第1話 レプリカは、夢を見ない。 ⑥

 海辺で砂の城を作っても、次の波が来ればいつしゆんで消え去ってしまう。でも城を作っていたというあとだけは、ほんのわずかに残っていたりする。リアルタイムでなおおくげない私は、さらわれたあとの砂地に何かがてくるのを、いつだってしんぼうづよく待っている。

 もどかしさを感じていた。私はもっとなおの役に立ちたい。なおめてほしい。なおに、喜んでほしい。

 季節がめぐり、学年が上がっていくにつれて、なおが学校の勉強に追いつけていないことを知った。

 私はすきを見つけて教科書を開いては何度も読み込み、内容を頭の中にまとめた。

 なおには私のおくや経験、は共有されない。たぶん必要がないからだ。あいかわなおあいかわなおであって、彼女を構成するのにレプリカの要素はいらない。

 だからあるとき勉強を手伝うと申し出てみたけれど、なおはガラス玉のような目を向けてきてつぶやいた。


「いい。代わりにテスト受けてきて」


 なおずかしい思いはさせられない。私は自分にできる限りの努力をして精いっぱいの点数を取るようにした。

 当初、なおは私のことを気が置けない友人か、あるいはふたまいのように接していた。なおかぎだったので、私の存在は彼女の気をまぎらわせていたのだろう。

 なおは私を呼ぶと、大好物のシュークリームを半分こにしてくれた。いつしよに本を読んだ。アニメをてたくさん笑い合った。いつしよにいるところをだれにも見られてはいけない私たちは、秘密を共有した二人きりの親友のように仲が良かった。

 そういう時間は、気がつくとなくなっていた。私を呼びだしたなおは用件をつぶやくだけで、他のことは何も言ってくれなくなった。

 私はなおのために、けんした友達と仲直りをする。

 私はなおのために、テストを受けていい点数を取る。

 私はなおのために、山登りをして、マラソンをして、シャトルランだってうでって走る。

 なおのために、なおのために。私のすべては、なおささげるためにある。

 食事やはいせつすいみんは、私にも人並みに必要だけれど、なおが「もういい」と言えばどこへともなく消えるので、なおは私の生活にとんちやくしなくなっていった。

 だから私は、朝ご飯を食べたことがない。昼ご飯はよく食べる。おは、なおあたえてくれたころにだけ。分けても二倍、おなかふくれないシュークリームをなおはひとりで食べるようになっていた。

 夕ご飯はほとんど食べたことがない。ついでにいうと誕生日ケーキを食べたことも一度だってない。

 高校に上がってから、お昼は給食じゃなくてお弁当になった。私はそれが本当にうれしかった。いそがしいお母さんが用意してくれるお弁当には、前日の夕ご飯の残りが入るからだ。

 プラスチックの容器に入れるためにキッチンバサミで切られたからあげ。コロッケにハンバーグ。味がんでいてどれもおいしかった。

 しかもわざわざお弁当のスペースをめるために、用意してくれるおかずもあった。甘いマヨネーズがけたポテトサラダ。アルミホイルに載ったマカロニのグラタン。苦いアスパラガスをきしめるベーコン。塩がりかけられたたまご。食が進むように、白米にはさけのフレークや牛そぼろ、のりたまのふりかけもかかっている。

 私が毎日のふりかけに喜びを見いだしていることを、なおは知らない。

 今じゃなおは根っからのうんどうぎらいで、私は好き。

 なおは勉強がきらいで、私はまぁまぁ好き。そう思い込まないと、レプリカなんてやっていられない。


◇◇◇


 次の日も、なおは私を呼んだ。重い生理痛に苦しむなおは、私を呼ぶひんが増す。

 今朝は起き上がる気力もないようだ。私は水とちんつうざいねこあしのテーブルにそっと置いてから家を出る。

 授業を受けて、ひとりでお弁当を食べて、午後はうとうとして、放課後は教科書を片づける。だれも、代わりにレプリカが授業を受けているとは夢にも思わない。

 文芸部室に行く。いつも通り部室のかぎは開いている。りっちゃんは、放課後になると真っ先にかぎを取りに行ってくれる。

 かぎのかかっていない部屋は、なんとなく安心する。学校からもどってきた私をむかえる家のげんかんも、なおの部屋も、しっかりとじようされているから。


「おはよう」

「おはようございます、ナオせんぱい


 卵の額がつやつやしている。あせえいきようも大いにあるみたい。

 りっちゃんの表情にはつかれが見える。全開になっている窓から見上げれば、夏そのものみたいな形をした入道雲が気持ち良さそうに空にかんでいた。

 びたせんぷうが部屋のすみでかくかくと首をらしているが、そこからいてくるそよかぜはあまりにたよりない。私たちを生かそうとする気力がなければ、自分がこの夏をいてやるというがいも感じられない。

 名ばかりのはまだ明けないまま。天気予報は雨マークが続いていたはずなのに、昨日も今日も日が照っている。


「支給金があれば、新しいせんぷうが買えるのにね」

「まったくです。ないものねだりですけど」


 りっちゃんは机の上にだらしなくそべり、半目でせんぷうにらんでいる。

 部員が二人しかいない文芸部に、学校があたえてくれるのは小さな部室だけだ。


「部費のちようしゆうとか、します?」


 ぎくりとした。

 当然だけれど、レプリカの私におづかいはあたえられない。

 お人形を、リップクリームを、洋服を、ブルーレイを、スマホを買ってもらうなおおくを見て、うらやましいなと思ったことはある。クラスメイトにしんがられないようスマホを持参してはいても、結局これは私のものじゃないのだ。

 何も持っていない私は、自分だけの何かがほしかった。

 子どものころそつせんしておそうせんたくをして、手伝い賃をもらった。

 ほこりをかぶったかんの中に、私は五十円玉をかくつづけた。小学六年生のころなおが卒業旅行でディズニーランドに行ったとき、お土産みやげに買ってきたクランチチョコレートのかんだ。

 私がないしよかんを使っているのを、なおは知らない。かんのことたいを忘れているのだと思う。

 手伝い賃は今の今まで、一度も手をつけずにめている。大きなかんはとっくに五十円玉でいっぱいになって、困った私は二階のろうにあるだなの奥に、二重にしたスーパーのふくろかんを置いている。

 どちらも中身は五十円玉だらけだ。ざっくざく。なおにばれてはいけないので、たっぷりとさびのにおいがするふくろを持ち上げてみたことはない。


せんぷうって、どれくらいするのかな」

でんりようはんてんで見たら、古いやつならけっこう安かったですよ。いちばん安いと千円くらい」

「えっ、やす!」


 夏場のせんぷうの価値を考えれば、てっきり一万円くらいはするのかと思っていた。


「それなら、ひとり五十円玉が十枚あれば買えるよね」

「なんで五十円玉かんさんなんですか」