは部室しかない。

 だからいつも、部室にあるほんだなすみっこに本をそぅっと差し込んでおく。部室にはだんかぎがかかっているからだいじようだと思いつつ、明確にルールを破っているという感覚は心臓をひやっとさせる。

 貸出期限は二週間。へんきやくまでは、あとちょうど一週間。なおが呼んでくれないと、私はなかなか本の続きが読めないから少しやきもきさせられる。

 部室をじようして、無人のろうをりっちゃんと並んで歩く。


「来週から部活お休みですね」

「だね」


 期末試験の十日前から、運動部も文化部も活動が制限される。


「部室には来るでしょ?」

「もちろん」りっちゃんがにやりとうなずく。「勉強場所として最適ですから」


 余計なものの少ない部室は、自室よりずっと勉強がはかどる。


「んーん、ヒロインの名前はどうしようかなぁ」


 自作のことを熱心に考え続けているりっちゃんは、数秒前の話の続きを口にするように言う。


「どうしようねぇ」


 これは答えを求めていないつぶやきだと分かっているから、私はあいづちだけを返す。

 声に出すことで、頭の中が整理されていろんな考えがかぶそうだ。ぶつぶつつぶやいている最中、「あっ!」とさけんだりっちゃんがメモ用紙にがががっとなぐきするのは、よくあること。

 今日はまだまだ、頭の中の豆電球が明るい光をともすには時間がかかるらしい。私は心の中で、努力家のこうはいにエールを送る。


「ナオせんぱいは小説書かないんですか?」

「んー。書かない、というか書けないと思う」


 私にはきっと無理だ。真顔でも、逆さまになっても、一文字も書ける気がしない。

 なおなら、どうだろう。

 聞く機会がおとずれることはないだろうけど、なんとなくそんなことを思った。

 職員室にはひとりで入室する。かぎはすっからかん。運動部もすいそうがくも、辺りがうすやみに包まれるまで熱心に練習している。

 かぎを返したあとはしようこうぐちに向かう。うわぐつをローファーにえ、私の帰りを今か今かと首を長くして待っていた自転車と合流する。

 りっちゃんとは裏門の前で別れた。高校のすぐ近所におうちがあるのだ。制服のキュートさではなく、立地的な通いやすさで進学先を選んだそう。

 からからとホイールは回る。ペダルにぺったりと乗せた足を、私はくるくると動かし続ける。

 ローファーのかかとはどうにも丸まりたいみたいで、私のアキレスけんを思いだしたように押してくる。もう、元の形を忘れてしまっている。


◇◇◇


 私が生まれた日の話。

 その日、なおはどうしても子ども会の集まりに行きたくなかった。

 りっちゃんとけんしていたからだ。なおは意地っ張りな女の子だったから、けんをしても自分から謝ることができない。でもけんの原因が自分にあると知っていたから、謝りたくない自分と謝らなければならない自分の間で、いたばさみになってしまった。

 そんな気持ちのかつとうの末に、私は生みだされた。ただ実際は、なおがりっちゃんとけんをするのはその日が初めてではなかったから、それが理由だったとは言い切れないのだが。

 なおおどろきながらも、私に向かって手を合わせた。

 まるで神様においのりをするポーズのようだった。


「私の代わりに公民館行って、りっちゃんと仲直りしてきてくれる?」


 自分と同じ顔を持つ生き物への、きんちようけいかい。それとわずかな期待がにじむ声だった。

 私はその言葉に従った。初めて公民館に行き、初めてひろなかりつという少女に会い、あいかわなおらしいいらちを挙動のはしに見せながら、遠回しな謝罪の言葉を口にした。

 りっちゃんはなおをあっさりと許し、私はがいせんするような心持ちで初めての帰路を辿たどった。私の帰りを今か今かと待ちわびていたなおは報告を聞くなり、大喜びで私をきしめた。

 その日の夕方、両親が帰ってくる前になおと私は手をって別れた。なおが「じゃあね」と言えば、私の意識はそこでれていた。

 翌日、なおはまた私を呼んだ。

 消えている間のおくはなかった。だけどなおに呼ばれると、うすぐらいところから急に意識のかけらのようなものがぶわりとかびがり、集合して、私という存在を形作っていった。

 私は呼ばれるたび、合わせ鏡のように、今現在のなおと同じ格好をしてどこかから現れる。パジャマを着ていればパジャマ、新しい洋服を着ていたら新しい洋服。消えると、着ていた服もいつしよあとかたもなく消える。

 ただしちゆうでパジャマから洋服にえた場合は、私が消えると、私が着ていた洋服だけがその場にぽつんと残るらしい。私が着てきたパジャマは、私と同時刻に消えてしまう。

 なんにも増えないように。なんにも減らないように。神様かだれかの都合なのか、物事というのはつじつまが合うようにうまく調整されているらしい。

 なおの大きなひとみには、だれも持っていないめずらしいオモチャを手に入れた喜びとほこらしさだけが、らんらんかぶようになった。


「知ってる? ほんものとおんなじに見えるのに、ほんものじゃないものは、レプリカって呼ぶんだよ」


 覚えたての知識をろうするなおは、得意げだった。

 それに幼いころなおは子どもらしくこうしんおうせいで、いろんなことをためしたがった。

 レプリカはどれくらいの時間、存在していられるのか。おを分け合って食べたら、二倍、おなかふくれるのか。同じテストの問題を解いたら同じ点数を取れるのか。じゃんけんをしたら、いつまでも続くのか……。なおは子どもの小さな脳が思いつく限りのありとあらゆることをためした。

 そうして分かったのは、なおと私は生物学的にはほとんど同じ存在だということ。ただ、二人の間には川が流れるように大きなへだたりがあった。

 着ている服だけじゃない。私は出し入れされるたび、最新のなおおくを持って生まれてくる。でもそれは自分自身の経験としてではなくて、川の向こうの景色に目をらすように、実感とは遠いものだった。

 たとえば、なおが昨日見たバラエティ番組の内容を私ははっきりと覚えていない。なおしんがちゃんとおくしていないからだ。

 小説を読むのは、私がなおおくさぐる感覚と似ている。なおにとって印象的な出来事はくっきりとしたみんちようたいで書かれていて、整っていて読みやすい。でもにじんでいる字や、インクでべとべとの字を読み取るのは難しい。

 どうやらなおにとってうれしいこと、いやなことなど、あいらくつかさどおくめいりようで、それ以外の興味がうすいことは、私にはあいまいに感じられるらしい。