1 ①

「……しが足りなすぎるんですよぉ……」


 スタジオ近くのバーの個室で、せんぐうすずねは、ためいきと共にそうらした。

 たましいけていきそうな声に、向かいの席に座ったせんぱい声優のくちびるから、くすくすと甘い笑いがこぼれる。


「なぁに? まだ立ち直れてないの?」


 あやぶきは、声にたがわぬゆうな動作で、軽くにぎったこぶしで口をかくすようにして、自分より六つ下の、とはいえもう二十五だというのにまるで子供のようなこうはいの様子に、やさしく目を細めた。


「そんなに引きずること?」

「ことですよ!」


 すずねはしていたテーブルから体を起こすと、はああ、とかたを落とした。

 落ち込みもする。さいしのアイドルが、卒業してしまったのだから。大切な日々のかてを失ったも同じだ。


「けど、もう半年も前のことでしょ?」

「まだ半年ですー」


 すずねはくちびるをとがらせた。

 の前では、ついつい甘えた態度をとってしまう。それを彼女も楽しそうに受け止めてくれるから、ますます甘えてしまう。

 かくすことがない相手というのは貴重だ。

 ぼう作品の打ち上げの帰りに、


『ちょっと付き合わない?』


 とお酒にさそわれ、連れて行かれたてきなバーでいきなり《そう》だとかれた時は、それはもうおどろいたけれど。


『わかるのよねえ、なんとなく』


 手をにぎられ、耳元でそうささやかれて、混乱ときんちようで心臓がれつしそうだった。

 するりと自然な仕草でこしかれ、やわらかいくちびるがほおれる。

 バーテンダーは見て見ぬり。

 いつしゆん、心がらいだが、のくちびるがその先に進んでこようとするのを、すずねは何とか断った。

 営業的なことまでならいいけれど、それ以上は本当に好きな人とでないと、と言うと、あら残念、と意外にあっさりと受け入れてくれ、それからは、せんぱいこうはいわくえて仲良くさせてもらっている。


『わたしたちは《ほん》ね』


 とはその時、言った。

《営業》ではない、という意味だ。

 ファンに向けてのアピールテクのひとつに、営業と呼ばれるものがある。

 女同士で『好き』と言ったり、友情間でしつしたりといった、シスターフッド的な女性特有の仲の良さを見せることで、主に男性ファンにれんあい関係的なさつかくを起こさせるものだ。

 今日のイベントでもそういう場面はあった。

 三百人規模のアニメソフトのリリースイベントだったのだが、スタンディングでのトークコーナーで、最近楽しかったこと、というお題をられた。

 司会進行の芸人さんが何を求めているのかは、空気でわかったので、


『このあいだ、まりあちゃんと水族館デートに行ったんですよー』


 あえて《デート》という言葉を使った。

 女子の場合、デートは、男子と出かけたときだけではなく、女の子同士でも使うことがある。特に仲良しである、とアピールしたいときに。

 まりあちゃんは、レギュラーの一人、まりあ。他事務所のほぼ同期で、メッセージのやり取りをするくらいには仲がい。定期的に、ごはんにも行っている。

 このイベントのアニメの中でも、おたがいを大好きだという設定だった。


『わたし、ペンギンが大好きじゃないですかー』


 まりあのペンギン好きは有名で、何とか飼えないかと考えているほどだ。


『都内の水族館に新しい子たちが入ったから、すずねをアフレコ終わりにさそって、会いに行ったんですよー』

『まりあちゃん、本当にくわしかったよね。わたし、ほとんど見分けつかなかった』

かれづらで説明しました』


 ふふん、とまりあがドヤ顔で胸を張ると、客席から笑いが起こった。


『楽しかったよねー!』

『ねー!』


 ハートが見えそうな感じで二人で首をかしげ合うと、


『……え? わたし、さそわれてないんだけど?』


 同じくレギュラーのが、機をのがさずに食いついてきた。


『どういうこと? 二人で行ったの? いつ? アフレコ、わたしもいたんじゃない? 何でわたしさそわれてないの』


 マイクを手にぐいぐい来る彼女に、すずねとまりあは、ええ? と引く感じできよを取りつつ、ぎゅうとしがみついた。


『だ、だって、その日、さん、うしろもあったじゃないですか……』

『終わってから、合流することもできたんじゃない? 水族館のあと、どうせごはんもいったんでしょ?』

『あー……考えもしませんでした』


 すずねの答えに、まゆが険しく上がる。

 それを見て、すずねとまりあはおびえたりで、ぎゅっとった。ほおほおがくっついて、観客席が低くどよめく。


『はいはい、げんは楽屋でやってくださいねー! 個人的にはもっと見ていたいけど!』


 芸人さんの言葉に笑いが起こって、そのくだりはおしまいとなった。

 イベントしゆうりよう後、ネットでエゴサーチをすると、『今日もしてて良かった!』『ゆいゆいのやみたまらん』という、こうていてきな書き込みが多数で、喜んでもらえて良かった。

 女は同性同士の肉体的なせつしよくにあまりかんがないので、時にはだんじようったり、手をつないだりもする。仕事で男性声優とそんなことをしたら、今の時代、すぐにだいえんじようだろうが、同性ならば問題になることはない。

 まあ、それもどうかとは思うけれど。

 とは、《ほん》だとかれた以降も、作品でいつしよになった時は積極的に営業をしているけれども、数ヶ月ぶりに新しい彼女ができてどうせいを始めたと聞いたので、


『彼女さんからいやがられたりしないんですか? その……営業』


 といたら、


『仕事だからね』


 答えはあっさりとしたものだった。


『わたしが俳優だってわかって付き合ってるわけだから、その辺はね。あ、でも、さすがに友達とのお泊まり会だけはやめたかな』


 そういえばしばらくとはしてないな、とすずねは気づいた。

 女子同士のお泊まり会は本当に楽しい。

 とはいえ、自分がほんであることは、かくしている。

 性的な目がないからこそほんぽうに自由にえるのに、そう見られているかもしれない、と思われて空気をこわしたくはない。

 他の人はどうか知らないが、すずねは、ただの友達をそういう目で見たことはない。性的なりよくを感じることはあるけれど、それは、だれかれ構わず性的もうそうともなって見るのとはちがう。

 ……ということを、こんせつていねいに説明するのは、難しい。業界人ではないけれど、それでえんになった友人もいた。

 けいかいされてるな、というのは態度でわかるものだ。

 なので、秘密にしている。

 だが、がお泊まり会に参加しなくなったのは、そうしたことではなく、こいびとへのづかいだろう。

 もし、自分がの彼女だったら、やはりしつすると思う。実際にどうかという話ではなく、こいをする可能性がある相手とのお泊まり会なんて、いやだ。何であれ、可能性はゼロではないのだから。


「新しい人を見つけたら?」


 シングルモルトのウイスキーの入ったグラスをかたむけながら、は小首をかしげた。

 大人だ。

 すずねの前にあるのはカクテル。バーテンダーがの、「彼女に似合うもの」というオーダーで作ってくれたもので、ラムベースで甘め。名前はずかしくて忘れた。


「そんな簡単じゃないんですよー」

刊行シリーズ

わたしの百合も、営業だと思った?の書影