1 ②

 たましいけそうなためいきが、出た。


「あんなにぬまったしって初めてだったんですから」

「《ディアゴナル》、だっけ?」

「そうです」


 等星は様々だけれども、数でもかがやきでも、いずれも星のような女性アイドルたちの中で、《ディアゴナル》は、興味がない人でも、一度は名前は聞いたことがある、という程度に知名度はあるグループだ。

 全曲、著名なボカロPに楽曲を提供してもらい、さらにチアのようなやくどうてきなダンスをすることで、他とは一味ちがうパフォーマンスを見せてくれていた。

 その絶対的センターが、しようつきかりん──しょうつき、かりん。

 今は存在しない事務所の公式プロフィールでは、ねんれい二十二歳。身長が百五十八センチ。その他の身体的なことは非公開。子役からアイドルに転身、となっていた。

 非公式情報では、出身は東京で高校は公立。めんきよなし。何であれ、生のものは食べない。果物でさえも、だ。昔、食中毒になったことで生ものがトラウマになったらしい。

 しようつきかりんは、結成から五年、《ディアゴナル》でセンターだった。

 当然、歌も、ダンスも、他のメンバーよりパートは多い。五曲もやれば体力はゼロになってしまうだろうに、彼女は、それを欠片かけらも表に出したことはなかった。

 ファンクラブ限定版アルバムの特典についていたドキュメンタリーには、ライブ後にぶったおれる様子が映っていて、カメラに気づいた彼女がいらたしく手ではらう仕草をする姿が収められていた。

 ファンには無様な姿は見せない、という意思が感じられて、胸がふるえて泣きそうになった。


「本当に、すごかったんですよ……」

「なんだか、好きな子が転校しちゃった子みたい」


 からかうようなの言葉に、すずねは体を起こし、


「いえ、それはちがいます」


 きっぱりと否定した。


「わたしのしようつきかりんさまへの気持ちは、ガチこいではありません。あくまで彼女のストイックなパフォーマンスに、しんすいしているだけですから」

「ふうん? でも、写真集とか持ってるよね? 写真は歌わないし、おどらないけど?」

「グッズのこうにゆうは、しを支えるファンとしての責務です。納税義務です」

「税金なんだ」

「もちろんです」


 そくとうしたけれど、とはいえ、もちろんそれだけではない。


「……まあ、お顔も大好きですけど」


 それもふくめて、している。

 しようつきかりんは、特に目がすごい。

 大きさもさることながら、黒目がかすかにみどりがかっていて黒曜石のよう。まつげはしりそうなほど長く、動くと、ぐりん、と音がしそうだ。

 はだもすごく白い。

 首筋とか、血管のかたとか、見ているとどきどきする。

 今や写真の加工技術は本物とまがうばかりだが、しようつきかりんはちがう。あくしゆかいで会って、かくにんした。そのまま──いな、それ以上だった。

 すずねは基本、二次元よりも三次元の人だったが、かりんにれて生身のすごさを知った。ふわっと香るにおい。ひんやりとしたてのひらの体温。そうしたものは三次元でなければ、生きていなければ感じられないものばかりだった。

 ほんの三十秒のことであったし、その一度きりだったけれど、においも、体温も、今でも全てが、ありありと思い出せる。

 そして、声。

 彼女はどちらかと言えば童顔で、くちびるがぷるっとしているのだが、そのだんりよくのありそうなくちびるからこぼれる声が、たまらなくここいい。

 ごとがら、すずねは人の音にびんかんだった。

 しようつきかりんの声には力がある。彼女のこうえんも何度も見に行ったが、声が風になって客席をわたるのをはだで感じて、ぞくぞくした。

 激しいダンスで他のメンバーの息が切れても、彼女だけはちがう。まるで乱れず、おどりながらかんぺきに歌い上げるのだ。

 いずれは世界に知られるだろう──そう思っていた。

 ……けれど、そうはならなかった。

 しようつきかりんは、とつぜん、いなくなってしまった。

 ある日いきなりSNSに『重要なお知らせ』と書き込まれた内容は、関連ワードもふくめてトレンドをせつけんした。

《ディアゴナル》の公式アカウントは、

 ──『本日付けで、しようつきかりんは《ディアゴナル》をそつぎよういたしました』


 そう書き込んだ。

 それだけでもおおごとなのに、続けて彼女の所属事務所が、

 ──『しようつきかりんとのマネジメント業務が、昨日付けでまんりようしましたことをご報告させていただきます。なお、しようつきかりんとのれんらくは、へいしやとしてはうけたまわりかねますこと、なにとぞりようしようください』


 とHPに上げた。

 ち、けつこん、引退、ゆうかい、果ては自殺説まで、様々なおくそくがネットをめぐった。

 動画配信者はこのことをこぞって取り上げ、好き勝手にあおった。兄弟、親、こいびとを名乗って、再生回数をかせごうとする配信者が次々と現れ、カオス状態になった。

 すずねも、どこかに真実があるのではと、ありとあらゆる情報に飛びついたが、何も得ることはできなかった。

 だれもが、しようつきかりんの口から真相を聞きたがった。

 だが──本人からの発信は、なかった。

 彼女はSNSをやっておらず、《ディアゴナル》のサイトからもしようつきかりんのプロフィールはさくじよされてしまっていた。

 彼女を見た、という書き込みもさんけんされたが、いずれもしんは不明のうわさばかり。

 事件性があったわけでもなく、二週間後には別のアイドルのもっとスキャンダラスな事件が発覚したため、しようつきかりんは急速に忘れられていった。

 だが、すずねはちがった。

 忘れることなどできず、ほぼ毎日、ライブの映像ソフトをかんしようし、写真集をながめ、ラストシングルとなった曲をいた。

 とはいえ、彼女のゆくを追うのはやめた。

 いくらネットの情報をあさっても何も得るものはないと早々に気づいたし、万が一見つかったとして、彼女が《ディアゴナル》にもどるとも思えない。

 すずねにできるのは、思い出からしをじゆうすることだけだった。

 しかし、さすがに半年もつと、物足りなくなってきていた。

 きるなどありえないが、映像も写真も、もはや目をつぶっていても、細部までありありとおもえがける。

 だが、それとは逆に、永遠にたましいに刻み込まれたと思っていた、しのあの香り、体温が、日々うすれていくのは、とてもつらかった。


「かりんさま、何してるのかなあ……」


 地の底にしずんでいきそうなためいき交じりの言葉に、微笑ほほえんだ。

 笑ってはいるが、馬鹿にしてはいない。

 自分たちも、だれかのしだから。

 昔とちがって、声優個人にファンがつくこともつうになってきた。も、そしてすずねにも、少なからず、そういう人間がいる。

 声優のあり方として、それがいのかはわからないが、声を、演技を好きだと言ってもらえるのは、とてもありがたい。


さんは、しがいたことないんですか?」


 そうくと、彼女はウイスキーを一口のどに流してから、小首をかしげた。


「んー……ないかなー。作品を好きにはなっても、登場人物にまったことってないし、アイドルとか興味なかったし。この人が出てるたいは全部る、って役者さんはいるけど、グッズとかは買わないし、プライベートには興味ないから、インタビューとかも見ないしね」

「ですかー……」


 何をどう好きになるかは本当に人それぞれだな、とすずねは思った。

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わたしの百合も、営業だと思った?の書影