第1話 レプリカは、夢を見ない。 ⑦

 おかしそうにりっちゃんが笑う。おそうせんたくものたたむのも、そうかけも一律五十円。ながめているとドーナツみたいでかわいくて、子どものころの私は小さなこうを宝物のように手の中ににぎんでいた。

 こんこん、とドアがノックされる。

 私とりっちゃんは口の動きを止め、顔を見合わせる。わざわざノックして文芸部を訪ねてくる人なんて、今までひとりもいなかった。

 りっちゃんが声を張る。


「開いてますよ」


 立て付けの悪いはずのドアが静かに開いていった。

 そこに立っていた人物を、私は見上げる。背の高い彼の名前を、私は知っていた。

 さなしゆうくん。私のクラスメイトで、元バスケ部で、黒板消しの達人。昨日と異なり今のさなくんは、ほんの少しだけおどろいているように見えた。

 でも、どうしてさなくんが文芸部室に? 疑問はのどの奥にまって出てこなくて、声もなくまどう私に、さなくんは少し首をかしげるようにした。


「入部したいんだけど、いい?」

「え?」


 低い声で思いがけないことを言われた気がして、私は目を丸くする。


「ええと、だれが?」

だれがって、俺がだけど」


 そりゃそうだ。そうなんだろうけど、意外すぎる。

 かんばしくない反応を誤解したのか、さなくんがぽりぽりとほおをかく。


「なんかルールとかあんの?」


 ルール?


「入部の条件」

「特にないです、けど」

「なんで敬語?」

「え、それは」

「こういうちゆうはんな時期に入部はお断りな感じ?」

「うぁあ」


 ばやに質問されて、頭が追いついてこない。口も回っていない。


「入部希望者、だいかんげいですよー。部員二人しかいないから」


 長机にひじをついたりっちゃんがにっかりと笑う。

 相手は男子で、せんぱいで、しかもさなくんなのに、りっちゃんは落ち着いている。私よりも、ずっとゆうがある。


「ナオせんぱい。入部届書いてもらって、いつしよに提出しに行ってくださいよ」

「え、あ、うん」


 さらりと助け船まで出してくれた。私よりよっぽどせんぱいらしい。

 でもりっちゃんの言う通り、名ばかり部長であってもそれは私の役割だろう。とりあえず立ち上がった私だったが、そこで困った。


「りっちゃん、入部届ってどこにあるんだっけ」


 ほおがちょっぴり赤くなる。私が名ばかり部長なのが、新入部員にさっそくばれちゃう。


「あそこのたなにあるカンカンの中です」


 カンカン、カンカンね。

 これもディズニーランドのかん。おせんべいが入っていた、平べったくて大きいサイズ。まれていただろうおせんべいは、ずっと前に卒業したせんぱいたちがくしている。

 かぱりとほこりっぽいふたを開けると、雑紙の束が出てきた。なんじゃこりゃと思いつつ、ぺらぺらとめくっていくと、ようやく入部届を発見する。

 A4サイズを半分にしたA5サイズの紙が、輪ゴムでまとめられている。ペーパーカッターがなかったのか、変に曲がっていた。そこらへんにあるハサミを使ったのだろう。

 なんとなくよごれが少ない気がして二枚目をきだしたところで、はっとした。さなくんはりちにも部室の外に立ったままでいる。


「これ、お願いします」


 紙を手にして早口で言えば、さなくんが頭をかがめて部室に入る。左足にぐっと体重をかけ、右足でゆかむ時間を最小限におさえた歩き方だ。

 だいじようくのも余計な気がして、だまってしまう。りっちゃんは目をしばたたかせたが、やっぱり何も言わなかった。

 彼がパイプを引く。私のとなりの席。四人分のがあるけれど、りっちゃんのとなりまどぎわなので、出入り口から近い私のとなりが選ばれたのはほとんど必然だった。

 背負っていた黒いリュックを下ろした彼に、りっちゃんが「どうぞ」とボールペンをわたす。いつもなんとなく机の上に転がっている、せんぱいだれかが置いていったボールペンだ。けて見えるインクはとっくに切れている様子なのに、いつまでもどばどばと黒いインクが出てくる。

 サンキュ、とさなくんが短く返した。反射神経がにぶい私は、二人の頭の上で視線を右往左往させながら、入部届を机の上にそっと置いた。

 さなくんは整った字で入部届をめていく。部活動のらんは「文芸部」の字がコピーされているので、記入するらんは学年、クラス、氏名の三しよだけでいい。

 一分とたず書き終えたさなくんが立ち上がった。パイプを引くみみざわりな音はしなかった。身体からだが大きいのに、彼の周りは不思議と物音が小さい。なんでだろうと考えるより早く、りっちゃんに送りだされる。


「行ってらっしゃいませー」


 私とさなくんはさっそく職員室に向かう。

 職員室はすぐ近くだ。部室を出て、右の右。


「あー、すずしい」


 職員室のドアを開けたしゆんかん、思わずといった様子でさなくんが独りごちる。まったく同感だ。あせばんだ額やほお、首筋を、冷えた風がこれ見よがしにでていく。

 やっぱりここはオアシスじみている。無敵のヴェールに身体からだぜんたいを包まれて、氷のほうを自由にあつかほう使つかいのような気分になる。


「失礼します」


 昨日ぶりに注意深く唱える。机に向かう先生たちの目がこっちを向くけれど、すぐに興味を失ったようにらされる。この数秒間、私はいつも胸がドキドキしてしまう。このきんちようかんが苦手だから、すみとなりとなりにオアシスがあると知っていても、あまり寄りつくことはない。

 入部届の提出先は、文芸部もんでもあるあか先生だ。でも先生は不在だった。けんどうと文芸部のもんちしているので、手のかからない文芸部はだんから放置されている。私とりっちゃんのさと、羽目を外さない大人しさをよく分かっている先生は、困ったことがあるときだけ相談するようにと言っている。今のところ先生のもくみ通り、特にそういった事態はおとずれていない。


「机の上に置いておこうか」


 エアコンのどうおんとペンの走る音だけがひびく中、かわいたくちびるを開く。


「おう」


 さなくんのほうはきんちようとはえんのようだ。散らかった机の真ん中に、きっちりと入部届を置いている。

 私はぶんちんわりにとカエルの置物を、うすっぺらい紙のはしっこにせた。これで気がつかれないことはない。あか先生は大のカエル好きで、机の上には旅行先でしゆうしゆうしたカエルグッズがけろけろと転がっている。先生は職員室にもどってくると、カエルたちが元気にしているか必ず一ぴきずつかくにんするのだ。けろけろ。

 職員室を出ようとしたところで、私はおくれて気がついた。何人かの先生の目がこちらを見ている。私ではなく、見られているのはさなくんだった。

 彼は上背があるし、歩き方がひょこひょこしているので、視界のはしとらえるだけでも目立つのだろう。それでもけんを感じた。バスケ部を退部した生徒が何をしにきたのかと遠巻きに観察するような、こうしんかくさない目つきに。

 さなくんは、素知らぬ顔をしている。

 たぶん、きしたものみたいな視線に、気がついているからこそ。


「失礼しました」


 ぴしゃん、とこうげきてきな音を立ててドアを閉めた私に、さなくんは何も言わなかった。乱暴なやつだと思われたかもしれない。